第18話 ある朝起きたら幽霊に憑りつかれていた①(ジルベルト視点)

 ある朝。

 不意に体が起き上がる感覚で目が覚めると、体の自由が利かなくなっていた。

 寝ぼけて起き上がったんだろうかと思っていると、僕の手が勝手に動いて胸のあたりをペタリと触った。何かに驚いたようで、体が意思とは関係なくベッドを抜け出した。

 まるで何かに体が乗っ取られているような感覚に恐怖を覚えて、僕の中にいる何者かに向かって声を上げた。


「これは僕の体です! 返してください!」


 どうやら口は自由に動くようだ。

 ただ、そのあとに口が勝手に動いて自分の声で「え!?」と返され、得体の知れない不安に駆られた。

 なんだろう、僕は変な悪霊にでも憑りつかれてしまったんだろうか。

 けれど、予想外だったのは「ジル様?」と返されたことだ。

 どうやらこの悪霊は僕のことを知っているらしい。

 そして、僕は鏡の前で全身を映されていろんな角度から自分を見せられた。前髪をかき上げられ、両頬を強めにつままれる。痛い。結構容赦なくつままれたせいかだいぶ痛い。

 まるで、僕の中にいる悪霊は自分の姿を確認しているようだった。


「どうして私がジル様に!?」


 両頬に手を添えて、まるで女性のようなしぐさで驚きの声をあげた。

 それこそ、僕の方が聞きたい。それから、その見るに耐えないポーズをやめていただきたい。

 僕は自分の中にいる悪霊と対話をしてみることにした。

 どうして僕のことを知っているのか、僕の中にいる人は何者なのか尋ねてみると、思いもよらない答えが返ってきた。


「私ですわ! アリーシャです! ……ジル様はもう婚約者でなくなった私のことはお忘れですか?」


 アリーシャという名前に、僕はいち早く反応する。

 確かにアリーシャは僕の婚約者だ。

 けれど、もう婚約者ではなくなったとはどういうことだ……? 聞き捨てならない言葉だ。僕とアリーシャは正式な婚約者として両家も認められている。それを、婚約者でなくなった?

 そもそもアリーシャとは昨日一緒にパンケーキを食べに行ったはずで、断じてこんな悪霊であるはずがない。

 あからさまな嘘をつかれて、我慢ならなった僕はアリーシャは僕の婚約者だと反論した。

 すると、悪霊は虚を突かれたように「コーデリア様じゃありませんの?」と返してきた。

 コーデリアという名前を聞いて思い浮かぶのは同じクラスにいる令嬢だが、それがどうかしたのだろうか。

 僕が首をかしげていると、悪霊は僕の婚約者はコーデリア嬢じゃないかと聞いてくる。なんだ、その誤情報は。コーデリア嬢とはクラスメイトというだけで、それ以上でもそれ以下でもない関係だ。

 それから少しして、悪霊から不思議な質問をされた。


「ジル様はまだ学園を卒業していらっしゃらないのですか?」


 これから卒業試験が始まるのに卒業しているわけがないと答えれば、悪霊は黙り込んで何も言わなくなった。

 言葉の感じから、おそらく女性のような気がする。

 結局この悪霊のことは何もわからずじまいだったので、今度は僕の方から質問することにした。


「それで? 話を戻しますが、貴女は一体なんなんです? 言葉遣いから女性とお見受けしますが……」


 そう聞けば、悪霊から「アリーシャです」と返ってきた。

 いやいや、それはまずあり得ない。

 思わず悪霊と言い合いになって声を荒げたら、外から執事に声をかけられてしまった。

 しまった。この状況はどう見ても僕が独り言を言っているようにしか見えない。今ドアを開けられるわけにはいかない。

 僕は外に控えていた執事に「何でもありません」と答えて人払いをしておく。

 そうして話を戻すと、口元がわなわなと震えた直後、我慢ならないという感じで悪霊は大声で言い放った。


「私はアリーシャ・メイベルだと言っているではありませんか――――!!」


 もうダメだ、埒が明かない。ブライトに相談しよう。

 僕は黒髪黒眼の小柄であどけない顔立ちをした友人の姿を思い出して、助力を請おうと決意した。



 ***



 学園に行くまでに色々あって、僕は体の自由を取り戻していた。

 僕の中にいる悪霊は婚前前のうら若き乙女らしいということがわかった。

 ひとまず体に自由が戻って安心したものの、悪霊は変わらず僕の中にいるようなので、学園に着いたら真っ先にブライトのところに行こうと思った。

 学園で勝手にしゃべられたら困るので、学園ではしゃべらないでほしいとお願いすると、悪霊はすんなりと了承してくれた。聞き分けがいい。

 僕を困らせようとは考えていなさそうなので、悪い霊ではないのかもしれない。



 なんとか無事に図書室までたどり着くことができた。

 朝でも薄暗い図書室の中でブライトの姿を探すと、彼は貸出カウンターのところで本を読んでいた。

 声をかけると、ブライトは本を閉じて顔を上げて、その黒曜石のような目を大きく見開き――唐突に笑い出した。

 いきなりどうしたんだろうか。

 急に笑い出した友人を不審に思ていると、ブライトは笑いながら言った。


「あはは、君すごいことになってるね! 相談ってそのことかい?」


 相談に乗ってほしいと言っただけなのに、そこまでわかるのかと友人の発言に衝撃を受ける。

 「わかるのですか!?」と身を乗り出すように聞き返せば、わかるのは僕に二人分のオーラが見えるということだけらしい。さすが代々占い師や呪い師を輩出しているレイ家の子息だけはある。

 それなら話は早い。

 僕は信じがたい話なのですがと前置きしたうえで話し出した。


「朝起きたら幽霊に憑りつかれていて……」


 『悪霊』と言いそうにはなったが、彼女に悪意は感じなかったので『幽霊』にとどめておいた。それなのに、急に口が開いて「まさかの幽霊扱いですのっ!?」と反論してきた。

 咄嗟に口を塞いでこれ以上しゃべらないように口に蓋をした。

 見ると、ブライトがきょとんと固まってしまっている。

 ああ、ほら。急に女性のような言葉遣いをしたから驚いてしまってるじゃないか。

 僕は僕の中の悪霊改め幽霊に向かって、話がややこしくなるから黙っていてほしいと言ったけれど、彼女は譲る気はないようだった。

 頑なに幽霊ではない、アリーシャだと言ってくる。

 だから、それはあり得ないと言おうと思ったところで、ブライトから「アリーシャ!?」という驚きを含んだ声が聞えた。

 ガタンと音を立てて椅子が転がる。

 いつも穏やかなブライトには珍しく、カウンター越しに僕につかみかかって顔を確認するようにまじまじと見つめられた。

 そのあまりに真剣なまなざしに居心地が悪くなって「ブライト?」と声をかければ、彼ははっとして「ちょっとびっくりしただけ」とやんわりと首を振った。


 それから、ブライトは僕の中の幽霊に「君は本当にアリーシャ嬢なの?」と問いかけた。

 口が勝手に動いて「もちろんですわ!」と力強く答える。

 それをどうしても認められない僕が反論しようとすると、ブライトに止められた。

 教室にいるアリーシャに会いに行ってみたらいいじゃないと提案されて、確かにその通りだと僕も幽霊も言い合いをやめることにした。


 幽霊の戯言だと思っているけれど、なんとなくブライトの反応も気になった。

 まさか本当にこの幽霊がアリーシャだというのだろうか。確かに口調だけなら似てないことはない。

 早くアリーシャに会って確かめたい。はやる気持ちを抑えながら、僕は教室へと足早に向かった。

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