33・影の囁き

 あたしとカステリアさまは、お互いに暗い表情で、冷めたティーカップを無意識に弄びながら向かい合って話している。カステリアさまは細い肩を震わせて、


「わたくしは恐ろしい……。今までずっと、セラフィムはエドガーさまをお守りする事、何とかお元気になって頂きたいと、そればかりで、平和を維持し、祈ってきたのに……なんだか、アリーシャ姫がいらしてから、多くの者がおかしくなってしまったみたい……」

「エドガーは、そんなに皆様から思われていたんですか? エドガーの方では……皆様を拒絶していたのに?」

「贄の王子とはそういうものなのです。全ての天使の代わりにお務めをする方だから……という理屈だけではなく、本能的に皆から愛されるような方として生まれてくるのです。本当に、わたくしが余計な事をしなければ、エドガーさまはあんなに何年も殻に閉じこもらずに済んだ筈なのに……」

「カステリアさま、もうそれは終わった話でしょう。これからの事を考えなくちゃ……」

「そ、そうね……」


 でもカステリアさまの表情は変わらない。暗い気持ちになるのも無理はない。面会を申し込んでも、エドガーには「済まないが時間が取れない」と逃げられ、シャルムさまに至っては「話す事はない」と拒絶される始末なのだから……。本当に、シャルムさまはどうしてしまったんだろう。今までの事を思えば、腹が立つよりむしろ心配になるばかり。あまりに人が変わり過ぎたようで……カステリアさまとエドガーの距離が離れていた時、機会がある毎にカステリアさまの事をとりなそうと尽力されていた位だったそうなのに。


「今までは、皆、エドガーさまのお気持ちを一番に考えていたのに、なんだか、エドガーさまにはアリーシャ姫さえいれば大丈夫だ、という空気が城を覆っているみたい。エドガーさまを救ったのはそなただと、皆知っていたのに」


 そう……恋人なのは秘密だったけれど、ペットのあたしがエドガーを癒して笑顔を取り戻した、というのは知れ渡っていて、一時は多くの方があたしに感謝したり優しくしたりしてくれていたのに(別にそういう事を求めていた訳ではないけれども)、今はなんだか、用済みな邪魔者、という目で見られている気がする。レガートさま派の令嬢たちからそう思われるのは理解できるけれど、最近は、親しかったエドガーの館の方たち、あのマニーさんでさえ、冷淡になってしまったようで。

 一度、レガートさまのお使い、という名目でエドガーの館を訪ねてみたんだけど、適当に書状だけ受け取って、ろくに会話もせずにさよならされてしまった。マニーさんはカステリアさま達以外に、あたしとエドガーの事を知っている唯一の人物だけども、あの時あんなに喜んでくれたのに、今は、知っているだけに警戒されてしまっているような気がしてならなかった。警戒、というのは勿論、あたしがエドガーとアリーシャ姫の間の障害にならないか、という意味でのこと。

 結婚式まであと二日しかない。その前に何とかエドガーに会って、今の気持ちを知りたい。何故、あたし達を避けるのか……。アリーシャ姫のこと、今はどう思っているのか……。

 レガートさまはさすがにお仕事で宮中でエドガーとシャルムさまに会えるのは会えるのだけど、エドガーは一度だけそっと、「エアリスを頼む」とすれ違いざまに言われただけで後は全然視線も合わせない、話しかけても「後で」とかわされるばかり、シャルムさまに至っては、完全無視、という状態らしくって、周囲からも、レガートさまはこの目出度い時期にどんな粗相を仕出かして王子たちに冷遇されているのかと訝しまれているそうで……ああ、なんでこんな事に……。


『何とか式までにエドガーさまとエアリスちゃんを逢わせてあげたいんだけど、難しいんだよね……』


 と流石のレガートさまも参った様子で溜息ばかり。

 レガートさまもカステリアさまも、やっぱりあの時アリーシャ姫があたしに言った事をとても気にしておられるので、とりあえず、レガートさまの、『脅されて口止めされているのか』という問いには頷いた。これくらいならあの会話をばらした事にはならないだろう。

 お二人ともあたしの言う事を疑う気は全くないようだけれど、ただただ更に頭を抱え込んで、


「やっぱり姫は見かけ通りの方じゃないって事だね……」

「でも、誰が信じるでしょう。仮にわたくしたちが声を上げても、シャルムさまにお叱りを受けるだけでしょうね」

「そうだね。エアリスちゃん、もう少し話せる事はない? もし、話せばエアリスちゃんの身に危害が及びそうなら、僕は全力で護るよ」

「だけどレガート、姫はエアリスがエドガーさまの比翼だとご存知ないのだから、たかが人間と見下して本気でエアリスに何かなさるかも知れないわ。あなた、いつも一緒にいられる訳ではないでしょう」

