50・婚姻

 ペガサスの曳く馬車は天空を駆ける。


 お城へ報告する為に騎士さま達は引き上げてゆき、今は最初と同じように数名の騎士さまたちが馬車に随行しているだけ。

 馬車の中には、エドガーとあたし、シャルムさまとレガートさま。本当は、贄の王子、妃、王子の肉親の三人で行くものなんだけど、『ここまで来たからには、俺も最後までお供させて下さい!』ってレガートさまが言い張り、色々と前代未聞な事が起きて、エドガーを救うのにレガートさまも貢献したから、とシャルムさまも口添えをくれて、エドガーも了承した。

 人間界の道路を走る馬車とは違い、空を駆ける馬車は揺れる事もない。

 シャルムさまとレガートさまは、消耗も激しかったので、眠ってる事が多い。

 あたしはエドガーと手を繋いで、肩に頭をもたせかける。


 恐ろしい敵が元々贄の妃だった事実が判明して、あたしは色々考えさせられた。

 あたしとエドガーは正式に結婚してる訳じゃないけど、エドガーは『俺の嫁はエアリスだけだ!』って言ってくれた。今はまだ、あれだけ言われても希望を捨てずに待つつもりでいるけれど……本当はない希望にずっと縋っていたら、いつかあたしもあんな風になってしまうのではないか、と怖くなった。勿論、あんな風に他人の不幸を喜ぶ程に壊れるとは思わないけど……『愛するから辛いんだ、愛なんか捨ててしまおう』って気持ちになってしまったらどうしよう。エドガーはあたしが幸せでいて、その幸せを感じたい、と言っているのに、その望みを叶えてあげられなかったら……。


「エアリス……おまえは強いから大丈夫だよ。あんな風にはならねーよ。それに、レガートやカステリアやシャルムがおまえを助けてくれるよ」


 と、あたしの不安が伝わったらしく、エドガーは優しく笑ってぎゅっと手を握ってくれる。


「あたし、そんなに強くないよ……」

「強いよ。俺は信じてる。そしておまえは俺の信頼を裏切ったりしない」

「そう……思いたいけど……」


 あたし達は唇を重ねる。エドガーの結婚は無効だったのだから、あたし達は自由……円環に着くまでに過ぎないけれど。


「そうだ、そう言えば、なんでエドガーはあたしを比翼にしたの? もう今更隠す理由ないよね」

「あーーー」


 エドガーは視線を逸らし、気まずそう。


「がっかりさせるって言ったろ? 聞きたいのか」

「うん。なんでも知っておきたいよ」

「おまえに一目惚れした、とか、そんなんじゃない」

「……解ってるよ、それくらい」

「そうか、ならまあいいか。あの時の俺は、自暴自棄だった。でも、お務めは勿論きちんとやるつもりでいた。そんな時に、人間の魂が降って来た。俺が握り潰したら、消えてしまいそうな儚い輝きに見えた。でも俺は、こいつに命を与えたら、こいつが俺が円環に入っても、生きて普通に暮らせたら、俺も円環の中で夢を見て、その暮らしを……普通に生きてる幸せを感じられるかなと……それで、俺のやってる事にも意味があるんだって思えるかも……そんな風にふっと思いついたんだ。あと、直接誰かの命を救ったら、その事を嬉しく思うのかどうなのか知りたかった、かな。それだけ。どうだ、がっかりしたか!」

「ううん。あーやっぱりそんなことかー、って感じ」

「……」


 あたしの反応が、想像と違ったのでちょっと戸惑ったみたいだたけど、


「んー、まあ、そういう訳で、最初はほんとにペットとしか思ってなかったけど、今では、本当に愛してるからな! おまえは俺の命だ。わかったか?」


 この時、あたしはシャルムさまとレガートさまが狸寝入りしてる事に気付いたけど、それは見なかった事にして、


「うん……そう言って貰えるだけで、きっと幸せに過ごして行けると思う……」


 と答えてエドガーの腕に頬を寄せた。


 夜が来れば、野営をする。

 贄の王子と妃の天幕、シャルムさまの天幕が用意されてて、レガートさまはシャルムさまの天幕にもぐり込む。騎士さま達の天幕もあるけど、交代で夜番に立つ。少しずつ聖域に近づいていて、もう何も危険はないと感じられるけれど。

