第45話 届かない想い(コーデリア視点)
学園卒業まであと少し。
長かった学園生活ももう少しで終わってしまう。
卒業パーティーという節目のイベントを前に、私は憂鬱な思いにため息をついた。
***
私生児だった私がコーデリア・パッカーとしてパッカー家に引き取られたのは八歳の頃だった。
もともと私のお母さんはパッカー家で侍女として働いていたらしい。そこでお父様に見初められて私を身ごもった。当時、お父様は既に結婚していて平民だったお母さんは側室になれる身分でもなかったため、私を生む前に侍女をやめて町で暮らし始めた。
貧しかったけれど、お母さんは父親がいない分まで私を可愛がってくれた。お母さんがはやり病で亡くなるまでの八年間、私はとても幸せだった。
お母さんの死後すぐに、父親だと名乗る男の人が私の元にやってきた。はやり病にかかったお母さんは自分が亡くなる前にお父様に私のことを頼んでいたらしい。
顔立ちは母親似だと思っていたけれど、髪と目の色は父親似だったらしいと知ったのはその時だった。
お父様には正妻の他に二人の側室と五人の子供がいた。手の早い人だったから、お母さんのように泣き寝入りした人も多かったに違いない。
お父様とそっくりな栗色の髪と茶色の目をした私は、庶子としてではなく養女としてパッカー家に迎え入れられることになった。
それから学園に入るまでの二年間、貴族としてのふるまいを全力で叩き込まれた。
新しい正妻の『お母様』は嫉妬深い方で、側室とも仲が悪く、お父様と同じ髪と目の色をしておきながら母親に似ていた私のことも疎ましく思っていた。
お父様から私の教育を任されていたお母様は、私の出来が悪いと跡が残らない程度に体罰を加えて平民の娘がと罵った。
私はお母さんが侮辱されているみたいで悔しくて――辛かったけれど歯を食いしばって耐えた。
ただ、どんなに頑張ってもお父様も新しいお母様も誰も褒めてはくれなかった。
着るものも食事もとても贅沢で満たされた毎日だったけれど、心だけがいつも乾いたように愛を求めていた。
十歳になって学園に通うようになると、家にいる時間が少なくなって少し気が楽になった。
試験でいい結果が出せたらお父様はさすが俺の子だと褒めてくれた。それがたまらなく嬉しくて、私はもっと頑張った。
学園を卒業して社交デビューして、いずれはお父様の決めた人と結婚する――それが貴族の娘として生まれてきた自分の存在意義だと言われて育った。私もそれに異論はなかった。
そうして比較的心穏やかに過ごしていた学園生活は唐突に終わりを告げた。
お父様が突然バートル家の嫡男であるジルベルト様を落としてこいと言ってきたからだ。
事業で失敗したお父様は、新たに始める事業のために製紙業が盛んなバートル家との繋がりがほしかったようだ。娘と同じクラスにバートル家の者がいると知って、手っ取り早く繋がりを持つために結婚という手段を思いついたんだろう。
たかだか子爵家の令嬢でしかない自分が、伯爵家の跡取りを落とせるとは思えなかった。
しかも、ジルベルト様にはすでに婚約者がいらっしゃった。
それを言ったけれど、婚約を破棄されることなんて珍しいことじゃないと婚約者であるアリーシャ様を蹴落としてでもジルベルト様と結婚しろと取り合ってはもらえなかった。
こうして学園最後の一年半、私はジルベルト様を攻略するべく学園に通うことになった。
***
「あれからだいぶ経つが、どうなった?」
お父様に執務室に呼ばれた私は、ジルベルト様との進展について振られて口を噤んだ。
どうなったもなにも、まだ何も始まってすらいない。
ジルベルト様に好意がありますってアピールをしているけれど、身持ちが堅いジルベルト様は私に全くなびかなかった。
彼はいつも婚約者であるアリーシャ様を第一に考えて私の誘いを断った。頑張って刺した刺繍のハンカチも、それを理由に受け取ってはもらえなかった。
それでもお父様の命令である以上、私は諦めるわけにはいかなかった。
ジルベルト様の婚約者であるアリーシャ様を思い浮かべる。綺麗な銀髪に深い青の瞳をした月の妖精のように可愛らしい彼女なら、ジルベルト様から婚約を破棄されても貰い手はいくらでもありそうだ。
私の気も知らないで仲睦まじくする姿を見るたびに、譲ってくれればいいのにと心の中が真っ黒に染まった。
まったく進展がないとわかると、苛立ったお父様は大声で私を罵りなじった。
ああ、またお父様に褒められたい。こんなふうに怒鳴られるのではなく、優しくなでられたい。
その一心で、パッカー家に引き取られた日から頑張ってきた。それは今も昔も変わらない。
昔、お母さんが私を愛してくれたように、お父様にも同じように愛されたかった。
***
ある日。
ダンスの授業でのペアをジルベルト様にとお誘いしたところ、ジルベルト様はなぜかライアン様に私の相手になって下さらないかと声をかけた。
今まですげなく断ってきたのにどういう風の吹き回しだろうと思っていると、ライアン様はまだダンスのお相手が決まっていなかったようで、私に向き直って片膝をついた。
「コーデリア嬢。よろしければ次のダンスの授業、俺とペアを組んでいただけないだろうか」
