第50話 卒業パーティー②

 学園長の祝辞から始まった卒業パーティーは滞りなく和やかに進んでいった。

 ジル様もブライト様もご友人の皆様方と話に花を咲かせつつもも、警戒しているようで食べ物には一切手をつけなかった。

 やがて会場内の音楽がワルツに変わった。

 ダンスの時間だ。

 会場の空気が変わって、中央にできたスペースに手を重ね合わせた男女が歩み出てくる。

 音楽につられるように、先程まで友人たちと雑談をしていたアリーシャもしずしずとジル様のもとに戻ってきた。


「お待たせいたしました」


 ドレスの裾を軽くつまんで淑女の礼をしたアリーシャに、ジル様は顔を引き締めて彼女に手を差し出した。


「―――では、僕たちも行きましょう」


 差し出された手に自分の手を重ねてアリーシャはジル様に笑顔を向けた。


「私、ここでジル様と踊るのをずっと心待ちにしていましたの」


 アリーシャの言葉に、時を遡る前の私も卒業パーティーでジル様と踊るのを楽しみにしていたことを思い出す。

 そうでしたわ。以前の私もドキドキしながらジル様とこうしてダンスの輪に入っていったものです。

 私の中で過ぎ去ったあの日を思い出す。

 最終学年に上がってから多少のすれ違いやギスギスしたことがありはしたものの、私はずっとジル様のことが好きだった。

 ジル様のことを好きになるきっかけを思い出して、懐かしさに目を細める。

 ふと、目の前で踊るアリーシャも同じだろうかと確認してみたくなった。

 私は音楽の邪魔にならないように囁くように話しかけた。


「ねぇ、アリーシャ。貴女は初めてペアに誘った時のこと、覚えていますか?」

「もちろん覚えていますわ」


 アリーシャが昔を懐かしむように目を細める。

 初めて誰かとペアを組むように言われた時、引っ込み思案な私はどうしても誰かに声をかけることができなくておろおろしていた。

 そんな時に声をかけてくださったのが当時十歳のジル様だった。

 艶やかな金の髪に青い瞳の王子様のような容姿にまず目を奪われた。けれど、好きになったのはその時じゃない。

 授業で何度も失敗してしまった私を、ジル様は責めないどころか励ましてくださった。四苦八苦しながらもなんとか課題を成功させた時に見せてくれたジル様の笑顔に、私は恋をした。


「あの時、ジル様が励ましてくださったから最後まで頑張ることができましたのよ」


 ふふっと思い出し笑いをしながらアリーシャが当時のことを口にすると、ジル様の口元が綻んだ。


「……ずいぶん懐かしい話ですね。思えば、あの時僕も頑張る貴女を見て心を奪われたんですよ」

「そうでしたの……?」


 驚いたような顔を向けられて、ジル様が苦笑する。


「ええ。どうやったら貴女と仲良くなれるか、その後こっちは必死だったんですよ?」

「全然知りませんでしたわ。言ってくださればよかったのに」

「言ってしまったら格好がつかないじゃないですか」

「意外と見栄っぱりですのね」

「男はみんな見栄っぱりな生き物なんです」


 顔を見合わせて笑い合う。

 アリーシャもジル様も同じ気持ちでいてくれることが嬉しい。幸せな気持ちで心が満たされていく。

 このまま止まってしまえばいいのにと思った夢のような時間はあっという間にすぎていった。

 一曲目が終わり、そのまま続けてもう一曲踊って輪から抜け出す。

 アリーシャの手を引いて壁際に寄ったタイミングで「ジルベルト様」と横から声がかけられた。

 振り向くまでもない。コーデリア様だ。

 ジル様とアリーシャがコーデリア様に目を向ける。

 アリーシャとは対照的に鮮やかな赤のドレスに身を包んだコーデリア様は、ハーフアップにしていた髪の後れ毛を耳にかけてにこりと微笑んだ。


「卒業の思い出に私と一曲踊っていただけませんか?」


 来た。

 あの時と同じドレス、髪型で同じ言葉を口にしたコーデリア様にぎくりとする。

 ジル様も身を固くしたのがわかった。

 以前と同じ展開は避けたい。

 事前に話し合っていた通りにコーデリア様とのダンスを断ろうとしたところで、隣に立つアリーシャに「いってらっしゃいませ」と快く送り出されてしまった。

 ええ!? いってらっしゃいませ!? アリーシャ、正気ですの!?

