第47話 秘密の話をいたしましょう③

「最後……」


 反芻するように呟いた私の声は掠れていた。

 どきりと心臓が跳ねて、ぐらりと体が揺らぎそうになる。それを必死に踏みとどまってブライト様を見れば、彼はとても苦しそうな顔で私を見ていた。


「できれば、こんなこと言いたくなかった。でも、もう時間がないんだ――だから、伝えておくよ。アリーシャ嬢、君はおそらく明日の卒業パーティーが無事に終わったら……終わったら……」


 その先をなかなか言い出せずにいるブライト様に代わって、私が続ける。


「…………私は消える、のですね?」


 薄々そうではないかと思っていたけれど、言葉にしたら胸がちくりと痛んだ。

 私の言葉を聞いて、ブライト様がくしゃりと顔を歪ませた。


「しってた、の……?」

「薄々とですが……でも、ブライト様がおっしゃるってことはそういうことなんでしょう?」

「なんで……なんでそんなに落ち着いていられるのさ!? 消えちゃうかもしれないんだよ!?」


 取り乱して言うブライト様に、私は眉尻を下げて小さく首を振った。


「別に落ち着いているわけではありませんのよ……もう散々思い悩んで自分に折り合いをつけたあと、とでも言いましょうか……思えば、この状況からして既にあり得ないことですし」


 消えるかもと思い至った当初は自分がどうなってしまうのか不安でしょうがなかったものですが、悩みぬけば不思議と達観した気持ちになった。

 もともと私はジル様の婚約者に戻ることはできない。そんな私がしようとしていたのは、お姑さんのように二人の婚約解消のない未来を見守ることだったはずで。

 消えるということは望んだ未来を迎えたということを意味している。そう悲観しなくてもいいことなのかもしれない、そう思うようにしたら気分が楽になったのです。


「そもそも死んだ人間がいつまでも現世ここに留まっていること自体、世の理に反していると思うのです」

「でも、それは僕が君を無理矢理連れてきたからで……」


 ブライト様が眉間にしわを寄せて両手で顔を覆った。


「ごめん……こんなはずじゃなかったんだ。君がジルベルトの中じゃなくて、アリーシャ嬢の中にちゃんと戻れていればこんなことにはならなかったのに」


 それはまるでアリーシャの中に戻れていたならすべてが丸く収まっていたような言い方だった。

 そういえば、ブライト様は私がジル様の中にいることが想定外だと言った。もしかして、私がアリーシャの中に戻ってきていれば消えずに済んだということなのでしょうか?

 そんなことを考えていると、ブライト様は今の私の状態について説明してくれた。


「……君の魂は本来の器に戻らなかったせいで、とても不安定な状態にあるんだ」

「不安定な状態?」

「最初の頃、君に今の状態はジルベルトに憑りついた幽霊みたいな存在だと言ったのを覚えてる?」

「そういえば、そんなことを言われましたわね……」

「君は自分じゃない体に入り込んでしまったせいで、魂と肉体の結びつきが非常に弱い状態なんだよ」

「??」


 言っている意味がよくわからない。

 首を傾げて見せれば、ブライト様は少し考えるそぶりをして席を立った。


「ええと……アリーシャ嬢、手を前に突き出すように出してみて?」


 何でしょう?

 私は訳がわからないまま、言われた通りに手を突き出してブライト様の出方を待ってみる。

 すると、目の前に立ったブライト様がいきなり握りしめた拳を繰り出してきた。手のひらと拳がぶつかり合ってパンッと大きな音を立てる。

 その一瞬あとに、ブライト様が殴りかかった方の手を押さえて蹲った。


「ぃったー……」

「い、いきなり何をなさいますの!?」


 席を立ってブライト様の横にしゃがみこめば、ブライト様は痛みに顔を顰めたまま「それ」と私の手を指さした。


「あんまり痛くなかったでしょ?」

「え? ええ、大して痛みは感じませんでしたが……?」


 何かおかしなところがあったのかと思って首を傾げて見せれば、ブライト様が今の行動の種明かしをしてくれた。


「いいかい? 僕は今、全力で君に殴りかかったんだ。これでも剣を振るえるくらいの腕力はあるからね、普通なら結構な痛みを感じてもおかしくないはずだよ。でも、君は大して痛くないと言った――――それはつまり、肉体と魂のつながりが弱いことを意味しているんだ」

