第40話 違和感の正体

 ブライト様のお屋敷から帰ってきてからも、私はずっと『何か』について考えていた。

 ジル様の中で目覚める前後から今までに至るまでのことを一つ一つ思い出していく。

 生前の記憶は崖から飛び降りたところで途切れている。それより前の記憶を遡っても魔術書を読んだとか儀式らしきものをした覚えはない。第一、あの頃の私はふさぎ込んでいてそんな気力はなかったはずですし。


 ジル様の中で目覚めて、この時間を生きるアリーシャに会った私が自分を見失いかけていた時、ブライト様は私のことをアリーシャだと断定してくれた。

 それはオーラの色を見てのことだったかもしれない。

 けれど、そのあとすぐに逆行転生の魔術について話を持ち出してきた。

 ブライト様は私に未来で死んだ記憶があると知ると、確信をもって私がここではない未来で死んで、魂だけ過去に戻ってきたと言った。

 そう言っていたから、私はてっきり自分で逆行転生の魔術を使って時を遡ってきたんだと思い込んでいた。

 でも、そもそもどうしてブライト様はアリーシャと同じ時間に存在しているというだけで逆行転生の魔術を使ったという結論に至ったのでしょう。同じ時間に存在しているというだけであれば、生霊と言われた方が説得力もあったはずなのに。


 そこまで考えた私は一つの可能性に思い至った。

 使


 ヒヤリとしたものが背筋を走る。

 そう考えた方が全てしっくりくるような気がした。



 ***



「アリーシャ、何か悩み事ですか?」


 就寝までのゆったりした時間。

 静寂に満ちた部屋に落とされたジル様の声に、私の思考は現実に引き戻された。

 窓際に備え付けてあった机で小難しそうな経済学の本を読んでいたジル様は、本を閉じると引き出しから小さな四角い手鏡を取り出して机の上に立てかけた。

 最近、ジル様は私と二人きりのときは鏡越しに話をすることが多い。

 こうしている方が話しているような気分になれるからというのが理由なのだけれど、私としてもジル様のお顔を見ながらお話しできるので嬉しかったりする。

 私は鏡の中のジル様を見つめながら小さく息をついた。

 ジル様、こういう時は鋭いんですから。


「悩み事とは少し違いますが……どうして、そう思われましたの?」

「最近うわの空になることが多かったでしょう? それに、レイ家から帰ってきてからの貴女はずっと黙りっぱなしで、二人きりなのに全然話しかけてきませんでしたし」

「わ、わたくし、そんなにおしゃべりでしょうか……」

「ええ、とても」


 ジル様にくすりと笑われて、むっとなる。


「だ、だって、仕方がないではありませんか! 私はこうすることでしかジル様と接することができないのですから……!」


 唇を少し尖らせて拗ねたように言えば、ジル様は頷いて続けた。


「ええ。ですから、アリーシャ。何か思うことがあるのなら話してほしいんです――僕では貴女の力になれませんか?」


 眉尻を下げて悲しそうな顔をしたジル様に私は狼狽えた。

 今そんな顔をするのはずるいと思いますの。そんな顔されたら、そんなことないって言うしかないではありませんか。


「……そんなことは、ありません、けど……」

「では、先ほどから何を考えていたんです?」

「それは……」


 ジル様に追及されて、私は言いよどむ。

 私は先ほどまで考えていたことを話すべきかどうか躊躇った。

 私が考えついたのはあくまで可能性の話であって、確定した話ではない。

 けれど、どうしても自分の中の何かがきっとそうだと訴えてくる。

 どう話したものかと考えた末、私は自分の中ではじき出した仮説を裏づけるために、ひとまずブライト様について聞いてみることにした。


「ジル様はブライト様のことをどうお思いですか?」

「ブライト、ですか?」


 唐突に出てきた友人の名前に、ジル様が変な顔をした。

 聞き方が曖昧すぎたか、と私は慌てて付け加える。


「ええと、ほら。最近ちょっと顔色が悪かったり、様子がおかしかったりしたではありませんか」

「確かに……顔色が悪いのは出会った頃からですけど、最近はちゃんと寝れているのか心配になるほど酷いですね」


 私はこのジル様の言葉にあれ? と思った。

 顔色が悪いのは出会った頃から?