 私は目の前にいる自分の発言に驚く。

 昔の私だったら絶対に言わなかっただろう言葉だ。

 アリーシャの顔をまじまじと見て思わず確認する。


「え……い、いいんですか……?」


 ジル様……もとい私の質問に、アリーシャがにっこりと頷いた。


「ええ! 学園最後の思い出ですもの。私だけがジル様を独占するわけにはいきませんわ」


 断るつもりがアリーシャのせいでどんどん断りにくくなっていく。

 おかしいですわ。私のことだから独占欲を発揮してコーデリア様からジル様を遠ざけてくれるかと思っていましたのに……なぜ。

 結局断ることもできずにコーデリア様と踊ることになってしまったジル様は、コーデリア様を伴って今しがた出てきたダンスの輪へと戻ってゆく。

 その際、向こうの壁に踊り終えて待機していたブライト様と目が合った。

 ブライト様は声こそ上げなかったものの、ぎょっとした様子でジル様のことを二度見した。

 なんでそんなことになってるのさ!? と言いたげな表情に内心で同意する。

 ええ、ブライト様もそう思いますわよね。私たちだってこんなはずではなかったのです。

 ちらりと踊りはじめたコーデリア様に意識を向けてみる。コーデリア様は優雅に踊りながらも、緊張しているのかその顔は強張っていた。

 何かしら。

 なんとなく違和感のようなものを感じて、私はジル様に断りなく口を開いた。


「緊張していらっしゃるのですか?」

「っ!」


 コーデリア嬢の顔が一層強張り、次に誤魔化すような笑顔になった。


「き、緊張もしますわ。だって憧れのジルベルト様と最後に踊れるんですもの。し、失敗できないと思って」

「さっき、ライアンとも踊っていたではありませんか」

「ラ、ライアン様とは気心がしれているというか、授業でもたくさん踊りましたもの。ジルベルト様とは違いますわ」


 ライアン様の名前を出すと、コーデリア様の表情が少し和らいだ。

 そういえば、コーデリア様がライアン様のことをどう思っているかわからないままでしたわね。彼女の表情を見る限り険悪そうな様子はないけれど、結局どうなったのでしょう?

 聞くのは野暮かしらと思っていると、コーデリア様は少し目を泳がせた後にジル様を見上げた。


「ジルベルト様、一つお聞きしてもよろしいですか?」

「何ですか?」

「こんなことを聞くのははしたないかもしれませんが……ジルベルト様はアリーシャ様との婚約をどう思っていますの?」


 突拍子もない問いかけに、私もジル様もぱちりと目を瞬く。


「どう、とは?」

「だって、貴族にとって結婚は政略的なものではありませんか。家の都合で結婚相手を決められてジルベルト様だって逆らえなかったのでしょう? 嫌ではありませんでしたの?」


 どうやらコーデリア様はジル様が家の都合で私と婚姻関係を結んだと思っているようだ。

 確かに貴族の結婚なんて家の都合で決められることが多い。初めからそこに恋愛感情があると思う方がおかしいのだ。

 かくいう私だって、この婚姻はずっと政略的なものだと思っていたのです。違うと知ったのは死んだ後でしたが。

 その質問には私ではなくジル様が答える。


「僕たちの場合は少し特殊でして……アリーシャとの婚姻は僕が両親に頼んだものなんです」

「え……?」

「一応両家にメリットはありますが、僕にとってはアリーシャと婚姻を結ぶことにこそ意味があるんですよ」

「……つまり、ジルベルト様は政略結婚ではないと?」

「そうです。僕はアリーシャでないとダメなんです。他の誰でも彼女の代わりにはなりません」

「…………っ」


 ジル様の回答にコーデリア様が息をのむのが伝わってきた。

 ジル様は「コーデリア嬢も」と言葉を続ける。


「貴女も素敵な結婚ができるといいですね」

「え……?」

「ライアンは真摯な男です。きっとまっすぐに貴女のことを見てくれますよ」


 ライアン様の名前にコーデリア様がピクリと肩を震わす。


「ライアン様なら、私を……愛して下さると思いますか?」

「ええ、きっと」


 淀みない返事にコーデリア様の体から力が抜けるのを感じた。

 コーデリア様は「そうですか」と小さく呟いた後、まるで憑きもののおちた顔で微笑んだ。


「そうだといいですわね」


 その後、コーデリア様は言葉少なく一曲踊りきった。

 壁際に戻ったところで、コーデリア様が飲み物を貰ってきますと離れていった。

 まずい。

 このままここにいたらコーデリア様が飲み物を持って帰ってきてしまう。

 何も言わずにここから立ち去るべきかと思っていると、ライアンから声をかけられた。


「よぉ、ジルベルト」

「ライアン」

「コーデリア嬢と踊ってきたのか」


 ライアン様は飲み物を取りに行くコーデリア様の後ろ姿を見送りながらジル様の隣に並んだ。

 その両手にはシュワシュワした炭酸が注がれたグラスが握られている。おそらくノンアルコールのシャンパンだろう。


「ライアン、その飲み物……」

「ああ。飲むか?」

「いいんですか?」

「ああ、元からお前と飲むつもりで持ってきたものだから――――なぁ、ちょっと出ないか?」


 ライアンから渡されたグラスを手に考える。

 コーデリア様が来る前にここを離れるチャンスだと思った。乗るしかない。

 そう思ったのは私だけじゃなくジル様も同じだったようだ。

 ジル様はライアン様から受け取った飲み物を一気にあおって壁際のテーブルにグラスを置くと、近くにいたクラスメイトに少し出てくることを伝えてライアンと連れ立って講堂を出た。



 ***



 ライアン様が向かったのは、以前彼がコーデリア様について思い悩んでいた中庭のベンチだった。

 月明かりで十分明るい中庭の西側は人けもなく、遠くにワルツの音が聞こえる。

 ライアン様は池から少し離れたところに立ってしみじみと言った。


「いよいよ卒業だな」

「そうですね」


 ジル様も並び立ってしみじみと返す。

 ライアン様は池の水面に映る月を見据えたまま口を開いた。


「前にお前とアリーシャ嬢にここで話しかけられた時のこと、覚えてるか?」

「覚えていますよ」

「俺さ、お前たちが背中を押してくれたおかげでコーデリア嬢とどうなりたいのか決心がついたんだ。感謝してる」


 ライアン様はジル様に感謝の言葉を告げると、一度言葉を切ってジル様に向き直った。


「その上で、お前に頼みがあるんだ」

「頼み?」


 聞き返したジル様に、ライアン様は顔を引き締めて信じられない一言を放った。


「コーデリア嬢と結婚してもらいたい」

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