第43話 終わりと始まり②(ブライト視点)
ジルベルトと同じ方法ではアリーシャ嬢を幸せにしてあげることはできない。
僕は僕の方法で彼女を幸せにする方法を見つけなくてはならなかった。
だって、僕はジルベルトからアリーシャ嬢を託されたんだから。
なんとかしてアリーシャ嬢を幸せにできないだろうかと、僕はレイ家にある書庫に入りびたるようになった。
レイ家の書庫には古代から今に至るまでの様々な国と時代の魔術書が保管されている。
幽霊を祓う本や、未来を予知するための呪いの本、人の心を操る本――――ありとあらゆる魔術書を読み漁った僕は、ついに運命の出会いともとれる本と出会った。
『逆行転生の魔術書』
失われた王朝の時代の本だったが、もともと跡取りとしての教育を受けていた僕はこの国のものではない言葉でも難なく読むことができた。
この本によると、魂を過去へと逆行させることができるというのだ。それができれば過去を変えることだって可能なのかもしれないと思った。
ただし、代償は『術者の命』――つまり僕の命だ。
軽々しく試すことはできない。
僕はその本を熟読して、方法を頭の中に叩き込むだけにとどめた。
***
そうして魔術書を読みふけっているうちに、ジルベルトの結婚式の日がやってきた。
結婚式に招待されていた僕は、礼服に身を包んで暗い気持ちで馬車に乗り込んだ。結婚式に行くはずなのに気分はお葬式に向かうかのようだった。
あれからアリーシャ嬢とは一度も会えていなかった。
最後に見た彼女の力なく笑った顔が瞼の裏に焼きついて離れない。
託されたのに会うことすらできていないなんて、ジルベルトには口が裂けても言えそうになかった。その状態で今日の結婚式に出席しなければならないなんて。
僕は胃のあたりをさすりながら窓の外に目を向けた。
流れていく町並みを眺めていると、ふと見たことのある馬車とすれ違った。
メイベル家の馬車だ。
別にどこかの家の馬車とすれ違うなんて珍しいことじゃない。
でも、なぜだか胸騒ぎを覚えた。
もうすぐ教会に着くという時になって、僕ははっと気づいてしまった。
今日はジルベルトとコーデリア嬢の結婚式だ。本来であれば、ジルベルトの隣に立つのはアリーシャ嬢だったはずの結婚式。
『この身も心もジル様に捧げると決めてしまいましたの』そう言って儚げに微笑んだアリーシャ嬢の姿がさっきから頭をちらつくのはなぜだろう。
そして、教会とは反対方向にすれ違ったメイベル家の馬車。
あちらの方向には何があったか考えて、ヒヤリとしたものが背中を流れた。
まさか。
あの馬車の向かった方向には切り立った高い崖がある。
杞憂ならそれでいい。
でも、杞憂でないなら……。
最悪の事態を想像して心臓が嫌な音を立てて早鐘を打つ。
胸騒ぎに駆り立てられるように、僕は教会へは行かずメイベル家の馬車を追いかけることにした。
坂道を上っている途中で、リゴーンリゴーンという鐘の音が聞こえてきた。
どうやら無事挙式が終わったらしい。
今頃ジルベルトはどんな顔をしてそこに立っているんだろう。
僕にはどうしてもジルベルトが笑っている顔が想像できなかった。
今日という日をどんなにアリーシャ嬢と迎えたかっただろう。ジルベルトは外面を取り繕うのがうまいから、顔では笑っているけれど心の中では泣いているかもしれない。
そんな結婚式、僕は出席できなくてよかったのかもしれない。
だって、純白の衣装に身を包んだジルベルトとコーデリア嬢を前に笑顔でいられる自信なんてないんだから。
***
街を一望できる切り立った崖の上まで来た時、泣き崩れるメイベル家の侍女と呆然と立ち尽くす御者に遭遇した。
その瞬間、何があったかわかってしまった。
僕は馬車から飛び降りると、侍女に事情を聴いた。
どうやら珍しく外に出たいと言ったアリーシャ嬢は、ジルベルトの結婚式を見届けたいとここに来たらしい。
泣き顔を見られたくないから馬車で少しだけ待っていてと侍女に命じたアリーシャ嬢は、ジルベルトの挙式が終わる鐘の音とともに崖から身を投じたそうだ。
アリーシャ嬢が立っていたと思われる場所から、下を覗き込んだ。
落ちた……ここから、アリーシャ嬢が。
崖下に広がる森の木々は小さく、下から吹き上げてくる風に体が煽られて足がすくみそうになる。
覆い茂る葉っぱが邪魔で下に落ちたというアリーシャ嬢の姿は確認できなかった。
全身から一気に血の気が引いていく。
こんなに高いところから落ちて助かるわけがない。
でも、もしかしたらまだ生きているかもしれない。
現実を見ろと言う気持ちとわずかな希望にしがみつきたい気持ちが自分の中でせめぎ合う。
とにかく。とにかく早く。早く、探しに行ってあげないと……。
ふらりと踵を返して、そのまま馬車の横を素通りして登ってきた道を下りようと歩き出す。
「坊ちゃん!」と慌てた様子の御者に背後から声をかけられて、馬車とメイベル家の使用人たちの存在を思い出した。
彼らをそのままにしてはおけないかと、僕は乗ってきた馬車に二人を招き入れて御者にメイベル家まで二人を送り届けるように命じた。
坂の下で一度馬車を止めてもらって、僕だけ客車から飛び降りる。
先に降りてアリーシャ嬢を探しているから応援を連れてきてほしいと頼むと、最初は坊ちゃん一人残して行くわけにはと渋っていた御者も、メイベル家の使用人たちの焦燥具合から最後は折れて先に二人をメイベル家まで送り届けることを了承してくれた。
こうして一人馬車を見送った僕は、街道から森の中に分け入った。
