第55話 貴方となぞる一年間

 こうして、卒業パーティーでの騒動は誰にも知られることなく幕を下ろした。

 ジル様も解毒剤のおかげか後遺症もなく、すぐに元の調子を取り戻していた。


 あの後、罪を問わないと言ったジル様にライアン様がそんなわけにはいかないと抗議した。

 毒を盛ったことを公にして罪を償おうとしたライアン様を、ジル様は頑なに拒否した。

 もはやどちらが加害者でどちらが被害者だかわからない言い合いの末、罪を償わないわけにはいかないと譲らないライアン様に、ジル様は罪を問わない代わりの条件を突きつけた。


 『コーデリア嬢を娶ること』


 それがジル様がライアン様に課した条件だった。



 ***



 卒業パーティーから二週間が経ったある日、私宛てにコーデリア様から手紙が届いた。

 手紙には在学中にジル様との仲を裂こうとしたことへの謝罪と、ここ二週間のことが書かれていた。


 コーデリア様たちはどうしたらパッカー子爵がジル様を諦めてライアン様との結婚を認めてくれるかを話し合ったそうだ。

 なにせ媚薬を使ってでも落としてこいと言った相手だ。一筋縄でいかないと思ったらしい。

 そうして二人で出した結論が、自身が持たされた媚薬を誤ってライアン様に飲ませてしまったという嘘をつくことだった。

 実際には奪われていないコーデリア様の純潔を奪った責任を取りたいと、ライアン様がパッカー子爵に頭を下げる形で婚姻の話は進められた。

 最初こそパッカー子爵は相手がジル様じゃないことに難色を示したようだけど、自身がコーデリア様に持たせた媚薬が原因だったという負い目や、伯爵家との繋がりができること、それからライアン様の家から示談金としてお金を提示されたこともあって、異例の早さで婚約までこぎつけることができたそうだ。

 半年後に結婚式を挙げることが決まったと、喜びと感謝の言葉で締めくくられていた。



 一方、私とジル様は一年後に控えた結婚式に向けて準備にいそしみながら、その合間を縫って逢瀬を重ねていた。

 アリーシャと統合されてジル様との思い出を共有したけれど、ジル様の中にいた一年弱の間、二人のデートをジル様の中から見ていることしかできなかった私にはその実感がなかった。

 ジル様とのデートはちゃんとアリーシャの視点で記憶が残っているものの、どうしてもその実感がほしくて記憶とすり合わせるようにアリーシャとジル様が経験した一年間をなぞった。

 幸い寝る前に日記を書く習慣があったおかげで、いつ何をしたかが詳細に記されていた。

 それを参考に過ぎ去った日を色々再現して、わかったことがある。

 いつの日だったか、パンケーキ食べたさに二人に一口ずつお互いのパンケーキを食べさせ合ったことがあった。あの時はジル様視点でアリーシャの口にフォークを運んだわけですが、逆の立場になるとものすごく恥ずかしいことがわかった。

 ジル様の中にいた時は全然そんなことなかったのに、大好きなジル様に目の前であーんってされると顔から火が出るかと思うほど恥ずかしくなってしまう。

 当時は同じように照れていたジル様が、余裕そうに一回どころか何度も「もっと食べますか?」なんてフォークを口に運んでくださるものだから心臓が破裂するかと思った。

 その感覚が記憶に残っている通りだったので、やっぱり私は彼女アリーシャなのだと苦笑せざるをえなかった。

 視界が違うとこんなにも感じ方が違うなんて、あの時ジル様の中から冷静にアリーシャのことを見ていた私に言ってやりたい。



 秋が深まってきた季節、私は以前ダブルデートをした公園でボートに乗っていた――あの日と同じ薄い菫色のラインの入った白のワンピースを着て。


「ここも懐かしいですわね」


 色づいた木々を眺めながら懐かしいあの日を思い返す。

 私の中にある二つの記憶……一つはジル様の中にいた重い沈黙に肩身の狭い思いをしてた私の記憶、もう一つはジル様をコーデリア様に取られてしまうのではないかと不安に押しつぶされそうになっていたアリーシャの記憶。

