第30話 涙の果てに結ばれた関係
時折嗚咽を漏らして涙を流すジル様を前に、私はどうすることもできないもどかしさを感じていた。
できることなら、今すぐ抱きしめてその涙をぬぐってさしあげたい。
けれど、ジル様の中にいる私には抱きしめることはおろか触れることすらできない。
できることと言ったら、声をかけることだけ。
その行為ですら、言葉の選び方次第でジル様を傷つけてしまいそうで、私は怖くて何も言うことができずにいた。
謝らないで。
気にしないで。
ジル様のせいではないです。
そのどれもが上辺だけの言葉のように聞えてしまって、私は軽々しくジル様に話しかけることができなかった。
ジル様はきっと私が許すと言っても聞き入れてはくれないでしょうし。
だから私は何も言わず、ジル様の一番近いところでただ寄り添うことにした。
***
「…………アリーシャ……僕はどうしたら償うことができますか?」
やがて、ひとしきり泣いたジル様がぽつりと涙声で私に問いかけた。
『償う』
その言葉にずきりと胸の痛みを覚える。
そんなことを言ってほしいわけじゃない。
そもそもこれは私と、こことは違う時間のジル様とのことであって、今のジル様には関係のない話で償うものなんか何もないはずなのに。
本当に真面目で優しい方なんですから。
「身に覚えもないのに、償うとか言ってはいけませんわ」
「でも……」
「そんなこと言っていると――私、調子に乗ってジル様のお優しい心につけこんでしまいますわよ?」
この重々しい空気をどうにかしたくて、私はあえて冗談めかして言うことにした。
なるべく明るく聞こえるように放った言葉は、先にジル様が泣いていたせいで涙声になってしまったけれど。
ジル様はきょとんと目を瞬いてから、ふっと小さく息を吐いて肩の力を抜いてくれた。どうやら無事私の意図が伝わったようだ。
これで重苦しい話は終わりですわと思っていると、ジル様は苦笑して口を開いた。
「僕はそれでもかまいませんよ?」
「……………………え?」
「僕は貴女にならつけこまれてもかまわない。そう言っているんです、アリーシャ」
「な、なな……」
予想もしてなかった斜め上の答えに、私は二の句が継げなくてぱくぱくと口を開閉させた。
『貴女になら』は反則じゃないでしょうか。
恥ずかしくてガラスに映りこむジル様の顔を見ることができない。
私は視線を泳がせて、机の上に置かれたままになっていたハンカチに目を留め――今を生きるアリーシャの存在を思い出した。
だめだめ! 私は裏方に徹すると決めたんだから!
私はジル様の中で慌てて首を振って、全力で邪念を振り払う。
「そういうことを言ってはいけません! ジル様にはアリーシャがいるではありませんか! 私に言ってはダメです」
「アリーシャなのに?」
不思議そうに首を傾げるジル様に、私は盛大にため息をついた。
違う。そうだけど、そうじゃない。
このややこしい状況をどう説明したものかと頭をひねる。
ジル様は私と生きているアリーシャのことを一緒くたに考えているようだけれど、そもそもそこから間違っている。
確かに私はアリーシャだけど、生きているアリーシャと同一人物かと言われたら違う。
その証拠に、ジル様とアリーシャが仲良くしているのをみると嬉しい反面、切なくもなるし嫉妬もする。
もはや同じ名前、同じ性格をした別の人間と言った方がいいのかもしれない。
「アリーシャでも、です――――いいですか、ジル様。私はジル様のアリーシャではありません。私のことはアリーシャと同じ名前と性格をした別の人間と考えてください!」
「別の人間、ですか?」
腑に落ちないという反応をするジル様に「そうです」と答える。
何が悲しくてこんなことを言わなければならないのかわからないけれど、境界を曖昧にしておくのはよくないと思った。
ここはしっかり自分の意見を伝えておかなければ。
「ですから、『私』はジル様と婚約者とは違う関係を築いていきたいのです!」
「違う関係?」
例えばどんな? と返されて、私ははたっと言葉に詰まる。
今まで婚約者として接してきた期間が長かったせいで、それがなくなった今、私とジル様を結ぶ関係はよくわからなくなっていた。
友達かと言われたら、友達以上の感情を持っているのは自覚しているし、かといって恋人でもない。
愛人はなんか響きが嫌だ。
ええと、ええと、と考えて、ふと昼間言われたブライト様の言葉を思い出した。
『アリーシャ嬢……君は一人で色々抱えすぎだよ。頑張ることと無理をすることは違うんだ。君はもう少し周りを頼ったっていいと思う』
「………………『協力者』」
浮かんだ言葉を口について出すと、ジル様が首を傾げた。
「協力者?」
「そう、協力者ですわ! ジル様、アリーシャとの婚約解消を阻止するために私の『協力者』になってくださいませんか!?」
我ながら名案を思いついたとばかりにジル様に話を持ちかける。
「私、今度は絶対にコーデリア様にジル様をとられたくありませんの! あのような悲しい思いをするのはもう嫌――――だから、ジル様。私に力を貸してください!」
勢い任せに言葉を吐き出すと、ジル様が一瞬瞠目して息を呑んだ。
そして、ゆっくりした動作でアリーシャからもらったハンカチを握りしめると、一度固く目を閉じた。
次に目を開けた時、ジル様はまっすぐ前を見据えていた。
「未来がどうしてそうなってしまったのかわかりませんが、僕だって結婚するならアリーシャとがいい――――僕にできることがあるのなら協力させてください」
前を見据えたジル様の青い瞳とガラス越しに目が合ったような気がして私が口元を綻ばせると、ジル様も目元を緩めてくれた。
「よろしく、アリーシャ」
「こちらこそよろしくお願いしますわ、ジル様」
こうして、私とジル様は『協力者』になった。
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