35・結婚前夜

「古のミカエリスの王族には、『魅了』の魔術を使える者がいたらしい。本当は、シャルムも少しやられかけてた。魔力の高い俺だけが正常で、周囲はみんな、アリーシャを神の化身みたいに崇めまくる、そんな状況で俺は、俺自身がおまえを愛してるから気づけないだけで、あいつは本当に素晴らしい女なのかも知れない、とさえ思ったよ。でも勿論、そうだとしても、俺にはおまえが一番だ」


 とエドガーは語り始めた。あたしはとりあえず黙って聞いているけど、やはり、一番と言ってもらえて面はゆくも嬉しくもある。鏡が割れたおかげで、もう、あたしは相応しくない、という黒い感情は消えた。だって、相応しいかどうか決めるのはエドガーだもの。そのエドガーが、あたしがいいと言ってくれるのだから、信じていよう。


「けど、とりあえず、シャルムが呆けた目をしてたから、もし俺の勘違いなら悪いとは思ったけど、一発魔力でぶん殴ってみた」


 ちょおおい! シャルムさま可哀相! あたしの非難の視線を受けてエドガーは頭を掻く。


「でも、それであいつも気づいたんだよ。王族は他の奴らより魔力が高いからその分耐性あるし。まあ流石に父上や母上をぶん殴る訳にはいかないから、今の所様子見だけど。特に父上は、完全に魅了されてる訳でもないようだから……俺があいつを好かないけれど仕方なく結婚させられることを済まなく感じられているようなのも伝わるし」

「……」




「とにかく本題に戻ろう。目が覚めたシャルムは、物知りだから、古のミカエリスの魅了かも知れないと言って、図書館で色々調べて来た。図書館に鏡がなかったのは幸いだった。でも……文献の『魅了』と、アリーシャのやってる事は、何か違う……。元々ミカエリスも平和主義が根っこではあるし、古の魅了は、皆が満ち足りて幸福な気分になれるようにするもので、精神を操ったりする類のものではなかったらしい。でも、あいつのやってる事は洗脳だ。一瞬違和感をおぼえても、あいつの目を見ると、みんな、持った疑問を忘れちまう。それに……批判めいた言い回しは何一つせずに、いつの間にか、おまえやレガートやカステリアの株を下げている。レガートやカステリアは元々身分があるから、表立って邪険にされる事はないが、おまえは俺とレガートしか後ろ盾がないし、俺がもしおまえの味方をしたら逆に、おまえが俺を誑かしていると思われる。現に今、レガートの恋人だと思われてるおまえは、あくどい人間にしか出来ない何らかの手段でレガートを誑かしたに違いないと噂されている。そしてあんな人間なんかに誑かされる方だったのかという事でレガートの株も下がっている。少し前までは、悔しいけど、レガートさまがお相手なさるんだからあの娘には不思議な魅力があるのね、で終わってた話が、だぞ? 状況はそんなところまで来てる。だから……おまえらを護る為に、敢えて遠ざけるしかなかった。そしたら事態はこれ以上悪化しないかも知れないからな……」

「そんな……なんで姫はそこまで? 何もかも、姫の思うままだし、あたし達、姫に害をなそうなんて思ってないのに」

「あいつは多分、俺があいつを近づけないのはおまえの存在があるからだとまで気づいてると思う……。それは多分、俺を好きで嫉妬してるとかではなく、俺を孤立させ、自分以外に拠り所がないようにしたいからだと思う」

「酷い……エドガーはちゃんと、姫を愛さないって告げてるのに、自分がエドガーを諦めきれないからって、そんな事まで……」


 でも……姫は本気でエドガーに一目惚れしてしまって、どんな手段を使ってでも、振り向かせたい一心でやっているのだろうか? だとしたら……それは勿論やっちゃいけない事ではあるし共感は出来ないけれども理解は出来る。

 だけどエドガーは苦々し気に、


「あいつは俺自身なんかに興味はないよ。ただ、俺の妃になって俺の子を産む事だけが目的だと思う」


 って吐き捨てた。


「なんでそう思うの?」

「あいつは俺にも術が通じてると思ってるからな。にこやかに俺の気に障る事を平気で言ってくる。笑いながら、『エドガーさまが居られなくなっても、わたくし、シャルムさまと一緒に、エドガーさまとの御子を大切に育てて立派な王に教育しますわ』なんて、俺に惚れてる女の台詞じゃないだろ。俺はむしろ、ガキさえ作れば、要らない存在なんだよ、あいつには。だって魔力の弱いシャルムの方が制御しやすいからな」


 そんな事を……あたしは、待つと決めてはいても、エドガーがそのうちここからいなくなってしまうと思っただけで、結婚の事よりずっとずっと辛いのに、笑いながらそんな事を言うなんて。


「絶対にガキなんか作らないのに、あいつも諦めが悪いというか……まあ、そのうち思い知って、ガキが出来なかったって理由でシャルムとの再婚もなしにして、俺がお務めに行った後は国に帰るよう、仕向けてみるつもりだけどな」


