第41話 答え合わせをいたしましょう

 ブライト様も時を遡っているのかもしれない。

 その可能性に思い至った私とジル様は、放課後ブライト様を温室に呼び出して事実を確認するつもりだった。


 ブライト様に勉強会の後に約束を取りつけて、あとは放課後どうやって話を切り出そうかと考えていた矢先、午後の剣技の授業でブライト様が倒れた。

 剣を受けきれずに失神したブライト様は、ジル様と手合わせ相手だったライアン様に担がれて医務室へと運ばれた。

 結果、わかったのは『寝不足』ということだった。

 医務室にいた養護の先生にそう伝えられて、ライアン様は気が抜けたように大きく息をついて「なんだおどかしやがって」と悪態をついた。

 そもそもブライト様が失神したきっかけをつくったのはライアン様だというのに、その言い方はないのではないでしょうか。

 むっとしていると、ジル様も同じことを思ったのかライアン様をたしなめた。


「ライアン、その言い方はないのではないですか?」

「…………悪かったな。口が悪くて」


 ライアン様も自覚があるのか、ばつが悪そうな顔をして目をそらした。

 たしなめれば謝ることができる方なのに、どうしてブライト様には当たりがきついのでしょう。ブライト様もライアン様がそんな態度を取られるせいで苦手意識を抱いているようですし。

 私がジル様の中でもんもんとしていると、ジル様の口が開いた。


「前々から思っていましたが、なぜブライトに対してだけそんなに当たりがきついんですか?」

「それは……」


 ジル様の指摘にライアン様が口ごもる。


「ブライトが何かしたんですか? こう言ってはなんですが、ブライトは他人を傷つけるようなことをする人ではないと思うのですが」

「んなこたわかってるんだ…………別に、こいつに何かされたわけじゃないけどよ」


 そう前置きをした上で、ライアン様はぼそりと本音を呟いた。


「気に食わないんだよ――――伯爵家の跡取りとして生まれておきながら、いつもいつもジルベルトの後ろに隠れるようにして自分の意見ははっきり言わない、自分を卑下したような物言いをする、あげく周りにレイ家の出来損ない呼ばわりされてもへらへらへらへら……こんなやつでも将来は爵位を継いでレイ家の主になれるのかと思うと、どうしてもイライラを抑えられなくて……!」

「ライアン……」


 それは嫡男に生まれることができなかったライアン様の行き場のない思いだった。

 ライアン様はぎゅっと拳を握りしめて、声を絞り出すように続けた。


「わかってる……こんなのただの妬みで、ブライトにしてみたら謂れのないことで、とばっちりもいいとこだってことはわかってるんだ」


 わかってる……だから、そんなにばつの悪い顔をしていらっしゃるのですね。

 ジル様はベッドで眠るブライト様を見て、ライアン様に向き直った。


「ライアン……ブライトは爵位を継ぐことはできないそうですよ」


 静かに告げられた言葉に、ライアン様が驚いたように目を見開いた。


「な、に?」

「まだ公にはされていませんが、ブライト本人から聞いたので間違いありません」

「なん……で……」

「彼が家を継ぐことを一族中から反対されたと聞きました……ライアン、ブライトは嫡男として生まれながら、家を継ぐことを許されなかったんです。ブライトは笑って平気だと言いますが、きっと彼だって傷ついているはずで――だからどうか、その行き場のない思いをブライトに向けるのはやめてもらえませんか?」

「…………おれ、は……」


 手のひらで顔を覆うようにしてライアン様は項垂れた。

 その掠れた声音からは後悔の念が伝わってきた。


「今度ブライトが起きたらもう少し優しく接してあげてください。あと、爵位の話は他言無用でお願いします」

「あ……ああ。ブライトが起きたら、悪かったって伝えておいてくれないか?」

「それはちゃんとライアンから本人に伝えてください」


 ぴしゃりと突き放したジル様の言葉に、ライアン様は力なく「そうだよな」と言ってよろよろと医務室を出ていった。

 その一部始終を黙って見守っていた養護の先生は「若いねぇ」と一言もらすと、教員室に用事があるからとジル様にブライト様の付き添いをお願いして医務室を出ていった。



 ライアン様と養護の先生がいなくなると、途端に医務室は静かになった。

 開いた窓から流れ込む少し冷たい空気が白いカーテンを揺らす。

 授業の終わりを知らせる鐘が聞こえてくる。

 剣技の授業はその日の最後の授業だったから、もうすぐ帰りのホームルームを終えた生徒が帰途につく時間だ。

 医務室に残されたのは私と、ジル様とベッドに横たわっているブライト様だけ。

 帰りのホームルームをしているこの時間、医務室の周りに人けはない。

 ジル様はベッド脇にある椅子を引き寄せて座ると、ブライト様のお顔をじっと眺めた。

 青白い顔に目の下に浮かんだ濃い隈。

 どれだけ寝なければこんな顔色になるのでしょう。

 痛ましいものを見るような目でブライト様を見つめていると、ジル様がおもむろに口を開いた。


「ブライト、起きているのでしょう?」

「え!?」


 私が驚きの声をあげると、寝ていると思っていたブライト様がぱちりと目を開いた。


「なんだ、いつから気づいてたのさ?」


 ええ!? 本当に起きていらっしゃいましたの!?

