36・2か月後

 結婚式から二か月が過ぎた。

 結婚式前夜にエドガーと二人で過ごして、エドガーの気持ちが変わってない事を確かめられて、あたしは救われた。この事をレガートさま達に報告したら、とてもほっとしたように喜んでくれた


 いまや王太子妃となったアリーシャ姫……アリーシャ妃は、相変わらずみんなの尊敬と人気の的だ。

 地位を得ていくらか気も治まったのか、表面上、あたし達に対する敵視はなくなった。誰が見ても険悪になっていたシャルムさまとレガートさま……鏡のない所であたしがエドガーが言った事を全部説明したので、レガートさまは納得してその芝居を続けるつもりだったのに、何故だかアリーシャ妃自らが二人の間を取り持って和解させたのだ。


「義姉上がそう仰せでしたら、それが正しいのでしょう……レガート、私はきみを誤解していたようだ……今までの態度を詫びさせて貰おう」


 と、相変わらずシャルムさまのアリーシャ信者のふりは完璧だったそうで、レガートさまも、


「いえ、私こそ、殿下の誤解を招くような言動をとってしまい、申し訳ありませんでした。お許し頂けるのでしょうか」

「勿論。長年の友誼もあるのだから、どうか水に流して欲しい」


 という訳で、元通り。アリーシャ妃の狙いがわからな過ぎて不気味過ぎる。カステリアさまもよくお茶会に招かれるようになって、幼い頃のエドガーの事なんかを熱心に聞かれるそう。

 最初は、お二人とも、自分たちも信者に引き込むつもりなのだろうかと警戒なさっていたけど、シャルムさまは、


「それは違うと思う。何故なら、きみたちには相変わらず『魅了』がかけられていない。回りくどい事をしなくても、今や名のある貴族たちは皆、妃に魅了されているのに、きみたちだけ外されているのは、何かまだ企みがあるという事だよ。気をつけていなければ」


 と仰る。

 仲違いのお芝居をしなくてよくなったので、あたし達四人はまた以前のようにレガートさまのお館でしょっちゅう集まれるようになった。勿論、鏡のない部屋で。

 でも、妻帯したエドガーは、王太子としての格が上がったので、前みたいに気軽に臣下の館に遊びに来ることは出来ない。今までなら、多少型破りな事でも、エドガーが希望すればみんな見て見ぬふりをしていたのに、アリーシャ妃が、王太子として臣下とは一線を引かなくてはなりませんとみんなの前で諫めると、そっちの意見の方が通ってしまうのだ……。

 シャルムさまは、以前のお芝居の事を恐縮する程丁寧に謝って下さった。もう済んだ事だし、あたし達を護ろうと言うお気持ちからの事だったんだから……って何度も言ったけれど、生真面目なシャルムさまは、特に女性を、カステリアさまとあたしを侮辱するような事を言ってしまった事を自分で許せないらしく……。あたしとカステリアさまは、事情を知って、とっくに許しているのに。


―――


 そして、あたし。

 アリーシャ妃は、あの、脅迫してきた時に、


『エドガーさまに対するのと同じように、わたくしも楽しませてくれると嬉しいわ』


 とみんなに聞こえるように言ったのを、実践してきた。

 小規模の宴を催して、あたしを呼び出した。あたしには特に芸はありませんと言ったのに、余興をと求めてくる。

 本当に別に芸はない上に、見かけ上は仲の良い夫妻を演じてるエドガーとアリーシャ妃が並んで座ってる姿を見るのはとてもきつかった。

 エドガーは、


「人間だったというのが面白かっただけで、特に芸人のような真似が出来る訳じゃないから」


 って普通にさらっとあたしを庇ってくれたけど、


「あら、昨夜、エアリスの歌を褒めていらっしゃったではありませんか」


 と、いかにも二人で夜に仲良く話していたかと強調するように穏やかな甘ったるい声で言い返す。


「……」


 周りも聞いているのに、そんな事言ってないだろうとかは、エドガーも言いにくいだろう。あたしは、エドガーを信じているので、この場の雰囲気を悪くしないよう、柔らかに、


「珍しいのでお気に召しただけで、決して巧いものではありませんが、妃殿下がお望みであればご披露致します。お聴き苦しければ仰って下さいませ」


 と答えた。

 天界暮らしも長くなったので、今ではあたしも言葉遣いの切り替えは完全に出来ている。

 エドガーの顔に一瞬、申し訳なさそうな表情が走ったけれども、あたしは平気だと合図を送る。

 あたしは歌うのは好きだけれど、まだ小さい頃に村の悪ガキに音痴と言われたのがトラウマになって、人前で歌うのは苦手だった。でも、他に余興になるような芸はない。

 それで、あたしは歌った。すごく緊張したけれど、今は遠い故郷で聞き覚えて好きだった歌を、子守歌や故郷を想う歌、賛美歌なんかを。

 ……なにか、どよめきのようなものを感じた。


「エアリス!」


 と、感極まったようなエドガーの声。お互いの立場を忘れたかのような素の感情が籠った呼びかけにあたしは動揺する。

 でもエドガーは子どもみたいに興奮した様子で、


「おまえ、こんなに歌うまかったのか!! ……なんだ、はは、今まではまだ実力を出せてなかったんだな」


 って……。後半の台詞は辻褄合わせだ。あたしは恥ずかしくて、エドガーの前で歌った事なかったもの。

 そんなに褒められるようなものなのか良く判らないけれど、エドガーが褒めてくれるのは嬉しい。周囲の人々も珍しくしみじみとした表情を浮かべてる。いっつもただ、とろんとした目でアリーシャ妃を賛美してるだけなのに。

