49・魔族の正体
「うああああああ!!!!」
エドガーの魔道の鎖に締め付けられて、アリーシャは苦悶の絶叫をあげて膝をつく。肌が焼ける臭いがする。でもエドガーは無表情で、妻だった女を見下ろしてる。ふとあたしの視線に気づいたエドガーは、ふ、と笑って、
「俺が怖いか?」
と聞く。
「はあ? 怖い訳ないじゃん。あたしが一番怖かったのは、エドガーが心臓を槍で刺されてるのを見た時だよ……し、死んじゃったかと、思った……」
その答えを聞いて、エドガーはいつものように笑って、
「俺はちょっとおまえが怖くなったかなあ? 熊殺しのエアリス?」
「もう! やめてよっ!!」
騎士さまがシャルムさまの縄をほどき、シャルムさまは意識を取り戻して起き上がる。するとその様子を見てたレガートさまの方が入れ替わるようによろめいて、埃だらけの椅子に倒れ込む。
「レガートさま!」
「はは、大丈夫だよ。ちょっと……なんて言うか、気が緩んだだけ。少し休めば大丈夫」
「大丈夫じゃないです。傷跡から血が滲んでます。折角だいぶ良くなってたのに無茶ばっかりするから!」
「別に僕だけが無茶した訳じゃないし……すごいねえ、エアリスちゃん……熊殺しのエアリス、だって?」
「うう……言うんじゃなかった……」
村娘だった頃、夕暮れになっても戻って来ない近所の子どもの捜索にあたしも加わった。山に入って、腰に手斧を括りつけて、子どもを探す為に手ごろな樹に登ると……意外とすぐ近くにいた……毛を逆立てた大きな熊の前で腰を抜かした子が。その熊は、前の年にも村人を襲っていた。あたしは夢中で斧を振りかざして樹から飛び降り……斧は熊の脳天に直撃した。
村一番の狩人すら手こずっていた獲物を一撃で倒したと喝采されたはいいものの、『熊殺しのエアリス』の異名は近隣の村にまで知れ渡り、お嫁の貰い手がなくなる、と母さんが嘆いてた……懐かしい思い出……。
アリーシャはもがき苦しみ、大きく口を広げると、何か大きな塊を吐き出した! エドガーはさっと剣をとり、黒い塊を突き通す。すると、塊は霧になって消えてしまった。再びアリーシャを見ると、あの、丸く膨らんでたお腹が元通りになっていた。
「ど、どういうこと、これ?」
「魔族は眷属を生み出す時、魔の種を呑み、体内で力を植え付けると聞いた事がある。多分、妊娠の正体はそれだ。普通はそう時間はかからんというが、妊娠に見せかける為に成長を遅らせていたんだろう。だから、こいつの腹の中にいたのは、種から作られた出来そこないの魔獣だよ」
「妊婦じゃなかったんだ……」
愛らしい姫の姿の擬態が解けて、魔族の姿が現れる。だけど……邪悪な魔の念を纏い、黒い翼を持ってはいたけど、彼女は決して醜くはなかった。むしろ、かなり美女と言えると思う。
彼女は、苦しみつつも憎々し気にあたしを睨む。
「おまえ……いくらあたしに勝ったからって、運命には勝てないんだから……。あたしに殺されなくたって、エドガーはどうせ贄となって死ぬ!」
「……」
そう……この勝利は、大団円じゃない。中断された、円環への旅は再開される。それは変わらない……どんなにあたしやエドガーや皆が頑張って天界の危機を救ったからって、お務めはエドガーにしか出来ないのだから、免除されることはない。忘れてた訳じゃないけど、改めて言われると、勝利の喜びも薄れてしまう。
でもいま、無事にエドガーはあたしの隣にいる。もうこの女から誰も狙われる事はない。エドガーも心配せずにお務めが出来る……。
「おまえの本名は何だ?」
とエドガー。
「そんな事聞いてどうするの?」
「確かめたい事がある。おまえだって、もっと言いたい事があるんじゃないか?」
「……流石ね。察したのね」
エドガーが少しだけ拘束を緩めたようで、彼女は苦し気に顔を歪めてはいるけれど、呻き声を上げる事はなくなった。
「おまえは生粋の魔族にしては、天界慣れし過ぎていた。ミカエリスの作法も完璧に身に付けていたし、振る舞いに天使でないと疑わせるようなものは何もなかった。だからこそ、何かおかしいと感じつつも、魔族ではないかとは思いもしなかった……魔族となったリベカとの繋がりを疑ってさえ……おまえ自身が魔族だとはずっと気づかなかった」
「あんな女と一緒にしないで欲しいわ。あの女はただ、自分の欲が叶わなくて堕天の道を選んだんでしょう。一応同族の情けで、弱っていたから力を分けてやったら、『共通の敵のエドガーとエアリスを滅す為に助力するよう魔界で言われた』なんて言って取り入って来ただけなんだから」
「おまえの『世界をぶっ壊したい』は、自分の欲じゃないのかよ?」
「違うわよ! こんな世界……贄の王子がいなければ保てないような世界なんかおかしいと思ったのよ!」
「俺は世界の為に贄となる事を厭ってはいない……愛する者を、世界を救う為なら、それが俺にしか出来ないなら! なのに、おまえはその意志を無駄にしたいのかよ! 俺の意志じゃねえ、おまえの旦那の意志だ!!」
……どういう、こと……?