 あたしがエドガーと同じ天幕で休むのを勿論誰も咎めはしない。でもあたし達は正式に結婚した訳ではないし、たくさん話したりキスしたりして、後は手を繋いで眠るばかり。あたし達は毎晩同じ夢を見た。どこまでも青い空の下、手を繋いで笑い合いながら草原を駆けてゆく幸せな夢を。

 シャルムさまもレガートさまも、自分たちが結婚を取り仕切る司祭の資格をとっておくんだった、としきりに悔やんでる。実は内心あたしもそうだったら良かったのに、という気持ちがない訳ではなかったけれど、もう充分だから、と言っている。そう……こんな日がずっと続くのであれば、本当にもう充分、と心から言えると思うんだけど……日にちはどんどん減っていく。馬車は、円環に近づいていく。


―――


 もう明日には円環に着くかも、という日に、そのプレゼントは間に合った。

 あたし達は馬車でゆっくり旅をしてきたけど、早馬があたし達を追いかけてきていたのだ。早馬には、ペガサスを操る騎士さまと、王族の結婚式を執り仕切る天使長が乗っていた。


「どうしたんだよ、オヤジ」


 エドガーは幼馴染のレガートさまの父である天使長さまを、なんと私的な場所ではオヤジと呼んでいるのだ。

 そもそも、王太子であるエドガーの素の言葉遣いが悪すぎるのは、びっくりな事に、天使長さまが関与しているのだという。エドガーが心を閉ざしていた少年期、天使長さまは非公式にエドガーをペガサスの放牧地に連れて行かれたそうで、エドガーの心を解くには至らなかったけれど、エドガーが誰だか知らない馬飼いの少年たちと数日過ごして少しだけ打ち解けた時に、今の言葉遣いが身に付いちゃったそう。尤も、エドガーの身分を知った少年たちが、下級貴族のお坊ちゃんと思って気安く接していたのを掌返して畏まってしまったので、エドガーは結果的には逆に傷ついたそうなんだけども。

 それでも今は、そうやって自分を気遣ってくれた天使長さまにエドガーは親しみを持っている。自分の両親には気安く出来なくても、天使長さまには出来るらしい。


「エドガーさま。ご両親のたっての望みで、私は追いかけて来ました。間に合って良かった……。私は、エドガーさまとエアリスさまを正式な夫妻とする為に遣わされたのです」

「え……」

「アリーシャ姫との時のようにご身分に似つかわしい式を挙げる事が出来なくて申し訳ありません。けれど……ここには幾人もの見届け人がいますし、これでエアリスさまは御神に認められたエドガーさまの妃、贄の妃となるのです。まさか……ご異存はありませんでしょう?」

「ある訳あるかよ! ありがとう、オヤジ!!」


 エドガーは大喜びで、天使長さまに抱きつきそうな勢いだった。レガートさまは苦笑してる。


「良かったね、エアリスちゃん」


 あたしに求婚してたレガートさまにそう言われると、何だか申し訳ない気持ちになってしまう。だけどレガートさまはにこにこして、


「僕はエアリスちゃんの幸せを見たいんだってば。今は今の幸せを感じて、それを心に止めておくといいよ。僕はいつだってエアリスちゃんを支えるからさ」


 って言ってくれる……。


 野営地で、ひっそりと式は挙げられた。

 王太子……そう言えば今は王であるエドガーの身分にはおよそそぐわない簡素な形だけど、肉親のシャルムさまも立ち会ってくれて、皆さまに祝福され、あたしは幸せだった……涙が溢れて来る。明日にはエドガーと四百年の別れをしないといけないこの日に、あたしは遂にエドガーの正式な妻になれた……。


「エドガー、エドガー……もう朝なんか来なければいいのに……」

「エアリス、いまの幸せは永遠に俺たちに刻み込まれるよ。どんな辛いお務めも、俺はこれで乗り切れるよ……」


 キスの嵐と、今まで知らなかった結びつきに、あたしは最初は少しだけ怯んだけども、エドガーを満足させたくって一生懸命な気持ちだった。エドガーは急かなかった。今まで以上に優しくて……。


 明日には別れなければいけない夜……あたしは遂にエドガーの真の妻になった。

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