34・鏡の罠
そしてよく眠れないまま朝が来て、明日は結婚式。窓から外を見ると、歩いてる誰もが、お祭りを待ち切れない子どもみたいな顔してる。エドガーとアリーシャ姫の並んだ絵姿があちこちに飾られて、みんなはそれを見ては、お似合いだ、お美しい、良かった良かったと言い合ってる。
覚悟してたつもりで、全然覚悟なんか出来てなかった。『お似合い』『お美しい』……どっちも、絶対あたしには貰えない言葉。貰う資格もない言葉。エドガーの最後の未婚の日を、あたしは部屋に閉じこもって泣いて過ごした。明日もきっとそうだろう。あたしは結婚式には入れないし、でもだから、見なくて済む……凛々しい花婿と清楚な花嫁を。エドガーがアリーシャ姫に誓いのキスをする姿を。
そうして、明後日もその次も、エドガーが旅立って本当にいなくなるその日まで、あたしはこうしているんだろうか。あたしの姿を見なければ、エドガーはあたしを忘れて幸せになってくれるだろうか……。
『おまえが幸せなら』
いいえ、エドガー、あなたが幸せでなければ、あたしは幸せになんてなれない……どちらも不幸になるくらいなら、そんな気持ちの繋がりはなしにして、あなただけでも幸せになって欲しい……。
―――
夜が来た。外は前夜祭で賑やかだ。もうさっさと窓を閉めて眠ってしまいたい……出来ればもうずっと眠っていたい……そんな真っ暗な気持ちで寝支度をしていたら、扉が叩かれた。
「エアリスちゃん。まだ起きてるよね?」
レガートさまが帰って来られたようだ。いくら両王子から意味不明に冷遇されているとは言っても、別にお咎めを受けるような事をした訳でもないので、次期天使長のレガートさまは、結婚式を取り仕切る重要なお仕事をたくさん任されていて、寝る間もない程忙しい筈。今日も宮中にお泊りで徹夜仕事だと聞いていたのに、何故? 取りあえず慌てて扉を開ける。
「エアリスちゃん、ずっと泣いてたんだね。可哀相に」
顔を見るなり、レガートさまは心底悲しそうに仰る。
「……あんまり見ないで下さい。醜いから。それよりレガートさま、とてもお疲れみたい……」
「そりゃあ、あんまり寝る暇もないから疲れてはいるけど、それだけだよ。エアリスちゃんは前にも、泣き顔は醜い、みたいな事を言ってたけど、それは人間の価値観で、僕らはそんな風には感じないよ。ちゃんといつものエアリスちゃんだよ。でも、あんまり喋ってる暇ないんだ。そっと抜け出して来たけど、すぐ戻らないといけないから」
「何かあったんですか?」
「エドガーさまからこっそり伝言を頼まれた。鏡には布をかけておくように、窓の近くにいて、寝ないように。これだけ」
「え……」
「これしか聞いてないから、他には何も言えないよ。でも……少しでも慰めになるような事があるよう、祈ってるよ。じゃあね」
そう言ってレガートさまは慌ただしく戻って行かれた。
窓の近くに……寝ないで待てって……まさか、逢いに来てくれる? でも、鏡に布、ってなんだろう……。
取りあえず、言われた通りに手ごろな白布を鏡に被せようとした時……あたしは自分の顔を見てはっと息を呑んだ。どす黒く醜い嫉妬で歪んだ顔が、そこには映ってる……あたし、こんな顔をしているの? 靄のような影があたしを薄く覆い、あたしは自分の口が、
「あたしは相応しくない……」
と呟くのを眺めていた。恐ろしくなってばっと布を被せてしまったけど、なに、これは? あたしは嫉妬に狂って呪われてしまったのだろうか? 半人前天使だから? でも、こんな醜い、不吉なあたしは、とてもエドガーに逢えない!