いつものちょっとワイルドなライアン様とは違った意外な一面に、私はぱちりと目を瞬いた。
膝をついて片手を私に差し出す様子は、まるで昔お母さんに読んでもらった物語の王子様のようだと思った。
たかが授業のペアだというのに、なんて熱のこもったお誘いの仕方でしょう。
見ているこっちがこそばゆくなるくらい恥ずかしくて顔が熱くなってくる。
ジルベルト様には既に断られているので、私がライアン様のお誘いを断る理由はなかった。
「し、仕方がありませんわね。ジルベルト様のご推薦ですもの、私でよければお相手いたしますわ」
恥ずかしくて、つい可愛げのない答え方をしてしまった。
けれど、そんな私の答えを聞いたライアン様は少年のような笑顔を浮かべて喜んでくれた。その顔にちょっとだけ見惚れてしまったのは内緒だ。
それからというもの、ペアの授業があると何かとライアン様に誘われるようになった。
私は私でジルベルト様に毎回断られていたので、仕方なくライアン様と組むようになっていた。
ライアン様は見た目通り気さくな方だった。
もともと平民出身な私からしたら貴族の会話は堅苦しいと感じることも多かったけれど、ライアン様はどこか砕けたところがあって話すのも気が楽だった。
そんな折、ライアン様から学園が休みの日にジルベルト様たちと遊びに行かないかと声をかけられた。
これはジルベルト様と仲良くなるチャンスだと思った。
アリーシャ様も一緒ですが、そんなものは想定内です。
卒業パーティーまでもうだいぶ日が迫っていた。卒業パーティーのパートナーは婚約者を選ばなければならないという決まりがあるわけではない。
ここで頑張れば、たまにはアリーシャ様とは違った方をエスコートしてみたいと思ってもらえるかもしれない。
私はこの機会を作ってくれたライアン様に内心感謝しつつ、ジルベルト様と話ができるように歩くときはなるべく彼の隣を歩くように心がけた。
最初はアリーシャ様とジルベルト様を挟むように歩いていたけれど、雑貨屋巡りを終えて公園へ足を延ばす頃になると、アリーシャ様はジルベルト様から離れて、少し後ろを歩くライアン様とお話しするようになっていた。
たぶん一人になってしまっていたライアン様を気遣ってのことだとわかってはいたけれど、私も引くわけにはいかなかった。今日は精いっぱいジルベルト様とお話しして、私のことをよく知ってもらわないといけないのだから。
公園を散策している途中、ジルベルト様から中央にある湖でボートに乗らないかと提案された。
この状況で二人乗りのボートに乗りたいということは、ジルベルト様も私と二人きりになりたいってことかしら?
私は二人きりになるチャンスを逃してなるものかとすかさず頷いた。
一緒に歩いていたライアン様とアリーシャ様も特に異論はなかったようなので、私たちはボート乗り場まで歩いていくことになった。
いざ二手に分かれて乗り込む段階になって、いきなりライアン様に手を引かれた。
「え!?」
予想外の出来事に驚いているうちに、私の体はライアン様と一緒のボートに乗せられてしまっていた。
どういうこと!?
混乱しているうちにボートを固定するロープが解かれ、私たちを乗せたボートは岸を離れていた。
「ちょっと! なんてことなさるの!?」
ジルベルト様たちの乗ったボートとどんどん離れていくのを見て我に返った私は、向かいでボートを漕ぐライアン様に抗議した。
ライアン様はばつの悪そうな顔をしてオールを漕ぐ手を止めると、がばっと頭を下げた。
「すまない! でも、こうしないとコーデリア嬢と二人っきりにはなれないと思って」
「え……?」
私は思いがけない言葉に耳を疑った。
私? ジルベルト様とアリーシャ様を二人きりにさせたかったからではなくて?
てっきりライアン様がジルベルト様に気を利かせて私の手を引いたんだと思っていた。
「ジルベルト様をアリーシャ様と二人きりにするために、私の手を引いたのではないの……?」
「違う。俺が君と二人きりになりたかったんだ――乱暴な真似してすまなかった」
項のあたりを掻きながら気まずそうに視線を少し反らして白状したライアン様に、私はぽかんとしてしまった。
今、この方なんて言ったかしら? 私と二人きりになりたかった?
少しくせっ毛の明るい茶色の髪を指先でいじりながら、ライアン様は今日のことについて教えてくれた。
「今日のことだって……本当は俺がジルベルトに相談してコーデリア嬢を誘って一緒に遊ぼうってことになったんだ」
「え?」
「それなのに、俺ぜんぜん君と話せなかっただろ? それでジルベルトが気を利かせてくれてボートに乗ろうって提案してくれたんだ」
「え……? ジルベルト様がアリーシャ様と二人きりになりたかったわけではありませんの……?」
「まぁ、あっちはあっちで二人きりになりたかったのかもしれないが――――俺がコーデリア嬢と二人で話をしたかったんだ」
私と二人で話したかったと繰り返して言ってくれたライアン様の言葉で、私はそれが聞き間違いではなかったということがわかった。
わかったけれど、わからなかった。どうしてライアン様は私と話したいと思ったのかしら?
