第54話 卒業パーティー⑥
「ちょっと! アリーシャ嬢! アリーシャ嬢ってば! 一体どうしたのさ!?」
背後からブライト様の声が投げかけられる。
ここまで来れば大丈夫かしら?
辺りに誰もいないのを確認してからブライト様とコーデリア様の手を放した私は、いったん足を止めて二人を振り返った。
「ジル様が毒を……」
「なっ……!?」
声が震えて最後まで言えなかった。
けれど、その一言でジル様に何があったのか察してくれたようだ。
ブライト様は驚愕の表情を浮かべて、コーデリア様も両手を口元に当てて愕然と立ちすくんだ。
「なんで……コーデリア嬢はずっと会場にいたのに……」
「コーデリア様ではありません。ライアン様が……」
「ライアン!?」
唐突に出てきたライアン様の名前に、二人が息をのむのがわかった。
「そんな……なんで、ライアンが……」
ブライト様が驚くのも無理もない。
前の未来でライアン様は私たちとは全く関わりがなかった。
それをコーデリア様のお相手にと引き入れたのは私たちだ。
そのライアン様がまさかこんな形で関わってくるなんて、あの時の誰が想像できたでしょう。
私はジル様とライアン様の中庭でのやり取りを手短に説明した。
ライアン様がジル様に毒を飲ませたうえでコーデリア様との結婚を迫ったこと、解毒剤がほしかったら要求をのむように脅したこと、ジル様はそれを拒否したことを順に話していく。
「…………そんな……私のせいで……」
愕然と呟いたコーデリア様の顔色は、今にも倒れそうなほど真っ青になっていた。
ふらりとよろけた体をブライト様が支える。
「それで、ジルベルトは?」
「中庭でライアン様を殴ったあと気を失ってしまって……」
ブライト様の問いに簡潔に答える。
「つまり、まだ解毒剤は飲めてないんだね!?」
「はい……ジル様の体を追い出されてしまって、私では何もできなかったんです……」
悔しさに顔を歪ませると、ブライト様が目をぱちりと瞬いた。
「待って、アリーシャ嬢。君は……『アリーシャ嬢』なの?」
言外にジル様の中にいたアリーシャなのかと聞かれて、私は首を縦に振って肯定する。
「でも、その話はまた後で。今はジル様の元へ急ぎましょう!」
「そうだね! コーデリア嬢、走れそう?」
「………………」
コーデリア様は心ここにあらずといった感じで、ブライト様の声も届いていないようだった。
私はコーデリア様の肩を揺すって呼びかける。
「コーデリア様?」
「………………」
「コーデリア様!?」
「…………あ。ご、ごめんなさい。私……」
はっと我に返ったコーデリア様が私を見てすぐに目をそらした。
「私……行けません……だって、どんな顔してお会いしたらいいか……」
だから行けないと首を左右に振るコーデリア様に苛立ちがこみ上げてくる。
脳裏に、ライアン様の泣きそうに歪んだ顔が頭をかすめた。
カッとなった私はブライト様が止める間もなく、コーデリア様の左頬を平手で叩いていた。
パシッと乾いた音が響く。
叩かれた頬を押さえて呆然とするコーデリア様の肩を強く掴んで揺さぶる。
「…………貴女のためではありませんか!」
「え……?」
「ライアン様は貴女のために何かしてあげたかったとおっしゃっていましたわ! ――――例えそれがジル様に結婚を持ちかけることだったとしても! それはコーデリア様、貴女のためを思ってしたことではありませんの!?」
「それは……」
「それなのに、貴女は逃げるのですか!?」
「に……逃げるだなんて……」
「それなら! きちんとライアン様と向き合うべきです!」
「向き、合う……?」
迷子の子供のような顔をしたコーデリア様に、私は頷いて続ける。
「お慕いしているのでしょう? ライアン様のこと」
ライアン様がコーデリア様をダンスの授業に誘ったあの日からずっと、私はジル様の中から二人のことを見てきた。最初こそ戸惑っていた彼女が、少しずつライアン様の気持ちに応えるように表情を柔らかくしていったのを知っている。
「ライアン様は自分ではコーデリア様のことを救えないと、とても苦しそうな顔でそうおっしゃっていました」
「っ! そんなこと! そんなことありません! 私……私がどれほどあの方の想いに救われていたか……!」
コーデリア様の目から涙が零れ落ちた。
私は彼女の頬を包み込むように手を添えて、しっかりとその目を見つめた。
「それなら、貴女はその気持ちをライアン様にお伝えするべきです――――走れますわね?」
「……………………はい」
涙を拭ってコーデリア様がまっすぐな眼差しで私を見つめ返した。
どうやらコーデリア様もライアン様と向き合う決意ができたようだ。まっすぐに立ったコーデリア様にもう迷いは感じられなかった。
私は頷いて、今度こそジル様とライアン様が倒れる中庭へと走り出した。
***
中庭に続く人けのない渡り廊下に三人分の足音が響く。
元に戻った自分の体はジル様のように早くは走れなくて、気持ちだけが焦ってしまう。
やがて、月明かりに照らされた地面に倒れる二人の姿が見えてきた。
「ジルベルト!」
ジル様の姿を見つけるやいなや、ブライト様が私を追い越して駆け寄っていく。
ジル様の傍らに膝をついて彼の口元に手のひらをかざしたブライト様は、呼吸を確認してほっと息をついた。
「アリーシャ嬢はジルベルトに声をかけ続けて! 僕はライアンを起こすから」
ブライト様は私を振り返って言うと、ライアン様の元へ素早く移動してその肩を容赦なく揺すり始めた。
ブライト様の勢いに圧倒されるように、私もジル様へ呼びかける。
「ジル様! ジル様!」