―――
夜中近くになっても、通りは明るく、賑わしい。あたしの部屋は通りに面している訳ではないけど、こんな中、エドガーがこっそりお城を抜け出してくるなんて出来るんだろうか? もし出来たとしても、あたしはエドガーに逢う資格なんかない……。レガートさまに、『あたしの事なんてもう構わないで』って伝言を頼めば良かった……。
心を乱しながらそんな事を考えていると、窓がこんこんと叩かれた。心臓が爆発しそう。カーテンを開けるのが怖い。
「おい、エアリス、起きてるだろ? 早く開けてくれ、見つかっちまう!」
何日ぶりだろう。なんだかとても懐かしい、エドガーの声……。
あたしのせいでエドガーが誰かに見つかってまずい事になってはいけない、と自分に言い訳して、あたしは窓を開けた。エドガーは慌てたように飛び込んで来る。
「ったく、窓の傍にいろ、って聞いただろ。なんで早く開けないんだよ、冷や冷やするじゃねえか」
「う、うん、ごめん……いったいどうやって来れたの?」
あまりにエドガーが普通だから、あたしもつい普通に返してしまう。
「兵士の服装で、鎧に仮面で普通に歩いてきた。鏡は大丈夫だろうな?」
とエドガーは部屋を見回し、白布が被った鏡を見て安堵の溜息をつく。
「ごめんな、何日も連絡も出来なくて。でも、あいつもまさか今夜、とは思わないだろうと思って、ここに賭けてた」
「あいつ……とは?」
「アリーシャだよ、決まってんだろ」
その名前に、あたしの胸はぎゅっと痛くなる。あたしは相応しくない……。
でもそんなあたしの胸の内などお構いなしに、エドガーはどすんとあたしの寝台に腰を下ろして寝そべった。
「はあ……毎日毎日儀式やら宴やら、もううんざりだよ。くたびれきったよ」
「あの……結婚前夜に他の女性に逢いに来るなんて、とてもよろしくないことなのでは? ……あたしを女性と思ってないならばいいのかも知れないけれど……」
「は? 何言ってんだよ、俺の女はおまえだけだよ。愛してるのはおまえだけだよ」
びっくりする位、エドガーは前に話した時となんにも変わっていない。もしもシャルムさまみたいになってたらどうしよう、って怯えてたのに。
「でも……何か、心境の変化があったのでは? その……レガートさまやカステリアさまへの態度とか……それに、あたしが庭園で待ってたのも知ってたんでしょ?」
「……」
エドガーはあたしの問いに目を瞑って大きく息を吐く。
「おまえらに心配かけて悲しい気持ちにさせて済まなかったと思ってる。でも、おまえらを護る為にシャルムと考えた策なんだ」
「え?! シャルムさまと? シャルムさまはアリーシャ姫の悪口も許さない、ってすごい剣幕だったのに?」
「はは、そりゃ見たかったな。あいつ、実は結構役者なんだよな。レガートやカステリアも知ってた筈なのに……ガキの頃、悪戯がばれた時に、いっつも澄ましておとなを煙に巻いてたのがシャルムだったって……もう覚えてないのかな」
「そんな、覚えてたとしても、あんな深刻な話で騙す芝居をなさるなんて思わないよ!」
えええ……あれが芝居?! なんか目がイッちゃってる感じすらしたのに?!
「まあ……熱が入り過ぎてカステリアを泣かせてしまった、エアリスにも酷い事言い過ぎた、って凄く落ち込んでたけど……あいつ、真面目だから役にのめり込んでやり過ぎるんだよな。レガートにもほんとに申し訳ながってたよ。だから代わって謝るよ。でも、仕方がなかったんだ」
「仕方がない……とは? 護る為、とは……?」
「勿論アリーシャからだよ。あいつがおまえを呼びつけてなんか言ってる姿を見て、俺もシャルムもやばいと思った、って事。なあ、あいつから何を言われた?」
シャルムさまが変わっていないと聞いて、あたしは心底ほっとした。確かに酷く傷ついたけれども、でも、本当の事でもあったし……。
それに、エドガーもちゃんといつものエドガーだ。エドガーなら、話しても、姫に気取られるような事はしないんじゃないかな。
「あのね……もしも誰かに話したら、ある人を殺す、って言われたんだけど……」
とあたしは切り出してみる。
「やっぱりか。レガートが、おまえが事情を話さないって言ってたのは聞いたから、聞き流すふりはしたけど、そんな事じゃないかと思ってたよ。あいつ、やっぱ悪趣味だな。おまえ、じゃなく、おまえに近しい誰か、か……」