「どうしてか理由を聞いても……?」
「もっと仲良くなりたいと思ったから、では理由にならない?」
「仲良く……? 私と……?」
さっきから耳を疑うようなことばかり聞こえる。
しがない子爵家の令嬢である自分のことを、伯爵家のライアン様が?
伯爵家のライアン様からしたら、子爵家の自分なんて取るに足りない存在だと思っていた。だから、ライアン様の申し出に正直とても驚いた。
からかわれているのかとも思ったけれど、ライアン様のこげ茶色の瞳は真剣でとても嘘をついているようには見えなかった。
ライアン様は私の手を両手ですくい上げると、大事そうに握りこんだ。
「……俺、君のことが好きなんだ。君がジルベルトのことを好きなことはわかってる。だけど、俺にチャンスをくれないか?」
「チャンス?」
「学園を卒業するまででいいから、俺を友人ではなく君を想う一人の男として見てもらいたいんだ」
熱のこもった瞳を向けられて、私の心臓がドクンと跳ねた。
今までも何度か子爵家の方に告白のようなものをされたことがあったけれど、こんなに情熱的でまっすぐに気持ちを伝えられたのは初めてで、私は戸惑いを覚えた。
何と答えたらいいか分からず上手く言葉にできないでいた私に、ライアン様は答えは今じゃなくていいと言ってくれた。
ジルベルト様と仲良くなろうと意気込んで臨んだお出かけは、私の予想のはるか斜め上をいくライアン様に告白されるという結末で幕を閉じた。
***
そうして周りで卒業パーティーのパートナーが決まり出した頃、ライアン様は私にパートナーになってほしいと申し込んできた。
ジルベルト様はアリーシャ様とパートナーになると言っていたし、私も特に組みたい人がいたわけじゃなかったからその申し出を受けることにした。
あの公園での告白以降、ライアン様は積極的に私を口説き始めた。
今までの気さくな会話に加えて甘い言葉が囁かれるようになって、免疫のない私は大いに心をかき乱された。
一方、家に帰ればお父様からジルベルト様とはどうなったかと聞かれることが多くなった。
ライアン様がジルベルト様だったらどんなによかったかと何度思っただろう。
ジルベルト様とアリーシャ様は公園のボートで分かれて以降、何かあったのか前よりも仲が深まったようだった。
最初からわかっていたことだけれど、私の入る隙間なんてどこにもなかった。
卒業パーティーの五日前、私はお父様の執務室に呼び出された。
ジルベルト様のことは無理だから諦めてくださいと正直に言おう。
そう思っていた私に、お父様は小さな青い小瓶を渡してきた。
「これは?」
少量の液体の入った小さくて長細い瓶を光にかざして聞けば、お父様から信じられない言葉が返ってきた。
「媚薬だ」
「びやく!?」
「もう後がない……この薬を飲ませて体の関係を作ってこい。そうすれば責任を追及して娶ってもらう方向でも、不祥事をもみ消す方向でもこちらのいいように話を進めることができる」
嫌らしい笑みを浮かべるお父様を見て、足元から血の気が引いていくのが分かった。
お父様の――この家の主である『旦那様』の決定は絶対だ。
私がパッカー家の一員である以上、どうあがいても私に拒否権はなかった。
その後のことはよく覚えていない。またいつものように罵倒されたような気がするけれど、何を言われたか分からないほど私の頭は混乱していた。
ふらふらした足取りで自分の部屋まで戻ってくると、窓際で月明かりに小瓶をかざした。
濃い青色の瓶を月明かりに照らせば、中に詰められた液体がタプンと揺れた。
『この薬を飲ませて体の関係を作ってこい』
先ほどのお父様の言葉を思い出して胸が締めつけられる。
鼻の奥がツンとして涙が零れた。
お父様は私の体よりバートル家と繋がりを持つ方が重要なの?
お父様にとって私って何なの?
面と向かって聞けなかった言葉が心の中を渦巻いて涙になって溢れてくる。
分かってる。いや、分かってた。
お父様にとって、私はただの駒でしかないことくらい。もうずっと前から本当はわかってた。
でも、それでも私はお父様に褒められたくて、認められたくて。愛されたくて。
その一心で今まで頑張ってきた。
媚薬を使ってジルベルト様を陥れることが悪いことだってことは十分理解している。
けれど、私はお父様の命令に逆らうことはできなかった。
この媚薬を使ってジルベルト様と婚姻を結ぶことになれば、お父様は最後に褒めてくれるかしら。
さすが俺の娘だって。
黒い気持ちが良心を覆いつくしていく。
お父様に褒められたい、愛されたい。
子供の頃からそう思い続けてきた私の心は、愛されたいという思いにとらわれてもう身動きができなくなっていた。
やるしかない。
それしか道は残されていないのだから。
たった一つだけ。
私のことを好きだと言ってくれたライアン様の顔が浮かんだ。
ごめんなさい、ライアン様。せっかく好きだと言ってくれたのに。
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