「以前お話ししていた魂の定着具合のお話ですか?」


 以前、ジル様と私の体の支配権の話をした時に同じような話になったのを思い出した。

 確か、生きているジル様の方が肉体と魂の結びつきが強いから、どうしても体の支配権や感覚の強度はジル様の方が優位に働くという話だった気がする。


「そう。睡眠薬入りのお茶でジルベルトだけ先に寝ちゃうのもそれが原因だね。魂と肉体のつながりが弱いから、感覚の伝わり方も弱い……ジルベルトの体を共同で使っているとは言っても、アリーシャ嬢にとっては本来の体じゃないから魂を肉体に定着させることができないんだよ。だから、何かあると簡単に魂が揺らいでしまう」

「つまり、魂が肉体に定着できていないから私は消えてしまうということですか?」

「そう――肉体のない状態で心残りを昇華してしまったら、おそらく君は成仏してしまう……と思う」


 『と思う』と小さく付け加えらえていたけれど、ブライト様の様子では十中八九その通りになるのだろう。

 それならそうと受け入れるしかない。

 本当はまだ消えたくない。まだジル様と一緒にいたい。まだここにいたい。

 泣き叫びたい衝動を心に押しとどめて、やっとのことで「そう、ですか」と返すことしかできなかった。

 目の前のブライト様は今にも泣きそうな顔で、そういえば前にも同じようなことがありましたわねとぼんやり思った。

 ブライト様が私の両手を取って額にくっつける。


「ごめん、アリーシャ嬢。僕は君を悲しませてばかりだね……ほんと、どうしてこうなっちゃったんだろう……」


 懺悔のようなブライト様の言葉に、私はゆるりと首を振って否定する。

 謝ってほしいわけじゃない。こんな顔をさせたいわけじゃない。ブライト様はもう十分頑張ってくれたのです。

 命を懸けて魔術を使ってまで時を戻してくれたブライト様には感謝しかない。私はまだその思いを彼に伝えられていない。

 これが最後になるのなら伝えておかないと。

 ちゃんと伝わりますように、そう思いながらブライト様の手を握り返す。


「そんなことありません……私、ブライト様には感謝しているのです。一度は閉ざされてしまったジル様との未来を、こうしてジル様の一番近いところでやり直す機会をくださったのですから」

「アリーシャ嬢……」

「それに……ブライト様。私ね、戻ってきたのがジル様の中でよかったと思っていますのよ?」

「え……?」

「だって、今まで知らなかったジル様をたくさん知ることができましたもの」


 ジル様が私に対してどう思っているかとか、子供の頃の話とか、それはきっとアリーシャの中に戻っていたらわからないままだったと思うから。


「ですから……ありがとうございます、ブライト様。私をここに連れて来てくれて」


 とても穏やかな気持ちで感謝の気持ちを伝えることができた。

 顔を上げたブライト様の目からぼろっと涙が零れ落ちた。


「アリーシャじょう……なにか……ぼくに何かしてあげられることはない……?」


 涙声でそう聞かれて、考える。

 真っ先に思い浮かんだのは二つ。

 

「ブライト様は消えたりしませんのよね?」


 確認すれば、ブライト様はばつが悪そうな顔をして肯定した。まるで自分だけ残ってしまうのが悪いと思っているような表情だ。


「…………僕はちゃんと自分の中に帰ってこれたからね。たぶん、消えない……と思う」

「それなら、私がブライト様に願うのは二つだけですわ」


 私はまっすぐにブライト様の双黒の瞳を見つめて『願い』を口にする。


「一つは、ここでお話ししたことはジル様には内緒にしてほしいのです」

「っ!? ジルベルトには言わないつもり!?」

「ええ。私、ジル様とは最後まで笑っておそばにいたいの」

「………………」

「――――ね? お願い」

「………………」

「………………」

「……………………わかった」


 根負けしたと言わんばかりに、ブライト様はため息ながらも私の願いを聞き入れてくれた。

 渋々ながらも聞き入れてもらえたことに満足して、私はもう一つの願いを口にする。


「あと一つはブライト様に――今度は自由に生きてくださいね」


 ブライト様が大きく目を見開いた。


「もうジル様にも私にもとらわれなくていいのです。ブライト様の思うがままの人生を送ってください」

「でっ、でもっ、僕は君たちの友達でっ……」

「ええ。ですから、お願いとかそういうのは抜きで、ブライト様さえよければ、この先もずっとアリーシャとジル様のお友達でいてくださいませんか?」


 ブライト様が涙をためたままの目で私にすがるような視線を向けてくる。


「いいの……? 僕はまだ君たちの友達でいていいの……?」

「当たり前ではありませんか。今も昔も、ブライト様は私たちにとって大切なお友達でしてよ!」


 私が力強く頷くと、迷子の子供のような顔をしていたブライト様は晴れやかな笑みを浮かべた。

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