「あの、確かに、『あたし自身より効果的』みたいな事は言われたけど、でも、よく考えたら、あたしがエドガーの比翼だから殺せない、ってだけかも、とも思うんだけど」
「は? あいつがそんな事知ってる訳ないだろ」
「え、知ってたよ? エドガーはその事、知らなかったの? シャルムさまも?」
「ああ……いったいどういう事だ?」
エドガーは険しい顔になって起き上がり、考え込む。
「とにかく、その会話の詳しい内容を聞かせてくれ。大丈夫、絶対、聞いた事を気取られやしないから」
それであたしはもう何もかもぶちまける事にした。エドガーがレガートさまを危険に晒す訳ないと信じて。
「……笑えない冗談だな。俺があいつに愛を告げたって? まさか、おまえそれを信じた訳じゃないだろうな?」
「信じる訳ないよ……あんな怖い方。でもでも、エドガーもシャルムさまも態度がおかしいから、もう、訳がわからなくて。それに、もし姫があたしを諦めさせる為に、エドガーをご自分が幸せにする為にわざと悪人ぶってたのならば、あたしはエドガーの視界から消えた方がいいのかも……とも……」
「馬鹿! あいつに翻弄されるな! おまえは俺のものなんだから、勝手にどっか行っちまうなんて絶対に許さないからな!」
「うん……どっか行きはしないと思うけれども、でも、あたしはエドガーと結婚できないし、子どもも産めないよ……エドガー、もし、あたしを傷つけない為に、アリーシャ姫には指一本触れない、って言ってるんなら……あたしの事は気にしないで……。エドガーだって、子どもが欲しいでしょ?」
「馬鹿かおまえは! おまえとの子どもなら……それは欲しいかも……だが、あいつとの子どもなんか要るか!」
「なんでそんなに姫を嫌ってるの? あたしよりずっと、エドガーに釣り合っているのでは……」
この時。少し開いたままになっていた窓から、ぴゅうと風が吹き込んだ。風は、鏡を覆っていた白布を一瞬吹き上げた。鏡にはあたしだけが映ってる。嫉妬に歪んだ、醜いあたしが! 嫌だ、これがあたし? さっきよりもっと歪んで……こんな顔でエドガーと話していたの?!
「あたしは、相応しくない……!」
泣きながらあたしは思わず叫んだ。でもエドガーは一瞬で状況を把握した。風が止み、鏡を覆った白布の上から、剣の束で鏡を叩き割る!
「あ……」
がしゃんという音に目を覚まされたかのように、靄に包まれていたあたしの心は、段々と浮かび上がって来る。
「エアリス、あいつは鏡を使うんだ。おまえの弱気は、鏡から入ってきたんだよ。今朝、ようやくそれが判ったんだ! もう鏡を見るな、周りに置くな。いいか」
「ど、どういうこと……?」
「何故か俺たちの行動や会話はかなりアリーシャに読まれてた。でも手段がわからなくて、だから、慎重におまえらを危険から遠ざける為に、手の込んだ芝居をしたんだ。でも鏡だと判ったから、レガートに言って、カステリアにも伝えるように言った。鏡を見るなと」
「いったい……姫は何がしたいの。あたし達を鏡でどうにかしなくたって、みんなもう、姫の言いなりじゃないの」
「俺にも、全部はわからない。俺とあいつは表面上、初対面の時と同じように礼儀正しく接している。勿論、愛なんて言ってない。俺は種なしだから誰も愛する事はないし、だから貴女の純潔の為に、結婚したって指一本触れません、とまで言った。でもあいつは、それでも構わないと言って、代わりに、シャルムとの再婚を持ちかけて来たんだ。俺はシャルムの為に猛反対したよ。だけど、シャルムが、とにかく言う通りにする振りをして様子を見よう、と言うから……」
「待って、全然話が見えないよ」
「あいつは、俺もシャルムも騙せてると思ってる。でも、俺と近しいおまえやレガート、カステリアは潰したいと思ってる……ってことだ。おまえの話から、やっぱりあいつは、セラフィムの王家に喰いこんで、いずれセラフィムをミカエリスの属国にでもする気かも知れない」
「そんな……」
窓からまた風が吹き込んだけれど、割れて粉々になった鏡は流石に力を失ったみたいで。ただ足元できらきら光ってた。
「説明するから、聞いてくれ」
というエドガーの言葉に、頷くしかない。
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