38・襲撃

 レガートさまはすぐに登城して色々情報を集めて来てくれた。


 アリーシャ妃が妊娠しているという話を、エドガーは定時報告の時まで知らされていなかった。両陛下や僅かな側近は聞いていたものの、エドガーへは『喜びのサプライズ』として伏せられていたそう。だから当然、エドガーから事前にあたし達に話もなかった訳で……。

 レガートさまが、その場にいたシャルムさまに聞いた話では、アリーシャ妃が『実は重大なお話があるのです』と切り出した時も、エドガーはただ不審げな顔になっただけで、妊娠発表を聞いて心から仰天した様子だったらしい。『そんな馬鹿な! 何を言いだすんだ、何かの間違いだろう!』とまで、みんなの前で思わず叫んでしまったそうで。でも、爆発的な喜びに包まれたみんなは、そんなエドガーの反応も、嬉しさと驚きの表れとしか思わなかったみたいで……。

 アリーシャ妃の話では、身籠ったのは結婚式の直後だった、というのが医師の診断だそうで。祝福の言葉が雨あられと降って来るなか、恥じらいに頬を染めたアリーシャ妃とは対照的に、エドガーはむっつりしていたそう。まあ、みんなはそれも照れ隠しだと思ったらしいけれど。


 ようやく人々の興奮が少しだけ冷めた夕刻、シャルムさまとレガートさまは、エドガーと三人で話す時間を持てた。


『俺は絶対にアリーシャに指一本触れてない。御神にかけて誓う。レガート、エアリスにそう伝えてくれ』


 と、まずエドガーは言ったそうで、それから、


『昼に何かあったろう。あいつ、大丈夫か? 大怪我とかしてないのは伝わってくるけど……。あいつが俺に助けを求めてるのが聞こえた……でもあの騒ぎの中でみんなの前から消える訳には流石にいかなかった。おまえが館にいる事は判ってたから任せたけど……』


 そこでレガートさまはあたしに起こった事とあたしが無事な事を報告した。エドガーは驚いた後はとてもほっとして、レガートさまにお礼を言ったそう。


『やっぱり、アリーシャの企みは進行中なんだ。エアリスを狙ってる事も変わりない。レガート、頼む、エアリスを護ってくれ。くそ、自由に動けなくてもどかしいな……。とにかく、アリーシャが妊娠してる訳はない。きっと侍医を抱え込んでるに違いない』

『ですが兄上、偽りの妊娠報告に何の意味があるでしょうか? いずれ露見する事なのに』

『それは俺も考えた。……あいつはとにかく、俺がいなくなった後もここに残って牛耳りたい。でも、半年の猶予の間に子作りがうまく行かなかったとなると、立場が悪くなると考えたのかも知れない。身籠った筈のガキは、流産しました、で通るからな。それでシャルムと再婚してシャルムの子を産めば、立場は安泰だ』

『……私も彼女に触れなかったらどうなります?』

『俺がいなくなれば、おまえはあいつの魅了に抗えなくなるだろ。あいつはとにかく自分の子どもをうちの玉座に就けたいんだから、なんとしてでもおまえを襲ってくるだろ』

『……』


 寝所でシャルムさまを魅了して、子作りの為に襲いかかるアリーシャ妃。怖すぎです。


『とにかく、これは茶番なんですね? エアリスちゃんにそう伝えていいですね?』

『ああ、頼む。本当は今すぐにあいつに会いに行って、騒動の詫びを言いたいが、とても抜け出せそうにない。でも、必ずそのうち会いに行くから、疑わないで欲しい、と言ってくれ。アリーシャには、どういうつもりかと今夜問いただしてみるよ。夫婦生活なんてない事、子どもが授かる筈なんてない事、あいつだって自分で判ってる筈なんだからな』

『分かりました。ああ良かった、俺、エドガーさまを張り倒せる自信なかったし……』

『は?』

『ああ、いや、なんでもないです』


 というのが、本日判明した事。

 御神にかけて、という誓いは何より神聖なものだから、絶対に信じていいよ、というレガートさまの言葉に、張りつめていたあたしの神経はほっと緩む。ちなみに、この『御神にかけて』という誓いは、結婚式でも使われないそう。互いに見つめ合って心の中で永遠の愛を誓うだけで、言葉にはしないのがしきたりらしい。エドガーは、慈愛を込めた視線を送りながらも心中では(腹黒女、さっさと国へ帰れ)と思っていたそうだ。まあ、天使さまと言えど、永遠の愛なんて、残り四百年以上の寿命でまっとう出来る自信がないから、こういう形が定着したのかも。