 一方、アリーシャ妃は、あたしに恥をかかせたかったみたいだけども、それがうまくいかなかったので面白くなさそう。ぞんざいな褒め言葉を投げられてすぐに退出させられちゃった。

 この場に同席していたシャルムさまは、後でそっと仰った。


「エアリス、きみの歌には癒しの魔力があるみたいだった。前例がないのではっきりとは解らないけど、天使は人間を護るものだから、元人間のきみが天使の為に歌う声に癒されるのかも。それとも、膨大な魔力を持つ兄上の比翼だからだろうか。まあ、きみは色々規格外の存在だから」


 あたしの歌に、天使を癒す魔力?? なんだかぴんと来ないけど、こんな事でも何かの役に立てるなら嬉しい。

 アリーシャ妃は一応、次の日に、御褒美としてご自分のお下がりのドレスを下さった。あんな女の着てたドレスなんて、いくら美しくても見たくもないんだけども……一応、後でなんか言われた時の為にと思って渋々試着はしてみた。

 …………むかつく事に、バストがめっちゃ合いません。ものすごく詰め物をしないと胸が見えちゃいます。なんだ、要するに嫌がらせか! と僻みながら衣装棚にしまおうとしていた時、ころんとドレスから何かが落ちた。どうやら外したつもりのブローチが引っかかっていたらしい。拾い上げると、何か紋章のようなものが彫られていた。あれ……? セラフィムのものでも、ミカエリスのものでもない……? 何の紋章だろう? 勿論、ミカエリスの王家以外の貴族の紋章まで把握している訳じゃないけれど……なんだろう……何となく見覚えがある気もするし、嫌な感じもする……。いつかシャルムさまにお尋ねしてみよう……。


―――


 これが現状で、アリーシャ妃が何も仕掛けて来ないので、結婚前に下がってた評判も今の所元通り。

 勿論、自由に逢える訳じゃないんだけど、エドガーのペット(芸人?)という地位も保てた。

 でも何だか薄気味悪い。

 あたしは件のブローチをシャルムさまに見せた。


「何かな……私はミカエリスの主だった貴族家の紋章もほぼ把握しているつもりだが、これは見た事がないな……」


 もしかして、アリーシャ妃には故国に貴族の恋人がいて、贈られたブローチを大事に持ってた……なんて筋書きは、やっぱりないのかな。まあ、あったとしたって、今はアリーシャ妃はエドガーの妻でいる事に執着しているのだから、大した意味はないのかも知れないけれど……。


「俺はミカエリスに配下をやって、色々調べさせました。でもアリーシャ妃は幼少の頃からとても心映えがよく美しく、皆から愛されて、他国に嫁がれると聞かされた国民は、寂しさに涙の川を作った、なーんて話ですよ。実は腹黒なんて情報はどこにもないし、古の魅了を使えたという話もない。ミカエリスが何かを企んでいる様子も全く窺えなかったと……」


 と、レガートさま。

 アリーシャ妃が情報を掴むのは鏡だと判ったので、それがない所であたしは三人にも、アリーシャ妃に脅され、喋ったらレガートさまを毒殺すると言われた事を話したのだ。あたしがもう立ち直ったとはいえ、あの時何を言われたのか、相変わらずレガートさまたちは気にしていたし、鏡がなければ大丈夫だろう、と皆さまに言われて。


「毒かあ……困ったね。毒見役を置いても、その者を危険に晒す事になるしねえ」

「でもレガート、エアリスが喋ったとはアリーシャ妃には判りません。それに、万が一あなたが服毒死したら、わたくしが、エアリスの後見になって、アリーシャ妃の仕業だと陛下に訴えるわ。エドガーさまも味方して下さるだろうし」

「そうだな、その時は私も、これまでの経緯を……魅了されたふりをして様子を探っていたが、もう目を覚ます時だと……皆に訴えてみるのも良いかも知れない」

「酷いなあ。なんか俺が毒殺されるのがチャンス、みたいな言われような気がするんですが……」

「気の所為よ」

「被害妄想だな」


 お二人とも、レガートさまを揶揄っているらしい。

 その後、シャルムさまとカステリアさまは、お城の厨房に確実に信頼できる者を見張りに置いて、ミカエリスから来た下働きたちの行動を逐一チェックして……などと、詳しく防衛策を立てていたし。

 私邸に入り込んで食事に毒を入れるなんて困難だし、機会があるとすれば夜会の際の飲食だけど、考えてみればそんな場所で、次期天使長であるレガートさまが毒殺されるなんて実際に起こったら大事件になってしまう。エドガーは詳細に調べ上げて犯人を割り出すだろう……アリーシャ妃に繋がる実行犯を。そこまでの危険を冒して妃がレガートさまを暗殺する益はない。冷静に考えればやっぱり、ただの牽制だったとしか思えない。お三方も本当はそう思っておられるのだろう。


「まあ……あたしが必要以上にエドガーに近づかなければ大丈夫の筈ですよ」


 あんなに約束したのに、エドガーはちっとも夢に来てくれない。でも、今の状態にも慣れたし、エドガーを信じているので、無理を通してまでどうしても二人きりで会いたいとは思わない。遠巻きに顔を見れればそれで嬉しい……でも、なんだか顔色が悪い気もして、心配にもなる。シャルムさまのお話では、ちゃんと食事してるそうだけども。

 たまに、庭園とかで偶然に会える時に、エドガーは、変わらない視線をくれる。愛していると。

 もしかしたらあたしがそう思い込んでいるだけかもしれないけれど、エドガーが元気でそこにいる姿をみられるだけで、いまのあたしは嬉しい。

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