第10話 午後の授業

 お昼休みぎりぎりまで話し込んでわかったことは、この雲でもつかまされたようなつかみどころのない性格をした少年は、間違いなく私のよく知るブライト様だということだった。

 とりあえず、ジル様には私がアリーシャだということは伏せておいた方がいいだろうという方向にまとまったところで、午後の授業の予鈴が聞えてくる。

 その鐘の音を遠くに聞いた私は、未だ起きないジル様が心配になってきた。

 少し離れたところに見える生徒の皆様方が校舎へ入っていくのを見ながら、ブライト様に声をかける。


「ところで、ブライト様。もうそろそろお昼休みが終わると思うのですが」

「うん、終わっちゃうね」

「ジル様が起きません……」

「あー……まだ起きないだろうねぇ。あの薬よく効くから」


 いえいえ、そんなしみじみと言われても困ります。


「午後の授業が始まってしまいますわ」

「さぼっちゃおうよ」

「!? 今なんて!?」

「さぼっちゃおうよって言ったんだけど……君、ジルベルトの代わりできるの?」


 そう言われて、自分が今ジル様であることを思い出した。

 正直、私はジル様ほど成績がよくない。

 ジル様と同じレベルで授業を受けられるかと聞かれたらできないのだけれど、このままではジル様が午後の授業を休むことになってしまう。

 今まで滅多なことでは休まなかったのを知っているだけに、安易に授業を休むのはためらわれた。

 ジル様の学園生活に穴を開けるわけにはいきませんわ。

 だから、私はジル様の代わりに授業を受けることにした。


「できますわ! 要はジル様っぽく振舞えばよろしいのでしょう? ノートをとるくらいなら私にもできるはずです!」

「いや、まぁそうかもしれないけど……でも」

「大丈夫! ジル様のことならずっと見てきましたもの! ほら、ブライト様も早く行きますわよ!」

「ちょ、アリーシャ嬢、言葉! 言葉遣いっ!」

「はっ。そうでしたわね――――ほら、ブライト。行きますよ」


 ブライト様をせっついて教室に戻った私は、この決断を心底後悔することになる。


 ***


 キンッ、キンッ

 硬質な金属のぶつかり合う音が屋外練習場に響き渡る。

 目の前に広がるのは生徒同士が剣を手合わせする姿。

 その姿を前に、私は自分がやらかしてしまったことに気づいた。

 おかしい、午後の授業は座学だったはずなのに。

 急に剣技の授業に変わるなんて聞いてないですわとブライト様に愚痴れば、午前の授業の最後に言ってたじゃないと返されてしまった。

 どうやら私が聞き漏らしていたらしい。

 だからさぼろうって言ったのにと言われてしまえば、ぐうの音も出ない。

 剣帯に装着された剣の柄をそっとなでる。

 どうしましょう……私、剣なんて持ったこともありませんわ。

 下手に顔を出してしまった手前さぼるにさぼれなくなってしまった私は今、クラスの中でも優秀なルイス様とオリヴァー様のお手本のような模擬戦を見学している。

 事前に打ち合わせでもしたかのような無駄のない綺麗な動きにほうっとため息が漏れた。

 これが終わったら、各自ペアを組んで実技に移ることになっている。

 ジル様の手合わせをしているところは何度となく見たことがあるけれど、今日初めて剣を握る自分がそれを再現するのは不可能だろう。

 気を利かせてくださったブライト様が、先手を打って「今日は僕と組んでよ」とみなさんの前で誘ってくれたおかげで誰にも声をかけられることなくすんだのがせめてもの救いでしょうか。

 ブライト様、ありがとう。

 せめて悪目立ちしないように、構え方と基本動作だけでもブライト様に教わっておきましょう。


 そうして剣の基本を教えてもらっていた私は、自分の……というかジル様の体に違和感を覚えた。

 剣なんて握るのは初めてだというのに、不思議なほど柄が手になじんだ。

 ブライト様の構え方を見ながら剣を構えてみれば、体が覚えているのかすんなりとその型を取ることができた。剣の重さによろけることもない。

 これは俗にいう体がおぼえているというあれでしょうか。

 試しに記憶にあるジル様のように剣を振ってみると、軽々と振ることができた。

 その様子を見てブライト様が満足そうに頷く。


「うん、なかなかいいんじゃない? ちゃんとジルベルトっぽいよ」

「ブライト様のおかげですわ」

「ブライトだよ、ジルベルト」

「あっと……そうでした」


 あぶない。あぶない。

 あとはこのまま授業が終わるのを待っていれば、何とかこの場はしのげそうですわ。

 その思惑は思わぬ乱入者によって打ち破られることになった。


「ジルベルト! こないだの続きをしようぜ」


 少しくせっ毛の明るい茶の短髪にこげ茶色の瞳をした体格のいい少年ライアン・ケルディ様が、にこやかに片手を上げてこちらにやってくる。


「ライアン様……」

「さまぁ……?」

「あ、いえ。ライアン、ええと……続き、ですか?」


 身に覚えがなさ過ぎて何の続きかわからない。ちゃんと主語をつけてほしい。


「なんだ、忘れたのか? 三回手合わせして負けた方が昼飯奢るって話。こないだ一勝一敗で三戦目の前に授業が終わっただろ?」

「………………そう、でしたね」


 なんとか話を合わせることにしたけれど。

 ジル様、授業中になんて勝負してらっしゃるのですか。

 というか、今からその続きをするのはまずい。

 ライアン様と一勝一敗ということはジル様もライアン様も剣の腕は同等ということになる。真剣勝負をしようもんなら、間違いなく速攻で負けてしまうだろう。

 それではジル様に顔向けができませんわ。

 なんとか勝負を持ち越しせないかとあれこれ考えていると、ブライト様が私とライアン様の間に割って入った。


「ジ、ジルベルトは今日は僕と組んでるんだけど……」

「んん? レイ家の坊ちゃんじゃ相手にならないだろ。さっきから全然手合わせもしてなかったじゃないか」

「それは……確かに僕じゃジルベルトの相手にはならないかもしれないけど……」


 体格のいいライアン様に威圧されて、ブライト様の声がだんだん小さくなる。


「なぁ、いいだろ? 一戦だけでいいからちょっとジルベルトを貸してくれよ」

「いや、でもそれは……」

「なぁ、ジルベルトからも言ってやれよ。レイ家の出来損ないじゃ相手にならないって」

「な……」


 私は唖然としてライアン様を見返す。

 肩越しに見えるブライト様が真っ青な顔をして、唇をかみしめた。

 なんなんですの!? この失礼な言いようは。

 友人を侮辱されて、ふつふつと怒りがこみあげてくる。

 奥歯を噛みしめて手を握りこむ。


「受けてやろうじゃありませんの……」


 思わず漏れ出た呟きを聞き留めて、ブライト様が血相を変えて振り返った。


「ちょ、アリ……ジルベルト、何考えてるのさ!」

「ブライト様はちょっと黙ってて! いくらなんでも友人が侮辱されて黙っていられるほど、薄情な人間ではありませんの!」

「ありませんの?」


 私の語尾を拾って、ライアン様が首を傾げる。

 おっと、危ない。言葉遣い言葉遣い。

 私は一呼吸して気を取り直すと、ブライト様を押しのけてライアン様の前に出た。


「ライアン、先日の続きをしましょうか――――僕が勝ったら、さっきのブライトへの言葉を取り消してください」

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