先ほどはすり抜けてしまった手で、今度はしっかりとジル様の肩を揺する。
「ジル様、ジル様! ……お願い、目を覚まして!」
ゆっさゆっさと何度か肩を揺すると、ジル様は呻き声と共にゆっくりと目を開いた。
息をのんでジル様の顔を覗き込む。
「ジル様!!」
「……リーシャ……?」
ジル様の青い瞳が私を映して少しだけ驚いた顔をした。
「……あなた、そのからだ……」
何も言っていないのに、ジル様は一目見ただけで『私』がジル様の中にいたアリーシャだと気づいたようだ。
「ええ、やっと自分の中に戻ることができました……ジルさま……ジルさま……わたくし……わたくし……」
たくさん言いたいことがあるのに上手く言葉にならない。
堪えていた涙が堰を切ったように流れ出してジル様の頬へぽつりぽつりと零れ落ちる。
ジル様は震える手を伸ばして、冷たい手で私の頬に触れた。
「なかないで……」
自分だって辛いはずなのに、泣いている私を心配させないように気遣ってくれる。ジル様の優しさが痛いほど伝わってきて胸がいっぱいになる。
「すぐにブライト様が解毒剤を持ってきてくださいますから、もう少しの辛抱ですわ」
寒空の下に倒れていたジル様の手は冷え切っていて、私は少しでも温めようと頬に添えられた手に自分の手を添えた。
それから少しして、ブライト様が解毒剤を手に戻ってきた。
気を失っていたライアン様を強制的に揺さぶり起こしたようで、ブライト様の肩越しに頭を押さえて前かがみになったライアン様の姿が見えた。
ブライト様はジル様を挟んで反対側に膝をつくと、ジル様の上半身を抱き起して緑色の装飾の施された小瓶をその手に握らせた。
「さ、飲んで。解毒剤だよ」
ジル様の手が震えていたので、瓶を握る手を覆うように私も手を添える。
ゆっくり瓶を傾けて口から零れないように慎重に解毒剤を飲ませていく。
瓶の中身をすべて飲み終えたジル様が、浅く息をつきながら眉尻を下げた。
「……すみません……食べ物には気をつけてって、いわれていたのに……」
「まったくだよ――――でも、まさかライアンにしてやられるとは思わなかった」
ブライト様が大きくため息をついて項垂れた。
「コーデリア嬢を誰かとくっつけられたらと思って提案したはずなのに、こんなことになるなんて……ジルベルト、アリーシャ嬢も本当にごめん」
ブライト様は言い出した責任を感じているようだった。
そんなことはないと言おうとした私より早く、ジル様がブライト様の肩に手を置いて首を左右に振った。
「ブライトが気に病むひつようは、ありませんよ……そもそもライアンに、殺すつもりはなかったようですし」
「あのねぇ、そういう問題じゃないだろ!?」
「そうですわ!」
私とブライト様が口々に非難すると、ジル様は力なく笑って「でも」と続けた。
「――――今度はみんな……丸く収まりそうじゃないですか」
ジル様が少し視線を上げて、ブライト様の肩越しにライアン様とコーデリア様を見る。
視線の先には、ライアン様に抱きついて泣きじゃくるコーデリア様の姿と戸惑うライアン様の姿があった。ライアン様は行き場のなくした手を宙にさまよわせて、最後はコーデリア様の背中に手をまわした。大事なものを包み込むように、コーデリア様をその腕の中に抱きしめていた。
何を話しているかまでは聞こえなかったけれど、コーデリア様は自分の気持ちをきちんとライアン様に伝えられたようだ。
よかった。
そう思ったのも束の間、向かいのブライト様から抗議の声が上がった。
「ちょっと待って!? みんな丸くって、まさかライアンのこと罪に問わないつもり!?」
「ええ」
「正気!? 人がいいにも程があるよ!?」
「別に人がいいわけでは、ありませんよ――――ここでライアンが罪に問われたら……コーデリア嬢はどうなるんです? ……せっかくみんな、上手くいきかけてるのに、これ以上ごたごたするのは……ぼくは御免ですよ」
「でも……」
「いいんです……きょうを無事、乗り越えることさえできれば、それで……」
「はぁ……ホントに君って人は……アリーシャ嬢からも何か言ってやってよ」
ジルさまの意思は固いようで、ブライト様は呆れ顔で私を見た。
何か言ってやってと言われても、きっと何を言ってもジル様の意思は揺るがないに違いない。
第一、毒を盛られたのはジル様ですもの。その本人が罪には問わないと言っているのだから、これ以上の追求は野暮というものでしょう。
「ジル様がそれでいいのなら、私からは何も言いません――――でも」
一言だけ文句を言ってやりたくて、私もコーデリア様と同じようにジル様に抱きついてその胸に顔を埋めた。
「無茶しすぎです! …………死んでしまうかと思いました。ほんとに、本当にご無事でよかった……」
ジル様の胸に顔を埋めたまま、くぐもった声でジル様の無事を喜ぶ。
ややあって、頭に何かが触れた。
壊れ物を扱うかのようにゆっくりと丁寧に私の頭をなでてくれるその感覚を、私は知っている。
自分の頭に触れるものがジル様の手だとわかるまで、そう時間はかからなかった。
今まで何度も私が失敗したり落ち込んだりした時、ジル様はこうしていつも頭を撫でてくれた。その時の触り方と一緒で安心する。
「………………心配しました」
「はい」
「すごく、すごく心配しましたのよ」
「すみません」
服越しにジル様の鼓動が聞こえてくる。
生きてる、そう実感させてくれる音に耳を傾けながら、私はジル様を抱きしめる手に力を込めた。
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