第8話 中庭で親睦を

 何を話そうかとあれこれ考えていると、ジル様は諦めたようにその場に座り込んで深いため息とともに呟きを漏らした。


「……親睦でも深めててって言われても……」


 ええ、わかりますわ。私だって何をどう話したらいいかわかりませんもの。

 そもそも私がアリーシャだと信じてもらえない時点で、ジル様にとって私は得体のしれない人物なわけで。

 悲しいですが、そんな怪しい人物と親睦を深めろという方がどだい無理のあるお話なのです。

 誰に言うともなく呟かれたジル様の言葉を拾って、私も同意するほかない。


「何をお話しすればって感じですわよねぇ……」


 まさか反応が返ってくるとは思ってもみなかったのか、ジル様は小さく息を飲んで口に手を当てた。

 そういえば、学園ではしゃべらない約束をしていたのでした。


「ごめんなさい。学園ではしゃべらないって約束でしたわね」

「あ……いえ、これはしゃべるなと言いたいのではなくて、なんだか自分の口が勝手に動くのが変な感じで――――誰もいないですし、せっかくですからブライトが戻ってくるまで少し話をしましょうか」


 ジル様は口を押さえていた手を離すと、ごろりと芝生の上に寝転がった。

 視界が反転して、今まで自分の下に影を作っていた木の枝葉が青い空に向かって伸びているのが目前に広がる。

 白い雲がゆっくりと流れていくのを眺めながら、ジル様が欠伸をかみ殺す。ブライト様の言う通り、少しお疲れなのかもしれない。


「……妙なことになりましたね」

「まったくです……」

「ブライトは僕が貴女を体に呼び込んでしまったのかもしれないと言っていましたが、貴女から出ていくことはできないのですか?」

「それができるのなら、とっくにやっていますわ」


 思わず遠い目をしてしまった。

 おトイレ騒動の後ジル様に体の支配権が移ってから、私もジル様の体から出れないかどうか一応試してみた。

 けれど、まるで身動きの取れない容器にすっぽりはまってしまったかのように、抜け出すことはおろか指一本動かすことすらできなかった。自由に動かせたのは口だけだ。

 私の返答に、ジル様はもう一度ため息をついた。


「ですよね……あとはブライトだけが頼りですね」

「ブライト様、ですか?」

「ええ。彼の家には高名な退魔師が多く在籍しているので紹介してもらえないかと思いまして」

「確かにレイ家でしたら、退魔師の一人や二人――……」


 んん!? 今、退魔師っておっしゃいました!?


「ちょっと待って。退魔師ってどういうことですの!?」

「あ、それは」

「私、退治されてしまいますの!?」

「いや、そうじゃなくて……」

「やっぱりジル様は私のことを幽霊か何かだと思ってらっしゃいますのね!?」

「ああ、もう! ちょっと黙って! 僕にもしゃべらせてください!!」


 口は一つしかないので、言いたいことはお互い譲り合って交互にしゃべるしかない。

 矢継ぎ早に放たれた私の言葉の勢いに負けてジル様の言葉が何度か遮られたところで、ジル様が苛立った声をあげた。

 あまり声を荒げたところを見たことがなかったので、私はびっくりして押し黙る。


「ちゃんと最後まで聞いてください! 別に貴女を退治しようとは思ってません。でも、現状では僕にも貴女にもどうすることもできないでしょう?」

「…………そうですわね」

「だから、レイ家の退魔師に協力を仰ごうと思ったんです。彼らは今まで幾度となく人に憑りついた霊を見てきているはずなので、僕の中から貴女を引っぱり出す方法も知っているかもしれません」

「なるほど」


 最後まで聞けば、一応納得できる返答が返ってきた。

 レイ家の退魔師の方々はそうして人に憑りついた霊を祓ってきたのかもしれませんが、ジル様的には私のことを退治しようと思っているわけではないようなのでよしといたしましょう。

 人の話はきちんと最後まで聞かないといけませんわね。

 誰もいないことをいいことに、ジル様は目をこすって大きく欠伸をする。なんだか私もまったりした気分になってきた。


「問題はブライトが取り持ってくれるかどうかですが……」

「ブライト様、レイ家の方々とは色々ありますものね」


 黒髪黒眼の小柄であどけない顔立ちをした友人の姿を思い出す。

 金髪金眼というレイ家の特徴を一切受け継がなかったブライト様は、一族の中では不貞の子とか呪われた子とかあらぬ疑いをかけられて肩身の狭い思いをしていた。

 レイ家の者は何かしら人知を超えた能力を持って生まれてくることが多く、ブライト様も例に漏れず人のオーラを見ることができるという特殊な能力を持っている。

 けれど、先見の明や退魔のような華々しい能力とは違い、人のオーラが見えるだけという能力はいささか地味で、黒髪黒眼の外見も相まって陰では一族の出来損ないと呼ばれていた。

 表向きは飄々としているように振舞っているけれど、実はすごく気にしているのを私もジル様も知っている。

 そんなブライト様に一族との仲を取り持ってほしいとお願いするのは気が引けるという思いもあって。

 きっとジル様も同じ気持ちなのでしょう。


「……貴女はブライトのことも知っているのですか?」

「ええ、よく存じておりますわよ」

「貴女は、僕のことも知っているようでしたね……」

「ええ、とてもよく存じております」


 なにせ、入学当初から卒業まで同じクラスでしたし、ジル様とは婚約関係にありましたもの。

 不意にジル様の目が閉じられる。

 ややあって、今にも消え入りそうな声で問いかけられる。


「貴女は……一体……?」

「…………それは私が一番知りたいですわ」

「…………」

「本当、どうしてこんなことになってしまったのかしら……」

「…………」


 この訳のわからない状態は、もしかしたら自殺した私への罰なのかもしれない。

 ジル様ともう一度お会いできて嬉しいはずなのに、ジル様の体を間借りしているというこの奇妙な状態のせいで全く嬉しくない。いかんせん、困惑や戸惑いといった複雑な思いの方が大きすぎるのだ。

 それでも、もう一度お会いできたら聞いてみたいことがあった。


「――――ねぇ、ジル様。私、もう一度ジル様とお会いできたらお聞きしたいことがありましたの」

「…………」

「ジル様はどうして、アリーシャではなくコーデリア様を選んだのですか……?」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………ジル様?」

「…………」


 返事がない。

 なにやらジル様の様子がおかしいことに気づいて耳を澄ましてみれば、すこやかな寝息が聞こえてきた。

 寝た!? 寝ましたの!? このタイミングで!?

 確かに先ほどから欠伸をしてらっしゃいましたが。

 一方の私はまったりした気分が一気に吹き飛んだ。

 あまりの衝撃に絶句していると、誰かがこちらに歩いてくる気配を感じた。


「やぁ、ジルベルトは寝たかい?」


 頭上から声をかけられて目を開けてみれば、ブライト様がジル様を覗き込んでるところだった。

 双黒の瞳を見つめ返して瞬きをぱちぱちすると、ブライト様は「動けそうだね」と満足そうに頷く。

 そう言われて、私はジル様の体を自由に動かせるようになっているのに気づいた。


「え……? どうして……?」


 突然起こった出来事に戸惑っていると、ブライト様が口元ににっと笑みを浮かべた。


「どうしても何も……さっき飲んでた紅茶、あれ睡眠薬入りだったんだから――――さぁ、これで邪魔する人はいなくなったよ。話をしようか、ジルベルトの中の幽霊サン?」

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