崖から飛び降りたのなら崖づてに歩けばいずれは見つけられるだろうと思って、道なき道を草をかき分けながら進んでいく。
街道から崖づてに少し中に入ったところにある大きな木の近く、そこに探している人はいた。
まだ流れて間もない鮮血でできた血だまりの中央に比較的原形を留めたままうつ伏せで倒れていた銀髪の少女――もう何年も友人として付き合いがあるのだ、その姿を自分が間違うはずがない。
白いワンピースを深紅に染めてピクリとも動かないアリーシャ嬢を目の当たりにして、僕はがくりと地面に膝をついた。
僕は、間に合わなかった。
***
現実に引き戻された僕は、目の前の状況を受け入れることができないでいた。
ジルベルトにアリーシャ嬢のことを託されたのに。
僕は彼女を幸せにするどころか、こんな結末を迎えさせてしまった。
「アリーシャじょ……ありーしゃじょう……あ……ああ……あああああああああああああああ!」
人けのない森の中に慟哭が響き渡る。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。
学園での楽しかった思い出が浮かんでは消えていく。
僕とジルベルトとアリーシャ嬢と……三人でいろんなことをしたなぁ……。
出会った頃は引っ込み思案で、自分に自信がもてなくて、子供の頃から出来損ないと言われ続けてきた僕は何もできないんだと何をやるにも消極的だった。
そんな根暗な僕と仲良くしてくれて、光の世界に連れ出してくれたのはジルベルトとアリーシャ嬢だったのに。僕が笑ったり冗談を言えるようになったのは君たちのおかげなのに。
僕は君たちに恩を返すどころか、恩をあだで返してしまった。
僕が……あの日の僕の行動が二人の未来を壊してしまった。
「ごめん、アリーシャ嬢……ごめん、ジルベルト……ごめん……ごめんなさい……」
視界が歪んで今まで我慢していた涙が溢れだした。
指先が白くなるほど強く手を握りしめる。
アリーシャ嬢を幸せにできるのはジルベルトだけだったのに。
僕なんかじゃ、ジルベルトの代わりにもなれなかったのに。
どうして、今アリーシャ嬢の隣にいるのがジルベルトじゃないんだ。
「あんなに高いところから飛び降りるほど、今が辛かったんだね……」
それなら。
僕にも君にしてあげられることがあるよ。
僕はその辺に落ちていた木の棒を手にして、アリーシャ嬢の亡骸に歩み寄る。
大きな木が他の草の養分を取ってしまっているせいだろうか、アリーシャ嬢の倒れているあたりはほんの少し草が生えている程度で地面がむき出しになっていた。儀式をするには都合のいい地面だ。
僕は手にした木の棒を地面に突き刺して、アリーシャ嬢を中心に魔法陣を描き始める。
「ねぇ、アリーシャ嬢……僕はね、君とジルベルトが笑いあってるところを見るのが好きだったんだ。僕からしてみたら二人はすごく眩しくて……でも、すごくいいなって……ずっとそう思ってたんだよ」
どんなに話しかけても、もう事切れたアリーシャ嬢からは何の反応も返ってはこない。
レイ家の書庫で見つけた『逆行転生の魔術書』――あの本に記されていた魔術が本当なら、アリーシャ嬢を救うことができるかもしれない。
書庫で見つけた日から、僕は何度もこの魔術書を読んだ。
魔法陣も儀式の手順も、本の内容を一言一句間違わずに言えるほど読み返した。
もうすぐアリーシャ嬢を探しに人がやってくる。
試すなら今しかないと思った。
「僕が見たかったのはこんな未来じゃない。こんなの、僕は認めない――――ねぇ、アリーシャ嬢。君もそうだろ?」
がりがりと丁寧に魔法陣を描きながら、なおも物言わぬ亡骸に話しかける。
幸せだったあの頃を思い返して、あの頃に帰りたいと願う。
完璧に描き上げた魔法陣を前に、手にしていた木の棒をぽいっと藪の中に放り投げた。
準備は整った。あとは術を発動させるだけだ。
代償は、術者の命。
術を使った本人は死んでしまうから、今までこの術を使った術者たちが上手く過去に飛べたかどうかは分からない。
そんな不確かな術に頼るなんて、僕ももうどこかおかしくなっていたのかもしれない。
それでも、試さずにはいられなかった。
もしも、アリーシャ嬢と一緒にあの頃に戻れるのなら、今とは違った未来を見られるかもしれない。
「だから、一緒に戻ろう?」
あの幸せだった頃に。
身につけていた儀式用の短剣をぬいてぴたりと首の側面にあてた。
結婚式の正装として帯剣していたものだけど、まさかこんな形で役に立つとは思わなかった。
怖い。
怖いけど、あんなに高いところから飛び降りたアリーシャ嬢だってきっと怖かったはずだ。だから恐れるな。
ジルベルトもアリーシャ嬢も幸せになれない未来になんて未練はない。
今度はみんなで幸せになるんだ。
一度だけ深呼吸をして息を止める。
手にしていた短剣に力を込めて、躊躇なく首の側面から内側に向けて切り込むように斬った。
ぶしゅっと勢いよく鮮血が噴き出して、立っていられずにそのままアリーシャ嬢の隣に倒れこんだ。
どくどくと地面に広がる血を眺めながら、もう後戻りできないなとぼんやり思った。
虚ろいゆく意識の中、僕はアリーシャ嬢の冷たくなった手を握って切に願った。
あの頃に戻って、この未来を変えたいと。
そうして次に目が覚めた時、僕は七歳の――ジルベルトと初めて出会ったお茶会まで時を遡っていた。
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