「僕がいなくても、僕の館の中にいれば大丈夫と思うけど……まさかここまで手を出してくるかなぁ……」


 あ、とあたしは声を出しそうになる。そうか、『おまえなど消してしまうのは難しくはないけれど』なんて言ってたけど、本当は、あたしを消して、比翼であるエドガーまでどうかなってしまっては姫も困るから、レガートさまを質にしたのか、と思い当たったから。

 でも、姫が、あたしとエドガーが比翼だと知っているとは思っていないお二人が、あたしが狙われると思うのは当然だ。


「いえ、違うんです。姫が仰ったのは別の方なので……」

「ええ? 別の誰か? なんでだろう……誰なのかも……言えないのかぁ」


 レガートさま、あなたです、とは勿論言えない。武芸の腕前もかなりと以前に誰かに聞いた事はあるけれど、姫は『毒殺』と言っている。それを人知れず防ぐのは簡単な事ではないだろう。


「それにしても、姫の目的は一体なんだろう? 別にエアリスちゃんにおかしな事を言わなくったって、姫の立場は元から固まっているんだし、エアリスちゃんを苛めて僕らとシャルムさまを仲違いさせて、姫になんの得が? ……エドガーさまは何をどうお考えなのかさっぱりだし」


 ……そう言えばそうだ。別にわざわざ本性をあたしだけに見せる必要なんかまるでなかった筈。身の程を弁えて近づくな、という事だけを言いたかったのなら、平和を望んでないとかレガートさまを殺すとか、わざわざ自分の中の悪意を見せつけるような言い方をしなくても、いくらでも話しようはあった筈なのに。

 あたしがエドガーの比翼だから……? あたしにだけ向けられる悪意に、他に理由は考えつかない。でもそれにしたって、わざわざ手の内を明かすような事を自分から言って来たのって……なんなんだろう。

 いくら考えても、さっぱりわからない。


―――


 その晩、あたしは寝る前に鏡に向かって髪を梳かしながら、色々と考えていた。

 エドガーとあたしが比翼のまま、愛したままでいるのは、本当に正しいことなんだろうか。比翼は解消する事は出来ないという話だから仕方ないとしても、エドガーがアリーシャ姫に指一本触れないのは、本当に正しいことなんだろうか。


『アリーシャ姫は兄上の妃になるんだから、子どもだって出来得る。エアリスには出来ないだろう!』


 あのシャルムさまのお言葉がずうっと棘になってあたしの心に刺さったまま。エドガーは、ちゃんと後継ぎを作るべきなのではないだろうか。あんなに王妃陛下も望んでおられるのに。

 あたしは、アリーシャ姫はいずれ国に帰っちゃうんだから、あたしが四百年待ってエドガーが帰って来られたら、エドガーと結ばれる事も出来るかも知れない、と呑気に考えていたけれど、でももしそれが叶わなかったら……エドガーは、王太子として生まれて来て、大変なお務めを果たさないといけないのに、自分の子孫も残せないということになってしまう。レガートさまもカステリアさまも、それはエドガー自身が決める事だから、と仰ってはいたけど、本当は、あたしの存在さえエドガーの心から消えてしまえば、エドガーはちゃんとした家庭を築けるのかも……なんて思ってしまう。

 本当は、想像しただけで辛くて胸が張り裂けそうだけど。エドガーがあたしを忘れて、アリーシャ姫と子どもを……なんて!

 でももしかしたら、アリーシャ姫は本気で「平和を望んでない」とか「レガートを殺すわ」とか言ったのではないのかも知れない……。エドガーの考えに気付いて、あたしが形だけでなく心まで遠ざかってしまった方がエドガーを幸せに出来ると思って、絶望感を植え付けただけなのかも知れない。エドガーの為に、敢えて悪役のような振る舞いをしたのかも……。


『そうだよ。おまえが元気に生きてる限り、俺も元気になれるよ。離れていても、俺はおまえを感じる事が出来る。だから、俺を待たなくていい。レガートがきっとおまえを幸せにしてくれる。おまえが幸せなら、俺は幸せだから……』


 心の拠り所になっていたエドガーの優しい言葉。 勿論、あたしは待つつもりだったけれど。

 でも、本当にそれでいいんだろうか。

 エドガーは、あたしと関係なく、円環の儀の前に、幸せになるべきなのでは……。

 とりとめのない考えが浮かんでは消え、エドガーの為に何が正しいのかまったく解らなくなって、霧の中でぼんやりとそんな物思いに囚われていたような状態だったあたしは、鏡のなか、あたしの背後の黒い影に気付かなかった。後ろには誰もいないのに、その影は、


『そうよ……おまえは相応しくない』


 と囁きかけてたのに、それを、自分の声だと何故だか思い始めていた。

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