51・円環へ

 名実ともにエドガーの妃となったあたしを祝福してくれるように、きらきらと朝陽が天幕の隙間から差し込んでくる。

 でも、夢のような夜はあたしの手からこぼれ落ちて、遂にこの朝が来てしまった、と思うと、幸せでいっぱいであるべき初めての朝なのに心は重い。


「ほら、風邪引くぞ。早く着替えろよ」


 天使長さまは、あたしの為に、王妃に相応しい衣装まで用意して下さっていた。着替えて外に出ると、シャルムさまとレガートさまが待っていた。何だか色々な意味で気恥ずかしい。あたしみたいな平凡顔にこんな豪華な衣装、おかしくないかな、とかも……。


「綺麗だよ、エアリスちゃん……とっても……」


 と感慨深そうにレガートさまが言ってくれたので、あたしは益々恥ずかしくなったけれど、


「レガート」


 とシャルムさまに窘められてレガートさまは、


「おっと、そうだった」


 って呟いて、そしてお二人は並んであたしの前に跪いた!


「おめでとうございます、王妃陛下」

「我々の忠誠を貴女の上に永遠に捧げます」

「ちょ、ちょっと、そんな! やめて下さい、勿体ない、あたしなんかに……!」


 その時、背後の天幕からエドガーが出て来た。やめるように言って貰おうと思ったけれど、エドガーは微笑してあたしの肩を抱き、


「ありがとう、二人とも……皆も。これが俺の真の王妃だ。未熟者だが、末永く支えてやって欲しい」


 と言い放つ。見ると、少し離れた所に天使長さまと騎士さま達も跪いていたのだった。


―――


 天使長さまはここで別れて、あたし達が戻って来るのを待つと仰る……エドガーをひとり残して戻って来るあたし達を。


「なんで天使長さまは一緒に来られないんでしょうか? 折角ここまで来たし、今更一人くらい増えたって……」

「多分、円環に入られるところを自分の目で見るのが辛いんじゃないかな……父上はエドガーさまの事、実の息子の僕以上に可愛がってたから……」


 シャルムさまとレガートさまは、最初、頑として敬語をやめようとしなかったけど、もうどうにも面はゆいし喋りにくいし、お願いだから、少しでもあたしの事を大事に思える親しい者と認めてくれてるなら、今まで通りにして欲しいと頼み倒したのだった。でも、対等に話して欲しいのなら、あたしの方も、さま付けと敬語は止めて貰いたいと条件つけられちゃったけど。


「だけど、レガートさま……レガートは、自分で付いて来たいって仰っ……言ったのに?」


 うう、どうも喋りにくい。


「だって、見送りは多い方がエドガーさまはきっと嬉しいだろうと思って……僕だって辛いけど……」

「いよいよ、か……。でも、一緒に行くのがあの魔族ではなくきみたちで本当に良かった、と思うよ」

「シャルムさ……シャルム」


 そう、シャルムさまはあたしの義弟になったのだった! なんか距離感が滅茶苦茶掴みにくいけど、あたしとシャルムさまは家族になったのだ、と思うと、姉として認めてもらえるよう威厳を持たなくちゃ、なんて思ったり。


「泣くなよ、オヤジ。もう一回会えて、結婚までさせてくれて、俺はすげえ嬉しいんだからさ……」

「申し訳ありません……天使長ともあろう者が無様な……」

「……いや、オヤジの気持ちは嬉しいよ。俺の所為で泣かせてごめんな。……あと、俺が自棄になってた頃、色々してくれてありがとう。今思えば、なんで俺はあんなに頑なになってたんだろうな……オヤジやカステリアやみんなが俺の為にと思ってくれてるの、どっかでは解ってた筈なのに、俺は独りだと思い込んで……」

「エアリスさまのおかげですな」

「そうだな……」


 エドガーと天使長さまの会話が聞こえてくる。

 それから、あたし達は天使長さまに見送られて、最後の野営地を後にした。結婚式を挙げて、エドガーの妻になった場所を。

 帰りにまたここに立つ時、あたしは何を思うのだろう。


―――


 雲一つない明るい青空を、馬車は駆け上がってゆく。


「ねえ、あの……円環の儀、って、誰が仕切るの? なにを……するの?」


 今まで避けてきた話題だけど、もう逃げる訳にはいかない。贄の妃としてあたしに何か役割があるならば、知っておかなくちゃいけないし……。


「ん……。円環には、『円環の番人』と呼ばれる方がいて、その方が仕切るんだよ。その方は御神の一部、不老不死の存在で、円環が出来た太古からずっとそこにおられるらしい。御神の一部なんだから、俺たちみたいな感情とかないらしい。儀式自体は、単なる清めの儀式みたいなもので、普通なら最後に贄の王子はそこでただ一つの願いをするんだけど、もう使っちまったからなー。で、俺はおまえに王冠と王杖を渡して、円環に入る。そんだけだよ……」


