第42話 終わりと始まり①(ブライト視点)

 間に合わなかった。


 森をかき分けてたどり着いた切り立った崖の下。

 そこで血だまりの中に倒れるアリーシャ嬢の亡骸を見つけた僕は、がくりと地面に崩れ落ちた。

 どうしてこうなってしまったのか。

 僕は半年ほど前に起きた出来事を思い返していた。



 ***



 学園生活最後の卒業パーティーの夜、僕は途中で会場から逃げた。

 レイ家の者でありながら黒い目と髪をした容姿のことや大した力も持たないことを吹聴されて、いたたまれなくなった僕は誰にも何も言わずに逃げるように会場を後にした。

 エスコートしていたコーデリア嬢のことも放置して帰ってしまった。

 その結果がこれだ。


 あの夜、コーデリア嬢はジルベルトに何らかの薬を盛って既成事実を作った。

 卒業パーティーから数日が経ったある日、僕はジルベルトの屋敷に招かれてアリーシャ嬢との婚約破棄とコーデリア嬢との婚約の話を聞いた。

 多少のすれ違いはあったにせよ、あんなに仲のよかった二人の婚約破棄の話に、何の冗談かと耳を疑った。

 ジルベルトの様子がおかしいことに気づいた僕は、どういった経緯でこうなったのかを問い詰めた。

 少なくとも婚約破棄をするほどアリーシャ嬢との仲は悪くなかったし、コーデリア嬢との仲もよくはなかったはずだ。

 何かあったことはジルベルトの様子からも明らかだった。

 たぶん、ジルベルトは誰にも話す気はなかったんだと思う。

 でも、僕が一向に引き下がる気がないとわかると、酷く戸惑った様子であの夜のことを打ち明けてくれた。

 アリーシャ嬢とのファーストダンスを終えたジルベルトはコーデリア嬢に学園最後の思い出にとダンスに誘われたそうだ。一曲だけ踊った後、彼女から渡された飲み物を飲んでからの記憶がすっぽり抜け落ちているのだと眉間にしわを寄せた。

 そして、気がつくと朝になっていて学園の医務室で隣には一糸纏わぬコーデリア嬢が寝ていたという。

 ぽつりぽつりと話すジルベルトの顔が徐々に苦虫を噛みつぶしたように歪んでゆく。

 最後にジルベルトは言った――責任を取ってコーデリア嬢を娶ることにしたと。

 アリーシャ嬢はこのことを知っているのか聞くと、ジルベルトは唇を噛みしめて首を左右に振った。


「こんな話、アリーシャに言えるわけがないでしょう……今までずっとずっと大切にしてきたのに、こんなことになるなんて……」


 そう言って、ジルベルトは頭を抱えて項垂れた。

 ポツリと光るものがジルベルトから零れ落ちて、僕ははっと息をのんだ。


「ブライト……頼みが、あるんです……」


 俯いたまま呻くように絞り出された声に、僕は何を言われるんだろうと姿勢を正した。


「たのみ……?」

「僕の代わりに……アリーシャと……」


 一度言葉を切って、一呼吸おいたジルベルトが覚悟を決めたように言った。


「アリーシャと婚姻を結んではいただけないでしょうか?」


 それは、衝撃の一言だった。

 まるで雷にでも打たれたかのようにその場を動けなくなった僕に、ジルベルトは続けた。


「家同士の取り決めもあるし、そう簡単でないことはわかっています――――でも、僕ではもうアリーシャを幸せにしてあげることはできないから……だから、親友の貴方に彼女を託したいんです」


 そう言って顔を上げたジルベルトの顔は涙で濡れていて、それは今まで一度たりとも見たことのない、友人の初めての涙だった。

 その瞬間、僕は自分のしでかしたことの大きさを思い知った。

 あの時、僕が最後まで卒業パーティーに出ていたら。エスコートしていたコーデリア嬢を放置しなければ――――そうしたら、こんなことにはならなかったんじゃないだろうか。


 どうしよう……僕のせいだ。


 不意に気づいてしまった。

 だけど、僕はそれをジルベルトに打ち明けることができなかった。言ったらジルベルトに嫌われてしまうんじゃないかと恐れて。

 だから、せめてもの罪滅ぼしにジルベルトのためにできることは何でもしようと思った。


 ジルベルトは僕にアリーシャ嬢を託した。

 子供の頃に出会ってからひたむきに想い続けていたアリーシャ嬢と学園で再会して仲良くなって、婚約成立の時も「アリーシャと婚約できることになった」と嬉しそうに僕に一番に報告してくれた。

 そんなに好きだった人を他人に託すなんて、どんなに苦渋に満ちた決断だっただろう。

 僕にはもともと婚約者もいないし、レイ家の跡取りには認められなかったから結婚は比較的自由にできると思った。それどころか、きっとうちの一族は結婚して家を出ていってくれるなら厄介払いができると手放しで喜ぶかもしれない。アリーシャ嬢の家の承諾さえもらえれば、おそらく彼女とは結婚できるだろう。