 どちらも自分の記憶なのに、ずいぶん違っていて不思議な感じがする。

 前にジル様に告白された場所はこのあたりだったかしら。

 記憶の中の景色と見える景色を重ね合わせて、肩から下げていたポーチの中から手のひらに乗るくらいの包みを取り出した。


「ジル様、よろしかったら受け取っていただけませんか?」


 淡い黄色の包装紙に鮮やかな緑のリボンを巻いた包みをジル様に差し出すと、ジル様は首をかしげて私を見た。


「これを僕に?」

「はい」


 頷いて首を縦に振ると、ジル様はリボンをほどいて丁寧に包装を開けた。

 中に入っていたのはバートル家の紋章が刺繍された白いハンカチだった。


「これは……」

「本当は学園の中庭でお渡ししたかったのですが、卒業してしまいましたから」

「アリーシャが刺繍を?」

「はい。以前、授業で作ったものはジル様にお渡ししましたけど、『私』が最初に作ったものはお渡しすることができなかったので……」


 ドキドキしながらジル様の反応を待つ。

 ジル様は以前と同じように刺繍されたところをそっとなでて口元に笑みを浮かべた。


「ありがとう、とても嬉しいです。今回は家の紋章なんですね」

「ええ。お花は前にお渡ししたので…………前よりも上手くできたと思いませんか?」


 ふふっと笑って答えれば、ジル様は刺繍に視線を落として「本当ですね」と返した。


「前より縫い直した跡が減ってます」

「!?」


 どうしてこんなに細かいところに気づいてしまいますの!?

 確かに仕上がりに納得できないところがあって何度か縫い直しはしましたが、今度は指摘されないように入念に跡が目立たないようにしたつもりでしたのに。

 縫い直しを指摘されるとは思ってなくて、私は思わず立ち上がった。

 ボートががたんと揺れて足元がふらつく。


「あぶないっ!」


 ジル様が咄嗟に私を抱きとめて、その勢いのまま尻もちをついた。

 ボートが大きく揺れて、水面に波紋が広がる。

 やがて揺れが小さくなって元の静けさが戻ると、ジル様はほっと息をついて抱きとめた私の背中に手を回した。


「アリーシャ、前に僕がここで言ったこと……覚えていますか?」


 去年、この場所でジル様に想いを告げられたのを思い出す。

 嬉しかった記憶と切ない記憶が混在して、胸がぎゅっと締めつけられる。

 忘れられるはずがありませんわ。

 小さく頷くと、ジル様は両頬で私の頬を包んで蕩けそうなほどの笑顔を向けた。


「アリーシャ、愛しています。この世界の誰よりも、僕は貴女が愛おしい。アリーシャには伝えましたが、『貴女』にも伝えておきたくて……」

「ジル様……」


 ジル様の顔が近づいてくる。

 唇に触れる感触に、キスされたのだとわかった。

 今、キスしましたの?

 あまりにも唐突だったから覚悟とか心の準備とかできていなかった。

 呆気にとられたようにジル様を見返すと、顔を赤らめたジル様はそのまま私のことをぎゅっと抱きしめてくれた。


「今度は絶対に幸せにします」


 それは私の中にいる、時を遡る前の『私』に向けての言葉だった。

 その言葉だけで『私』の心は幸せで満たされた。

 ジル様の中にいた約一年間……いいえ、そのずっと前――ジル様に婚約破棄をされてふさぎ込んで泣いていた頃の私が感じた悲しみや切なさが幸せに塗り替えられていく。

 満ち足りた気持ちに涙腺が緩んで涙が溢れた。

 それを隠すように、私はジル様の胸に顔を埋めて頷いた。

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