「兄上……彼女は……。私もたった今、思い当たりました……」
と、シャルムさま。
「そうよ……あたしの昔の名前は、アリアンヌ=ド=ミカエリス……」
「どういう事? ねえ、エドガー、どうしたの?!」
「エアリス……この女は、やはりかつては、ミカエリスの王族だった……。俺の前の贄の王子……まだ円環に居る筈の……王子の妻、贄の王妃、そして、贄の王妃という地位を捨て、堕天した伝説的な存在だ……。素顔を見て、肖像画を連想した」
「えええええ?!」
今、自分の夫のお務めが終わろうとしているのに、円環を壊そうとしてたの?! 全く理解出来ない。
「なんで? 自分の夫を愛してなかったの?」
「その時は愛してたわよ。すごく辛かったのは覚えてる。……でもね、ある日気づいたの。愛するから辛いんだって事。愛するのを止めて、愛する事を嘲り、踏み躙れば、あたしの心は満たされた。やがて愛という感情も忘れたわ。天界を憎み、堕天してから一層、あたしはその気持ちに呑みこまれた。愛する者同士を引き裂き、嬲り殺すと、あたしは癒されるのよ! 魔界でも人間界でも、そうやってあたしはたくさんの恋人たちを殺すのを趣味にして生きて来たの! 中には、自分だけ助けてくれなんて言い出す奴もいて、その相方の絶望っぷりも滑稽で面白かった! あはは!!!」
「あんた、狂ってるよ!」
「狂ってなんかないわよ……いや、狂ってるのかも……どっちだっていいわ。とにかくあたしは、おまえたちがあたしに翻弄されて苦しむのが可笑しくて仕方なかったわ。あの時、本当にエアリスを火あぶりに出来ると思ってわくわくしたのに! エドガーがどんな絶望した顔をするか、想像しただけで笑っちゃいそうだったわ!」
……この女、怖すぎです。
でも、あたしは聞かずにはいられない。
「なんで円環に着くまでに何もかもを壊そうとしたの? 折角、円環に行けるところだったのに……もしかしたら、旦那様はまだ生きてるかも知れないのに……」
「贄の王子がお務めが終わって生きてるかもなんて思ってる間抜けは世界中でおまえだけよ。代替わりの為に扉を開けたら、そこには……」
「おまえ、余計な事言うなよ!」
エドガーが拘束を強め、彼女は呻いたけれど、それでも続きを叫んだ。恐らく、あたしを苦しめたい一心で!
「殆どの王子は、骨もろくに残ってない、って言うわ! お務めは厳しすぎて、寿命を全うする事は不可能なの。だから、希望なんてないの! 無駄無駄! あはは!」
「……うそ、でしょ?」
あたしは茫然としながらエドガーに問いかける。エドガーはちょっと答えに迷ったみたいだけど、決心したようで、
「……本当だよ……だから、言っただろ、待つな、って……」
「やだ! あたし、待つから!」
「無駄だって!!」
あたしの駄々にエドガーも語気を強める。でも……エドガーの悲しみが伝わってくる。あたしの望みを叶えてやれないという悲しみ……。ごねても、エドガーを辛くさせるだけと悟ってあたしは黙る。
「エアリス、愚かなあんたが何故そこまでエドガーに愛されてるのか解らない。あたしだって、あの頃、一度死にかけたのに、あの人はあたしの為に『贄の王子の願い』を使ってはくれなかった。そうよ、後からその事を思い出して、あたしが愛だと思ってたものは多分違うんだと……愛なんて幻想に浸ってる奴らはみんな壊してやろうと思ったんだった」
「兄上のようなこと……誰にでも出来る事ではありません。あなたはそれがどんな結果を招くか知っていて、願いを自分に使って欲しかったのですか? ならば、あなたの方こそ、愛がない!」
「……うるさい! うるさい!! あたしのなにがわかるって言うのよお!! みんな死ねばいい!! あたしの前で苦しんで死ね!!」
「死ぬのはおまえだろうが、ばーか」
エドガーは怒気を浮かべてまた拘束を強めたようだった。
「ちょ、ちょっと待って。あたしはミカエリスの元王族で、今は魔界の貴族よ。ちゃんとした裁きにかける気はないの? 魔界に抗議すればいい、不可侵条約を破った、って、あたしを交渉の材料にしていいわ」
「はあ? おまえ、この期に及んで命が惜しくなったのかよ? 俺がいなくなると、おまえはまたみんなに魅了をかけるだろうが。だから今ここで始末してやるよ」
「待って、もうそんな魔力残ってないわ。だから……」
「嘘つくなよ。確かに伝説になるだけあって、おまえの魔力は凄い。贄の王子にだってなれたんじゃねーか?」
「……! そうだ、魔力をあんたにあげるわ。そうすればあんたはもしかしたら生き延びられるかも……」
「要らねーよ! そんな穢れた魔力!!」
「あたしはおまえの妻なのよ!」
「俺は魔族と結婚した覚えはねえよ。何もかも偽りだった結婚なんか無効だ。俺の嫁はエアリスだけだ!!」
言うなり、エドガーは、これ以上の魔力を消費するのも無駄とばかりに一気に剣を薙いだ! 堕ちた贄の妃は袈裟懸けに斬られたけれど、血も流さずにただどす黒い瘴気を撒き散らし……、
『悔しい……でも、あたしのせいでおまえは願いを使ってしまった……苦しみもがく様が見られないのが心残りだわ……』
と呪詛のような言葉を残し……消えた。
シャルムさまとレガートさまは長い溜息をついて、何か月も魅了されてた騎士さま達は茫然としてる。勿論今では、正しい裁きが行われたと頭では判っている筈だけど。
エドガーは剣を収め、あたしに歩み寄って抱擁した。
「すまん……。だけど、ここまで来たなら、円環まで一緒に来てくれないか。なんの式もしてないけど、おまえは俺の妃だ。愛してるって、最後まで言えるから……」
愛してる。もうお務めが終わるまで聞けないと思ってた言葉に、あたしは黙って頷いた。あたしも愛してる、なんて今更だと思ったから。
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