 この話を聞いた後に、あたしの心中を心配したカステリアさまが訪ねて下さったけど、もうあたしは、大丈夫、信じてますから、と言えた。


 翌日、エドガーは、シャルムさまとレガートさまに、前夜、アリーシャ妃と話した事を報告した。自分には子種がないから(嘘だとばれてはいるみたいだけど)手を触れていないのにどういう事なのか、と問いただすと、アリーシャ妃は、頬を染めて嬉しそうに、


『御神が直接授けて下さったに違いありません。わたくしとエドガーさまの御子は、きっとそれだけ特別な存在なんですわ』


 と答えたんだと。

 全く悪びれない様子に唖然として、エドガーはそれ以上追及出来なかったそうで……そう、普段他人行儀に接しているので、エドガーは妃に対しての距離をうまく制御出来ていないのだ。突き放していたいので、ずばっと思った事を言えない。そんな状態らしい。


 この話を聞いてあたしは、不謹慎かもとは思ったけれど、レガートさまに、アリーシャ妃は実際に妊娠しているけれど、父親はエドガーではないのではないか、という疑問をぶつけてみた。人間界ではいくらも聞いた話だし。だって、何もないのに妊娠したなんて、心が繋がってる訳でもない二人の間にそんな奇跡が起きる訳ないよ。

 でもレガートさまは、


『人間や魔族にはそういった事もあるらしいけど……僕ら天使では、結婚相手以外の子どもを身籠る事はあり得ないんだよ。アリーシャ妃の主張が本当で、御神がエドガーさまの御子を授けたと思うか、アリーシャ妃が昨日エドガーさまが推測してたみたいに、嘘を言ってるか、そのどちらかしかないと思うよ……まあ、後者だと思うけどね』


 と仰る。

 そうなのか、だったらやっぱり嘘の妊娠発表なのか、と、あたしとしては思うしかない。

 あの影の攻撃も怖かったし、未だにアリーシャ妃が何を狙い、あたしやレガートさま、カステリアさまをどうしたいのか、全く読めない。影に乗っ取られていたら、今頃どうなっていたんだろう……。


―――


 あたしは時々お城の中庭に出向く。

 あたしの歌は今も評判になっていたから、色んな方から歌ってくれと頼まれるのだ。最初は緊張しっぱなしだったけど、まあそういう事も回数を重ねれば慣れてゆく。あたしが歌っていると、頼んできた方以外の天使も、みんな仕事の手を休めてあたしの歌に聞き入っているみたい。嬉しいけれど、やっぱり、あたしが本当に聞かせたい相手はエドガーだ。でも、以前は時々休みの時間に会えてたのに、今ではエドガーは滅多に中庭に姿を現さない。休み時間にはアリーシャ妃が執務室に押しかけてべったりらしい……。

 あたしはただ、エドガーの執務室の窓が開いてるのをちらちら見ながら、癒しの力があるらしきあたしの歌声が、エドガーの疲れを少しでもほぐせたら、と願うしかない。


 ふとざわめきが起きたので顔を上げると、向かい側の扉からアリーシャ妃が侍女たちと一緒に出て来た。

 今いる中庭は、小庭園と呼ばれる、言わば裏庭的な場所で、妃はいつもは立派な東屋のある大庭園の方を散策してる筈なのに、なんでわざわざこっちに来るかな……。いやまあ、別に、妃の自由だから、そこを悪く思うのはあたしの僻みでしかないのは解っているけど、何か詰め物でもしているんだろうと自分に言い聞かせている、まだ目立ちはしないけれど徐々に大きくなっていく妃のお腹、ゆったりした妊婦用のドレス姿を目にすると、嫌でも黒い感情が湧き起るのは否めない。

 エドガーは常に妃かその息のかかった者に張り付かれて、妊娠発表からふた月以上経つのに、未だに逢いに来てくれない。あたしは、レガートさまに託された伝言だけを頼りにするしかない。

 時々は、疑いの心に苦しめられる。エドガーを疑うと言うより、レガートさまを疑ってしまうのだ。レガートさまは優しいから、あたしを慰めようとしてありもしない伝言をこまめにくれているだけなのではないかと……。逢いに来てくれるなんて言ってないのではないかと……。