「ブライト様ってジル様が初めてお会いした頃からあのような感じでしたの?」

「そうですよ? ああ、でも、初めてお茶会で会った時は目の下に隈はありませんでしたね」

「お茶会? ジル様はブライト様とは学園に入ってからお会いしたのではないのですか?」

「確かに仲良くなったのは学園に入ってからですが、初めて会ったのは貴女と初めて会ったレイ家のお茶会でですよ。もともとあのお茶会はブライトと歳の近い子供を引き合わせるために開かれたものでしたから」


 意外な情報が飛び込んできた。

 どうやら私とジル様が七歳の時に招かれたお茶会は、ブライト様のお母様が引きこもりがちだった息子のために開いたもののようだ。

 でも、あれ? と内心首を傾げる。


「え? でも、私ブライト様とお会いした覚えがないのですが……」

「…………貴女の記憶力は当てになりません」

「う……」


 ご指摘ごもっともで、ぐうの音も出ませんわ。

 なにせ、ジル様のことすら忘れているくらいですものね。


「ですが、ブライトが途中で気分が悪くなったと早々に部屋に戻ってしまったせいかもしれません」

「そうだったのですか」

「ええ。それからずっと会うことはありませんでしたが、学園に入って再会したんですよ」

「そうだったのですか…………その時にはもうあのような感じでしたの?」

「そうですね」

「……………………」

「………………」

「……………………」

「……アリーシャ?」

「……………………」


 再び思考の海に沈んだ私を訝しむようにジル様が呼びかけてくれたけれど、私はそれどころではない。

 おかしい。

 私の記憶の中のブライト様と合わない。

 私の知るブライト様は飄々としているけれど、出会った最初の頃は引っ込み思案で、いつもどこか自信がなさそうで、ジル様に手を引かれて歩いているような人だった。

 それは今でも変らないのだけれど、少なくともあんなに酷い顔色ではなかった。

 ジル様の中で目覚めた後、初めてブライト様に会った時の違和感を思い出す。

 あの時私は『前からこんなにやつれていたかしら』と思った。

 それから毎日顔を合わせているものだから、すっかりあの顔に見慣れてしまっていたけれど、私が生前から知るブライト様は少なくとも目の下に隈なんてなかったはずだ。

 ジル様の中で目覚めて以降いろんな人に会ったけれど、違和感を感じたのはブライト様にだけだった。


 やっぱり、ブライト様も私となの?


 そう考えれば、初めて会った時の違和感も、逆行転生の魔術に詳しいのも、以前よりちょっと数学ができるようになっているのも納得できる。

 それに私、ブライト様にリミットが卒業パーティーの日だなんて言ったかしら。

 生前開かれた卒業パーティーで、コーデリア様をエスコートしていたのはブライト様だった。

 ブライト様は『万が一ライアン様が断られたら、僕がパートナーを申し込まないといけないからね』と言っていた。まるでそれが当然であるかのように。


『アリーシャ嬢はジルベルトじゃないとダメなんだ』

『言っただろ? 僕は君たちの幸せな未来が見たいんだって』


 あの言葉も、必死な様子も、時折私のことを泣きそうな顔で見るのも、もし未来で起きたことを知っているのだとしたら。

 考えれば考えるほど、そうとしか思えなくなってくる。



「ジル様……」


 震える声で話しかける。

 私の声音が変わったのに気づいて、鏡の中のジル様がはっと息をのんだ。


「ブライト様……ブライト様は、私と同じなのかもしれない……」

「同じ……?」


 ジル様の問いかけに一つ頷いて、私は自分の出した結論を口にした。


「ブライト様も私と同じように、時を遡っているのかもしれません」

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