 エドガーは馬車の窓枠に肘を乗せ、頬杖をついて外を見てる。エドガーがあたしを見ずに大事な話をする時は、なんか都合の悪い事……あたしを悲しませるような隠し事がある時だ、ってあたしはもう知っている。


「贄の王子のただ一つの願い、って、普通は何に使うものなの?」

「……別にいいだろ、もう使っちまったんだから」

「よくないよ、あたしの為に使ったせいで、何か悪い事があるんじゃないの?」

「……知らなくていいんだよ、おまえは。そして、前から言ってる通り、幸せな感情を俺に送ってくれよ。先に言っとくけど、今、おまえは俺を感じ取れる状態にあるけど、円環に入る時、俺からおまえへの感情の流れは断つからな。前と同じ状態だ。でも、俺は何があっても死ぬまでおまえを愛してるから、今感じてる感情を忘れないで欲しい」


 あたしは今、エドガーからの温かく激しく切ない想いをずっと感じ続けてる。あの、魔族に囚われたエドガーにあたしが呼びかけ、エドガーが無意識に、それまでかけてた制限を外した時からずっと、だ。あたしはそれを頼りに今後を過ごそうと思っていたのに、いきなりそんな事を言われて衝撃を受けた。


「なんで?! やだよ、そんなの! エドガーの考えてる事くらいわかるよ。お務めで苦しい事があるから、それをあたしに伝えたくないんでしょ?! でも、あたしは何でもエドガーと共有したいよ!!」

「俺だって……!!」


 とエドガーは言いかけたけど、


「とにかく駄目なものは駄目だ。おまえにいつも快適な気分でいて欲しい」

「やだっ!」

「ま、まあまあ、今頃夫婦喧嘩しないで下さいよ……」


 レガートさまが宥めたけど、エドガーはぷいっと向こうを向いてしまう。でも、あたしの手はぎゅっと握ったままだ。どうしようもない、という切ない感情が流れ込んでくる。


「ごめん、エドガー……」

「……べつに」

「お願い、エドガー……」

「駄目だ」


 取り付く島もない、とはこういう状態か。エドガーはもうずっと、この事を決めてたんだ。つまり、やっぱり、絶対あたしに感じさせたくないくらい、お務めは辛いことなんだ……。


『殆どの王子は、骨もろくに残ってない、って言うわ! お務めは厳しすぎて、寿命を全うする事は不可能なの。だから、希望なんてないの! 無駄無駄! あはは!』


 あの女の言葉が思い出される……。眠ったまま魔力を差し出すだけじゃなかったの? 骨も残らない、ってどういうこと……それじゃお務めが最後まで出来てない、って事じゃん。エドガーは、最後までお務めをやる、って言い切った。だから、ちゃんとお務めが終わるまで生きてるよね? どんな姿になってたって、ちょっとしか時間が残ってなくなってたって……待つんだから……。


―――


 蒼天にきらっと輝くものが見えた。

 最初は小さな光の点に過ぎなかったけれど、近づくにつれて、それは巨大な黄金の輪……車輪みたいなものだと判る。

 馬車が止まると、エドガーはさっさと自分で扉を開けて外に出ちゃった。でも、あたしが降りるのには手を貸してくれる。こんな気まずいままじゃ嫌だと思うのに、言葉が出て来ない。

 円環の真ん中に沿うように地面があり、中心部から少し離れた所に小さな聖殿がある。

 その前に、長身の白装束を纏った人物が立っていた。驚くほどに美しいのに、男性なのか女性なのか判らない。盲目なのか、目の周りには白い布が巻かれてる。乱れもない純白の大きな翼……でも天使じゃない。御神の一部だという、円環の番人なんだって、すぐに判った。

 その方は、静かにあたし達に歩み寄って来られた。


「ようこそ……新たな贄の王子、セラフィムの新王エドガー7世と、その妃エアリス……そして王弟シャルム王子と天使長の息子レガート……」


 あたしがエドガーの妃になったのは昨夜なのに、この方はもう知っている?


「わたしは何もかもを知っている。数奇な運命を持つ贄の王子とその比翼。長い歴史の中で、比翼を持った贄の王子はそなたが初めてだ。比翼の為に、願いを使ってしまった者も……。それは、そなたが、贄の王子のお務めの本質を理解しているからだ」

「……かも知れません。私は充分に魔力を蓄えています。比翼の存在は、お務めの妨げにはなりません」


 エドガーは、番人の前に膝をついてそう言った。

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