 『御神にかけて触れてない』という話は、シャルムさまにも聞いたので信じているけど、でも……もしかしたら、妃の言うように、あたしに誓ったせいで子どもを作れないエドガーを神さまが憐れまれて子どもを下さったのでは……なんて想像してしまったり。エドガーが円環へ旅立つ頃には、本当にお腹に子どもがいるのか、診察しなくても見て判るようになってるかも知れない。妃がエドガーの子どもを産んだら、その子が次の王さまになってたら……エドガーが帰って来た時、妃はエドガーにとって、あたしより重要な存在になってしまうかも知れない。

 そんな事はないよ、と言って下さるレガートさま。でも、レガートさまはエドガーに、あたしの今後を頼まれているから、優しくしてくれているだけなのかも……。駄目だ、疑っちゃ駄目だ……。色んな考えが浮かんでは消える。全ては、エドガーと二人で逢えたら解決しそうなのに……ああでも、たったこれだけの時間でもうこんなに迷ってる。こんな事で本当に四百年も待てるのだろうか……。


「エアリスちゃん!」


 妃とは別の扉から出て来たレガートさまが、いつもの柔らかな笑顔で近づいてくる。あたしも笑い返し、あたしとレガートさまが恋人同士だと思っている周囲の方々は、遠慮のつもりなのか、歌のお礼を言って離れて行かれる。

 あたしは大樹の下にひとり。レガートさまが近づいてくる。


 だけどこの時。


「レガートさま。妃殿下が少しお話ししたいと仰っています」


 レガートさまの背後から、アリーシャ妃の侍女の一人が言伝を運んで来た。いったい何の話? とレガートさまもあたしも訝しんだけど、勿論断る訳にもいかず、


「また後でね、エアリスちゃん」


 と言ってレガートさまは妃の方へ歩いて行った。

 栗色の髪を風になびかせて、綺麗な白い翼を陽光が照らす。あたしはその時の後ろ姿が終生忘れられない事になった。


 中庭の丁度対角線上に、木陰になった芝生の場所があり、アリーシャ妃はそこに椅子を運ばせて座っている。レガートさまは彼女に近づいていく。近づいて跪こうとした時……大変なことが、起こった……。


 何かが空を切る音がした。黒いものが一条の線を描いて、平和そのものだった中庭の空を飛んだ。

 いち早くその邪悪なものに気付いたレガートさまは、武官として反射的に王太子妃を護る。本来なら、危急の際だから突き飛ばしても許されただろう。そしたら、レガートさまも避けて無傷だった筈。でも、妃は妊婦という事になっている。嘘かも知れないけれど手荒に出来ない……一瞬のうちにレガートさまはそう判断したのだろう。レガートさまはただ妃の盾になり、それを自らの背で受けたのだ。


「きゃああああ!!!」


 妃の侍女たちの悲鳴が響き渡る。あたしは、茫然としてその光景を見てた。いったい、何故……こんなことが……?


 直ぐに周囲の天使たちも非常事態に気付く。


「レガートさまっ!!」


 がっくりと膝をついたレガートさまの、左の翼の付け根には、深々と一本の矢が刺さり、そこから赤い血が溢れて、白い翼を赤く染める……。

 足元でぽすっと軽い音がしたのに、あたしはこの時全く気付かず、がくがくと膝を震わせ、


「レガートさま!!」


 と叫ぶ。


「エアリ……ちゃ……だい、じょ、ぶ、から……」


 振り向こうとしたレガートさまは掠れた声であたしの名を呼ぼうとしたけれど、口から血が溢れてそれ以上声もなく、妃の足元に倒れ込む。明るい光を、優しさを讃えた、琥珀色の瞳がゆっくりと閉じる。

 中庭は騒然となり、特に女性たちは皆泣き騒いだ。


「誰か、担架を! 医務官を!」

「レガートさま!!」




「ああ、駄目だ……息が……」

「こときれておしまいに……」


 うそ……うそ!! ほんの今、あたしに笑いかけてくれたのに……もう、動かない?

 やっぱり! レガートさまの『大丈夫』なんてあてにならないじゃない! レガートさまの嘘つき……!!

 為す術もないと思い、絶望に打ちひしがれ、声を上げ、涙を流すあたしに、この時、開かれた窓から大きな声が響いた。


「歌だ、エアリス、歌ってくれ!! 癒しの歌を! 奇跡の歌を!!」


 シャルムさまだった。

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