 結婚相手にそんな事を言われても平然としてるエドガーはやっぱり強い。自分が行ってしまった後に、弟と国に面倒が降りかからないようにと考えてる。

 カーテンの隙間から差し込む細い月光が、寝台に腰かけて考え込んでいるエドガーの銀髪を煌めかせる。顔を見ているだけで胸が苦しい。こんなに、こんなに愛しくなるなんて、最初の頃は想像もしていなかったのに。


「まだいまは……言っても、いいんだよね」

「うん?」

「エドガー……大好き。愛してる。こころが、張り裂けそう……」


 あたしはエドガーの傍にしゃがみ、その腕に頬を寄せ、口づけた。エドガーはあたしを抱き締めて寝台に押し倒して耳元に口を寄せ、


「俺もだよ。こんなに、誰かを愛せるなんて、思ったことなかった……」


 あたし達は何度も唇を重ねた。蕩けるような束の間に酔いしれた。でも、今夜限り……。明日には、エドガーはアリーシャのものになってしまう。


―――


「ねえ、ところで、こんなにずっとここにいていいの……? さっきから気になっているのだけど……」


 結婚式前夜、レガートさまは徹夜で駆け回っているのに、当の新郎が姿をくらましていて大丈夫なのだろうか。

 でも、その質問にエドガーはにやりとして、


「はっはっは、それくらいの事はちゃんと考えてある。実はな、天界の結婚は、前夜、男と女はそれぞれ別の聖殿で禊をして、その後一晩中一人きりで祈りを捧げなければならない。だから、俺は一応、誰かがちらっと覗いても大丈夫なように替え玉人形を残して、抜け出して来たのだ!」

「えええーー!! そんな事して大丈夫なの?! 大事な儀式なんでしょ?」

「大丈夫もくそもあるか。勿論、本当に大事な結婚ならば、そんな事は御神に対する冒涜にあたり、結婚も穢された不幸なものになると言われている。だが俺は、納得して結婚する訳じゃない。国の為の形式で、しかも真実の夫にはならんと宣言してある。それなのに、この結婚に祝福を下さいと祈る方が、よっぽど冒涜じゃねーか」

「そ、それはそうかもだけど……」

「今夜しかなかった。毎晩あいつは俺を追っかけてくるし、迂闊にこっそりおまえに逢えば、あいつにどんな秘密を握られるか知れたものじゃない。ただ、運のいい事に、今朝になって、あいつが鏡に向かってなんか喋ってるって侍女が噂してるのを耳にして、シャルムに相談して、鏡を介した呪法があると知った。まあ、外法の類なんで、仮にも王女が、本当にそこまでするかなとは思ったが……さっき鏡を割って、それは証明された。でも、比翼の事を鏡のある所で話した記憶はないし……まだ色々不可解な点は多いから、身辺には気を付けていてくれ」

「わ、わかった」

「なかなか連絡とれないと思うけど……俺は、絶対に変わらないから。疑わないでくれ」

「うん、信じてる」


 もう、迷いはない。エドガーを信じる事が、今のあたしに出来る一番のこと。

 エドガーは、あたしの手を握って、


「とにかく、俺とシャルムでおまえらを護るから。本当に大事な時はどうにかして連絡するから……それを、言いに来たんだ。勿論、おまえに逢いたかったのが一番だが……。もう、眠っていいぞ。俺は、おまえの寝顔を見てるから」


 なんて言う。


「え、いやだよ。眠るなんて勿体ないよ」

「そうか。じゃあ、一緒に寝よう」


 えええ? いや、天使の基準では、結婚相手以外とそういうアレはあり得ない、って知ってるけど、いくらさらっと言われても、人間時代の耳年増は、変な動悸を起こさせてしまう。

 でもやっぱり、エドガーは少年みたいな笑顔で、


「こうやってな、手を繋いで眠ると、後々、夢で逢えるんだって……。ま、ガキの頃にばあやに聞かされた類の話だけどな」

「うん……」


 夢で逢える。誰にも邪魔されずに、自由に逢える。それはとても素敵な事のように思えた。


「おやすみ、エアリス。ずっと愛してるから、忘れるなよ」

「うん。おやすみ、エドガー。あたしだって愛してる……永遠に。夢で逢えるんだね。自由に、前みたいに」

「そうだよ。夢の中でなら、いくらでも、愛してるって言ってやれるから、楽しみにしとけ」


 眠気なんて訪れないだろうとたかを括っていたけど、エドガーの手のぬくもりは、最近ずっと心労でゆっくり出来なかったあたしを心地よくさせて……。

 朝陽に起こされて隣を見たら、エドガーはいなくなってた。でも、さっきまでそこにいたんだという寝台の凹みと温もりは、確かにそこにあった。あたしは泣いたけれど、この温もりを信じて、四百年待とう、と自分に言い聞かせた。

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