第28話 貴女の話、僕にも聞かせてください
「その話、僕も詳しく聞かせていただけませんか?」
その言葉に、私は全身から血の気が引いていくような感覚に見舞われた。
おかしい、いつもより起きるのが早い。
心臓が早鐘を打って、背中から嫌な汗が噴き出てくるのがわかる。
「ジ、ジル様……お目覚めになられたのですか?」
「ええ。なんだか最近ブライトとお茶をすると寝てしまうことが多かったので、もしやと思っていたのですが……こういうことだったんですね」
ヒェ……。
なんでしょう、なんだかとっても怒っていらしゃるような気配を感じますわ。
ちらりとブライト様に目を向けてみれば、ブライト様は口元を引きつらせて目を泳がせていた後、気まずそうに片手を上げてぎこちない笑みを浮かべた。
「や……やぁ、ジルベルト。お、おはよう……」
「ブライト……貴方、知ってて黙ってましたね?」
底冷えしそうなジル様の声に、ブライト様がさっと顔を反らした。
「………………」
「ブーラーイート?」
なんだか凄みのある様子でジル様がブライト様に詰め寄っていく。
やがてブライト様はジル様の視線に耐えかねたのか、腹をくくったような顔をして盛大にため息をついた。
「………………ああ、知ってたよ。知ってたさ!」
「だったら、どうしてそれを言ってくれなかったんですか!?」
「……言ったって君、信じなかっただろ? 実際、アリーシャ嬢がアリーシャだと言っても信じなかったじゃないか」
「それは……! そう、ですが……」
痛いところをつかれたのか、ジル様が口ごもる。
ブライト様の瞳に映るジル様が苦悶の表情を浮かべているのがわかって、私はいてもたってもいられずに口を挟んだ。
「し、仕方がありませんわ! 私だって自分のことでなければ信じられませんもの! こう言ってはなんですが、普通に受け入れられるブライト様が特殊なのですわ」
ブライト様を若干非難したような形になってしまいましたが、ジル様をフォローすることはできたでしょうか。
そう思っていると、ジル様が恐る恐るといった感じで口を開いた。
「………………やはり、貴女はアリーシャ、なの、ですか?」
その問いかけに、私は息を呑んだ。
ジル様が私のことを『アリーシャ』と呼んでくれた。
ジル様が、『私』をアリーシャとして見てくれた。
その事実に胸が熱くなって、溢れ出しそうな気持が涙になって零れた。
体の支配権が私にあるせいか、ジル様の涙腺は私の心のままに涙を流した。
「ど、どうしました!?」
いきなり流れ出した涙に、ジル様は狼狽えたような声を上げた。
私は答えることができない代わりに首を小さく左右に振って、両手で顔を覆ってすすり泣いた。
少しして私が落ち着きを取り戻してきた頃、ブライト様が眉を下げてハンカチを差し出してくれた。
「アリーシャ嬢……君は一人で色々抱えすぎだよ。頑張ることと無理をすることは違うんだ。君はもう少し周りを頼ったっていいと思う」
「ブライト様……?」
「今日は家に帰ってジルベルトとちゃんと話してくるといいよ」
私はブライト様からハンカチを受け取って、目元に押し当てて溜まっていた涙を吸いとった。
涙は止まっていたようで、もう新しい涙は溢れてはこなかった。
ブライト様はそんな私に微笑みかけて優しく頭をなでてくれた。
「大丈夫。今度はちゃんとジルベルトは話を聞いてくれるよ」
「ほん、とうに……?」
「本当――――だよね? ジルベルト」
ブライト様がジル様に念を押すように確認すると、口が勝手にうごいて「はい」と返事を返した。
「じゃあ、今日はこれで解散で!」
そう言ってティーカップを片付けようとしたブライト様をジル様が止める。
「僕の話はまだ終わってませんよ、ブライト」
「えー……」
明らかに面倒くさいといった反応をしたブライト様に、ジル様が口元に笑みを浮かべた。
なんでしょう、やっぱり少し怒っているような気がします。
「貴方からもちゃんと説明があるんですよね?」