 それでジルベルトの気がかりが少しでも減るのなら。

 僕はそう深く考えずにジルベルトの頼みを引き受けた。




 僕がアリーシャ嬢に会えたのは、それから二か月後のことだった。

 ジルベルトとの婚約破棄の後、アリーシャ嬢はずっと屋敷でふさぎ込んでいた。

 婚約期間を経てもうすぐ結婚だと思ってた婚約者から一方的に婚約破棄を言い渡されてしまったのだから、アリーシャ嬢の心労は計り知れないものだっただろう。

 僕はようやく会えることになったアリーシャ嬢をメイベル家の東屋で待つ間、どうやって婚約の話をもちかけようかと考えていた。

 やがて侍女に引かれるようにしてやってきたアリーシャ嬢の変わり果てた姿を見た瞬間、衝撃のあまり言葉がでなかった。

 もともと白かった肌は青白くなり、バランスのよかった体は痩せこけ、艶やかな銀髪もその輝きを失っていた。


「いらっしゃいませ、ブライト様」


 そう言ったアリーシャ嬢の声は覇気がなく少し枯れていて、目元は上手く化粧で隠してはいたけれど目の白い部分は赤く充血していた。おそらく少し前まで泣いていたのだろう。

 見るのもかわいそうな姿になってしまったアリーシャ嬢を前に、僕は泣きそうになった。

 なんとかジルベルトの分まで彼女を幸せにしてあげなくてはと強く思った。

 僕は握りしめた手に力を込めて、なるべくいつも通りを装ってアリーシャ嬢に挨拶を返した。


「やぁ、アリーシャ嬢。今日は招いてくれてありがとう」


 僕が以前と変わらない態度で接したからだろうか、アリーシャ嬢も学園にいた頃のように僕に接してくれた。

 彼女とはジルベルトの話でよく盛り上がったけれど、ジルベルトの話題は今は避けたほうがいいだろう。その状態でお互い話をするのは初めてで、何をしゃべればいいか分からなかった僕は学園での思い出話をすることにした。

 でも、どんなに話題を避けていたって、どうしてもジルベルトの話が出てきてしまう。

 僕がうっかりジルベルトの名前をぽろりと出すと、アリーシャ嬢がその身を強張らせた。

 みるみるうちに大きな目が潤んでぽろぽろと涙が溢れだしたのを見て、しまったと思いながら僕はアリーシャ嬢にハンカチを差し出した。

 アリーシャ嬢はハンカチを受け取って、それを目に押し当てながら口を開いた。


「ねぇ、ブライト様……わたし、何がいけなかったのでしょう」

「アリーシャ嬢……」

「何がダメだったのでしょう。ずっとずっとお慕いしていたのに……結局、私は政略結婚の相手でしかなかったということでしょうか。だから、お互いを想い合うコーデリア様にはかなわなかったのでしょうか」


 堰を切ったように溢れ出した言葉に、僕は強く首を振る。


「それは違うよ……!」

「じゃあ、なぜジル様は私をお捨てになったのっ!?」

「それは……」


 僕は言いよどんだ。

 それはコーデリア嬢がジルベルトを陥れたからで、ジルベルトはそれをアリーシャには言えないと言った。

 ジルベルトが言えなかったことを僕からアリーシャ嬢に伝えることははばかれた。

 僕は唇を噛みしめて、真実を暴露してしまいたい衝動を抑えつけた。

 ジルベルトは幼い頃からアリーシャ嬢を想い続けていたし、結婚だってジルベルトが親を説得してメイベル家に婚約を申し込んだって聞いている。ジルベルトが想っている相手はずっと昔からアリーシャ嬢なのに。

 それなのに、アリーシャ嬢を大切にしたいと思っていたジルベルトの存在が彼女を悲しませている。

 「ジル様、ジル様」と泣きじゃくる痛ましい姿に、僕はたまらずに「僕ではダメかな」と言っていた。


「僕ではジルベルトの代わりにはなれないかな?」


 続けた言葉に、アリーシャ嬢は驚いたように目を見開いて掠れた声で呟いた。


「ジル様の、代わり……?」

「うん――――アリーシャ嬢、僕と生涯を共にする気はない?」


 気持ちが焦って求婚してしまった僕を見て、アリーシャ嬢が驚きのあまり動きを止めた。

 たっぷり時間をおいて、アリーシャ嬢の目に光が戻ってくる。彼女は僕の貸したハンカチで目元の涙をふくと、ふわりと儚げに微笑んだ。


「慰めてくださってありがとうございます。お気持ちだけ、ありがたく受け取らせていただきますわ――――けれど、この身も心もジル様に捧げると決めてしまいましたの」

「でも、それじゃあ、アリーシャ嬢は……!」

「ええ、今後どなたとも結婚するつもりはありませんわ」


 だからブライト様とも結婚できませんと、アリーシャ嬢ははっきりと僕の申し出を拒絶して力なく笑った。

 その切ない笑顔を見て、僕は今まで考えていた自分の考えの浅はかさに気づいてしまった。


 ごめん、ジルベルト。僕じゃ君の代わりになんてなれないよ。

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