 びっくりする私とは裏腹に、よいしょっと勢いよく半身を起こしたブライト様はへらりとした笑みを浮かべた。

 ジル様は小さくため息をつくと、呆れたように答えた。


「…………初めからです。ずっと寝たふりをしていましたね?」

「なかなか鋭いなぁ」

「茶化すのはやめてください。起きていたなら話に交じればよかったのに」

「やだよ。あそこで起きるなんて――まぁ、嫌われてる理由が分かってすっきりしたかな……ライアンは僕と違って兄弟の中でもとりわけ優秀って話だから色々と思うところもあったんだろうねぇ」


 『僕と違って』と何でもないことのように自分を卑下して言うブライト様に、モヤモヤした気持ちが湧き上がってくる。

 その言い方、好きになれませんわ。

 ブライト様だって幼い頃から周りにいろいろ言われてきてずっと辛い思いをなさってきたはずなのに。

 それなのに、なぜその当事者が他人事のように言うのでしょう。

 モヤモヤを通り越してブライト様の態度に怒りにも似た感情を抱いた私は、一言物申そうと口を開いた。

 けれど、滑り出した言葉は私のものではなくジル様のものだった。


「だからって、ブライトが何を言われてもいい理由にはならないでしょう!」

「そうですわ! ブライト様だって、今まで辛い思いをしてきたはずですのに! それなのに、どうしてそんなにご自分を卑下しようとなさるのですか!」


 同じ口から順番に発せられたジル様と私の非難の言葉に、ブライト様は息をのんだあと困ったように笑い出した。


「……そんなこと言って怒ってくれるの、君たちくらいだよ――――本当に、君たちは揃いも揃ってお人好しなんだから」


 ブライト様は笑いながら俯いて肩を震わせた。

 笑っているというよりも泣いているように見えて、私は何も言えなくなってしまう。

 やがて、ブライト様は俯いたまま「大丈夫」と言った。


「君たちがちゃんと僕をわかってくれてるから、僕は大丈夫でいられるんだ」


 そう言って顔を上げたブライト様は、眩しいものを見るように目を細めてジル様を見つめた。



 ***



 結局、ブライト様の体調のこともあって放課後の勉強会は中止になった。

 急遽早まった帰宅時間にレイ家の馬車が対応できなかったため、ジル様がバートル家の馬車でブライト様のお屋敷まで送ることを申し出た。

 さすがにふらふらした状態のブライト様を一人で帰宅させるわけにはいかないと、ジル様は半ば強引にブライト様を馬車に押し込んだ。

 走り出した馬車の中で、ジル様は向かいに座るブライト様を気遣うように声をかけた。


「今日くらいは早く寝た方がいいですよ」

「あー、うん……眠くなったらね」


 歯切れの悪い回答が返ってくる。

 これ、絶対に寝ないやつですわ。

 きっと同じことを思ったのでしょう。

 ジル様も胡乱気な視線をブライト様に向けた。


「そう言って、今日も魔術書を読みふける気ですね?」

「まぁ……たぶん、そうなるだろうね」


 ジル様の視線から逃げるように窓の外に目を向けたブライト様の表情は暗い。

 なぜ、ブライト様はそんなに必死に魔術書をよんでいらっしゃるのかしら。

 私は思うがままに聞きたかったことを口にした。


「ブライト様は何をそこまで必死になっていらっしゃるのですか?」

「何をって……!」


 何かを言いかけたブライト様は、ジル様の顔を見た瞬間はっと口を噤んで視線を窓の外に戻した。

 明らかに今、何か言いかけましたわね。


「何を隠していらっしゃいますの?」

「……………………」

「…………………」

「……………………」

「…………………」

「……………………」

「…………………わかりました。言い方を変えますわね」


 頑なに答えようとしないブライト様に痺れを切らした私は、ため息とともにあの質問を今ぶつけようと決意した。

 ジル様が口を挟まないということは言ってもいいということなんでしょう。

 私はまっすぐにブライト様を見据えて、昨日からどうやって切り出そうかと思っていた質問を投げかけた。


「ブライト様――――貴方は私と同じように魔術で時を遡ってきたのではありませんか?」


 私の質問に、ブライト様が明らかに動揺したそぶりを見せた。

 ブライト様はびくりと大きく肩を震わせて大きく目を見開くと、まるで石像にでもなったかのように身を硬くした。その顔からみるみるうちに血の気が引いていく。

 今にも倒れそうなほど青白くなったブライト様は、声にならない声で『なんで』と口だけを動かした。


「………………やっぱり、そうでしたのね」

「………………」


 沈黙が、答えだった。

 ブライト様は怯えたような目をジル様とその中にいる私に向けると、声を出そうとして失敗した。はくはくと何度か口を動かして、やっとのことで一言声を絞り出した。


「…………いつ、から……?」

「思い至ったのはつい昨日魔術書のことを聞いたからですけど、思えばずっと違和感のようなものは感じていました」

「い、わ、かん……?」


 消え入りそうな言葉を聞き漏らさないように聞いて、私は頷きを返した。


「だって、私の知っているブライト様はこんなにひどい顔色はしてませんでしたもの。それに数学だって、昔はもっとできませんでしたわ」


 感じていた違和感の正体を告げれば、ブライト様は目元を手で覆って自嘲するようにははっと笑った。


「ほぼ最初からじゃないか……そんなところを見られていたなんて、ね――――――ああ、そうだよ。アリーシャ嬢の言った通りさ……僕はアリーシャ嬢と同じ未来から死んで時を遡ってきたんだ……僕がしでかしてしまったあの日の過ちをやり直すために」

「あの日の、過ち……?」


 何ことだろうと首を傾げる私の前で、ブライト様は今にも泣きそうに顔を歪ませて項垂れた。


「話すよ、ぜんぶ…………未来で何があったのか」


 そうして、ブライト様は震える手を握りしめて昔を思い出すように目を閉じた。

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