「………………」
「あるんですよね?」
「…………」
「ブライト?」
「わかった。ちゃんと話すよ――――じゃあ、今度の休みに家に来て」
ブライト様が家に来てと言った瞬間、ジル様が顔を引きつらせた。
「ブライトの家、ですか」
「仕方ないでしょ? こんなこと外じゃ迂闊に話せないし」
「まぁ……そう、ですが……」
どうにもジル様の歯切れが悪い。
ブライト様のお屋敷に何かあるのでしょうか。
私は幼い頃に一度だけ行ったことがあるというレイ家のお屋敷を思い浮かべて首を傾げた。
家なら安心だよと太鼓判をおしてくるブライト様を前に、ジル様はがくりと肩を落として渋々了承した。
***
どうしましょう。
私はバートル家に帰る馬車の中で頭を抱えていた。
途中でジル様が起きてしまったせいで体を返しそびれてしまった。
いつもはジル様が起きる前に、ブライト様に感覚が鈍い私にも効くような強力な睡眠薬を処方してもらっているのだけれど、今日はそれができなかったために寝ることができなかった。
迎えの馬車も待たせていることから、ひとまず私がジル様の体を動かして帰宅することになったまではよかった。
このまま帰って寝るだけならば何の問題もなかったのだけれど、お屋敷に戻ったらジル様のご家族と一緒に夕食をとることになっている。
食事のマナーは大丈夫だとしても、緊張しすぎて粗相をしないかどうか心配だった。
私はジル様のご家族を思い浮かべて深いため息をついた。
いつもジル様の中から見ているから見慣れているとはいえ、緊張しないかといえば別だ。
ジル様とよく似た穏やかそうなお父様、泣きぼくろが印象的な優しそうなお母様、それに三つ下の妹のレイナ様と五つ年下の弟のカイル様はお二人ともジル様に懐いていて大変可愛らしいのですが、好きな人のご家族と一緒に食事と考えると手が震えてしまいそうです。
ああ、どうしましょう。すごく緊張してきましたわ。
どうしましょう、どうしましょう、どうしましょう、どうしましょう、どうしましょう、どうしましょう、どうしま………………あら?
ぐるぐると悩んでいた私は、頭をかかえていた手を動かそうとして自由に動かなくなっていることに気がついた。
これはもしかしてジル様に体の支配権が戻ったということでしょうか。
「ジル様、動けるようになっていませんか?」
そう問いかけると、ジル様は私では動かすことができなかった手を動かして、にぎにぎと握ったり開いたりして動作を確認しているようだった。
「…………たしかに、動けるようになってますね」
「私、寝てませんのに……どういうことでしょう?」
そういえば、ジル様の中に目覚めた初日も、おトイレに行きたいあまりジル様に体の支配権が戻ったことがあった。どういう原理かはわからないけれど、私の気がそぞろになるとジル様に体が戻るようになっているのでしょうか。
ジル様の中で首をひねっていると、ジル様から話しかけられた。
「……………………貴女は、今までもこうしてブライトと話をしていたのですか?」
「それは……」
どことなく冷たい声音に、言外に責められているような気がして私は口ごもった。
睡眠薬を盛られて体を勝手に使われていたのです、ジル様のお怒りもごもっともですわよね。
「もうしわけ、ありませんでした……」
蚊の鳴くような声でぽそりと謝罪の言葉を口にすると、ジル様ははっと息を詰めて首の後ろを掻いた。
「違うんです。貴女にそんなことを言わせたかったのではなくて……仕方がなかったとはいえ、貴女が僕ではなくブライトを頼ったことが悔しかったというか…………その……『アリーシャ』」
「はい」
ジル様に名前を呼ばれて、私の心臓がどくんと跳ねた。
「話をしましょう。今度はちゃんと話を聞くから――――だから、貴女のこと教えてほしいんです」
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