第9話 秘密の話をいたしましょう①

「睡眠薬!?」


 ブライト様の口から飛び出した物騒な単語に、がばっと飛び起きた。

 今までどんなに頑張っても動かせなかった体が嘘のように軽く動くことに驚いて、思わず体を見下ろす。

 ジル様が寝てしまったから、私が自由に動けるようになったということでしょうか。

 その様子を楽しそうに見ながら、ブライト様はすとんと私の隣に腰を下ろした。

 何!? ブライト様、どうしてしまったの!?

 こんなことをするような人ではなかったと思うのだけれど。

 私は警戒の色を強めてブライト様に目を向ける。

 不躾な視線も意に介さず、ブライト様はなんてことはないように笑みを深めた。


「効き目は確かなはずだよ。なんたって、レイ家特製のものだからね」

「ど、どうしてそのようなものを持ち歩いてらっしゃるの!?」

「僕、これがないとよく眠れないんだよ。レイ家の者は体質的に人ならざる者に悩まされることが多いから持ち歩く人も多いんだ。薬物に耐性のある人でも効くように作られてるから強力だよ?」


 そう言って、懐から薬袋のようなものを取り出してこちらに見せてくる。

 私は得体のしれない恐怖を感じて身を強張らせた。


「どうして、ジル様にそんなものを……?」

「言ったでしょ? 君と二人で話がしたかったんだって」

「私……?」

「そう。ジルベルトがいない状態でもう一度聞きたかったんだ。君は本当にアリーシャ嬢なの? 正直に答えて」


 腕を掴まれて顔を覗き込まれる。

 吸い込まれそうな黒い瞳が間近に迫って、心臓が嫌な音を立てて早鐘を打ち始める。

 わずかな嘘すら見透かされそうな視線に居心地の悪さを感じて、私は上半身を反らしてブライト様から距離を取る。


「…………か、仮にアリーシャだと言ったら、ブライト様は信じて下さるの?」

「信じるよ」


 間髪入れずに返された言葉に、私はたじろぐ。


「どうして信じられますの? ジル様ですら信じて下さらなかったのに……」

「君も知ってるでしょ? 僕が人のオーラを見ることができるって」

「え、ええ」

「人のオーラっていうのは、誰一人として同じ色をしてる人はいないんだよ。朝、ジルベルトと会った時は驚いたよ。君のオーラはアリーシャ嬢のものと瓜二つだ。おまけに、君は自分のことをアリーシャだと言っているし」

「でも、教室でアリーシャ本人にお会いしましたわ」

「そう、あのアリーシャも本物だよ。本来なら同じ時間に同じ人間が二人いるなんてありえないことなんだ。ジルベルトが信じられないのも無理もないよ」


 だから許してあげてね、とさりげなくジル様のフォローをしたブライト様は続ける。


「だけど僕は以前、逆行転生という魔術について書いてある本を読んだことがあってね――――君さ、未来の記憶とか死んだ記憶とかない?」


 単刀直入なその問いに、ヒュッと息をのんだ。

 目を見開いたまま硬直した私の反応を見て、ブライト様は何かを確信したようだった。

 あるんだね? と問われてわずかに頷きを返す。


「こうして君と話すまでは確信が持てなかったけど、これで僕の仮説が証明できるよ。君はここではない未来の世界で死んで、魂だけ過去に戻ってきた」

「うそ……そんな……信じられるわけ……」


 信じられるわけがない。

 確かにジル様と話していて時間が巻き戻っているとは思ったけれど、それを普通に受け入れられるほど私は器の大きい人間ではない。

 そもそも、それを普通に受け入れられるブライト様の方が異質ではありませんこと!?

 やや引き気味の視線を送ると、その意味を察したのかブライト様が肩をすくめてみせた。


「そんなことでいちいち驚いてたらレイ家じゃやっていけないよ」


 そのあっけらかんとした返答にくらりと眩暈を覚える。


「…………どれだけ非常識なお家ですの」

「家が変わってるのは今に始まったことじゃないしなぁ。今度遊びに来るかい? 今ならジルベルトの体だから体裁を気にしなくてもいいでしょ?」


 くすくす笑いながら提案されて、私はがくりと肩を落とした。

 なんだか真面目に取り合うのが馬鹿らしくなってきましたわ。

 額に手を当てて項垂れると、笑いを治めたブライト様が「さて」と切り出した。


「それじゃあ、これからの話でもしようか」

「これからの話?」

「そう。これからどうするかって話」

「ジル様はブライト様にレイ家の退魔師を紹介していただきたいと言ってましたわよ?」


 先程までジル様と話していた内容を話すと、ブライト様は「それはやめたほうがいい」と顔を顰めた。

 やはり紹介していただくには色々と軋轢があるのでしょうか。

 それを聞けば、ブライト様は家の問題とは別だと前置きをした上で理由を教えてくれる。


「家の退魔師なんか紹介したら、それこそ君が退治されちゃうだろ?」

「退治!?」

「だって、今の君の状態はジルベルトに憑りついた幽霊みたいな存在なんだから」

「幽霊!?」


 先程から何でしょう、このパワーワードの数々は。

 確かに私には死んだ記憶があるし、ジル様の体を間借りしている状態から見ても幽霊と言われても仕方ないのかもしれません。

 私が二の句が継げないでいると、ブライト様が「だからね」と続ける。


「僕に任せてくれないかな?」

「え……?」

「ジルベルトの手前、表向きはレイ家に取り合ってるようにするけど、僕に方法を探させてほしいんだ」


 ブライト様が私の両手を取って真っすぐに見つめてくる。

 その真摯な視線から目がそらせなくて、気がつけば「どうして」と呟きを漏らしていた。


「どうして、そこまでして下さるの……? 貴方はジル様のご友人でしょう? そのまま退魔師に退治をお願いすることだってできるでしょうに……」


 私がそう言うと、ブライト様はくしゃりと顔を歪ませて握った両手に額をつけた。今にも泣き出しそうな顔を隠すように項垂れる。


「確かに僕はジルベルトの友達だよ。だけどね、アリーシャ嬢。僕にとっては君だって大切な友達なんだ」

「…………ブライト様」

「――――――――――なんてね。どう? ジルベルトなんかやめて僕に乗り換える気になった?」


 そっと顔を上げたブライト様はいたずらが成功した子供のような顔をしていて、私は一気に脱力する。

 感動を返してほしい。


「もう! もう! もう! せっかくの感動が台無しですわ!!」


 私は握っていた手を放して、ブライト様の胸板をグーでポコポコ叩く。

 最初は叩かれて笑っていたブライト様だったけれど、だんだん痛くなってきたのか悲鳴のような声を上げた。


「ちょ、痛い痛い痛い! 君、今ジルベルトなんだから、もうちょっと手加減してよ!」

「あら、ごめんなさい」


 思いもよらない反応に驚いてぱっと手を下ろすと、ブライト様と顔を見合わせる。

 ジル様の方が背が高いせいか、いつもなら同じくらいにある目線がブライト様を見下ろすような形になって、どちらからともなく笑いが漏れた。


「なんか、今更だけど見た目ジルベルトなのに中身アリーシャ嬢ってすごい違和感だよね」

「まったくですわ」

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