第52話 卒業パーティー④(ジルベルト視点)
気をつけるべき相手はコーデリア嬢だけではなかったか。
さきほどライアンから受け取って飲んだシャンパンが頭をよぎる。
コーデリア嬢にばかり気にかけていて、手元への注意がおろそかになっていた。それまで食べ物には手をつけないように気をつけていたというのに。
我ながら迂闊すぎた。
内心で舌打ちして、ライアンを睨みつける。
正直、解毒剤はほしい。
けれど、ライアンの頼みを聞くわけにはいかなかった。
コーデリア嬢と結婚した未来でアリーシャは身投げして死んだのだ。それを知って、どうしてライアンの頼みを聞けるというのか。
「お断りします。僕は絶対、コーデリア嬢とは結婚しません」
「な……正気か!? お前、このままだと死ぬぞ!?」
僕が断らないと思ったのだろう。ライアンが慌てて死ぬぞと脅してくる。
小さい頃から毒に慣らされてきた自分には、それが単なる脅しだということは分かっていた。飲まされたのはおそらく死ぬほどの毒ではない。脅して言うことを聞かせるためのものだ。
毒に慣らされた人間ならば、このくらいの毒で死ぬことはない。
とはいえ息苦しいのは確かなので、なんとかライアンを説得して解毒剤を手に入れたいところだ。
「こんなことをして……貴方だって、ただではすみませんよ」
ライアンの脅迫に乗るように、僕もライアンを脅し返す。
僕に万が一のことがあったら最後に一緒にいたライアンに真っ先に疑惑の目が向くだろう。言外にそう言えば、ライアンは自嘲するように笑った。
「俺のことなんてどうだっていい。どうせたかが知れた人生だ。それならせめて、彼女のために何かしてやりたかった」
「だから……僕を……?」
「ああ。さすがにこの状況になれば、お前だって解毒剤ほしさに要求をのんでくれるかと思ったんだけどな……」
ライアンの顔がくしゃりと歪む。
「僕だって、ほんとは解毒剤ほしいですよ」
「それならなんで!」
なんで、と聞かれて瞼の裏にアリーシャの顔を思い浮かべる。
僕は今度こそ彼女を幸せにしなければならない。
「僕にだって、譲れないものがあるんです」
「…………お前、馬鹿だろ?」
「貴方には言われたくありません」
自分のこれからの人生を棒に振ってまで、コーデリア嬢に何かしてあげたい。そんな思いがあるのなら、なぜライアンは自分で彼女を幸せにしようと思わないのか。
貴族の女性にとって、純潔はとても大事なものだ。それを捧げるとまで言われて、どうして彼は
そんなライアンに、だんだん怒りがこみ上げてくる。
「貴方自身は、それでいいんですか……?」
「なに?」
「婚約を考えるほど好きだったのでしょう?」
僕の指摘にライアンが泣きそうに顔を歪ませた。
なんて顔してるんだ。そんなに未練たらたらな顔するくらいなら、好きな人を他人に託すんじゃない。誰かに託したって、その人が幸せになれるとは限らないのに。
「どうして貴方は自分でなんとかしようと思わないんですか……!」
「………………お前に……」
ライアンが小さく呟いて、手を握りしめる。握りしめた拳がわなわなと震えているのがわかった。
ぎりっと歯を噛みしめたライアンは、今まで抑えていたものを爆発させた。
「お前に俺の何がわかる!?」
「!?」
「お前はいいよな! 長男で!」
「は!? いきなり何を!?」
「継ぐべき家もある、可愛いの婚約者もいる、おまけに家業も順調だ! 将来を約束されたお前に、俺の何がわかるっていうんだ!」
一息で言い切ったライアンは、肩で息をついて顔を隠すように俯いた。
「…………俺には継ぐ家も爵位もない! おまけに惚れた女にあんなことまで言わせて……! 自分の不甲斐なさがわかるか!? 俺が後継ぎだったら! こんなふうに卑屈に考えたりなんかしなかったかもしれない! コーデリア嬢の父親だって、俺を婚約者にと望んでくれたかもしれないのに!」
思いのままに言葉をぶつけられて、ようやくライアンが何を抱えていたのか理解した。
以前、ライアンから中庭で相談を受けた時、彼は自分は三男だからと家も爵位も継げない、コーデリア嬢を伯爵夫人にしてあげることができないと、肩を丸めていた。
そうか。ライアン、貴方はずっと三男であることを思い悩んでいたんですね。
そんな彼からしたら、僕は彼のほしいものすべてを持っていると思われても仕方がないのかもしれない――――けれど、そんなのただの無い物ねだりだ。
生まれてきた順番は自分ではどうすることもできない。そんなことを持ち出されて『お前はいいよな』って言われても困る。
そもそも僕からしたら、自由に将来を選べるライアンが羨ましい。
僕は生まれた瞬間から未来が決められていて、そのための教育を受けさせられてきた。幼い頃は自由な弟が羨ましいと思ったことさえあった。結婚だって、きっとアリーシャに出会わなければ決められた相手を親にあてがわれていたに違いない。
それなのに、それを知りもしないで『お前はいいよな』なんて、どの口が言うのか。
気づけば、僕はライアンに言い返していた。
「ライアンこそ、僕の何がわかるんですか! 僕だって好きで長男に生まれたわけじゃありませんよ! 貴方にわかりますか? やること全てがすでに決められて、自由に選ぶことはできない。結婚相手だって! 初恋の人と結婚するために、僕がどれだけ必死に根回ししたと思ってるんですか! コーデリア嬢の父親だって、僕と結婚させたいのは、僕がバートル家の跡取りだからでしょう!?」
もとから苦しかった息が更に苦しくなる。
自然と荒くなった息に、僕の中のアリーシャが息をのむ気配が伝わってくる。
恐い思いをさせてしまっただろか。
思えば僕がコーデリア嬢の父親に目をつけられなければ、あんなに悲惨な未来を迎えることはなかったはずなのに。
やり場のない怒りがふつふつと湧き上がってくる。
「正直、僕は未来を自由に選べる貴方が羨ましい! 家を継げなくても、爵位を継げなくても、ライアンには自由があるじゃないですか!」
「でも、俺は……」
なおもうじうじと言い募ろうとするライアンに、僕の中で何かがブチッと音を立てて切れた。
「そんなに未練がましい顔をするくらいなら、いっそ彼女の純潔を奪って責任でも何でも取ればよかったじゃないですか!」
脳裏に浮かんだのは、最後に踊った時に見せたコーデリア嬢の憑きものが落ちたような笑顔だった。
いくら感情の機微に疎い僕でも、コーデリア嬢がライアンに心を寄せていることくらいはわかった。
「貴方は! コーデリア嬢の何を見ていたんですか! 彼女は……彼女は貴方にっ、愛されることを望んでいたのではないんですか!」
「それは……」
「それを知って……なぜ貴方は自分の手で彼女を幸せにしようとしないんだ!」
「だって、俺は……」
「貴方はそうやって、三男であることを盾に逃げるんですか!? 僕は嫌ですよ、好きな人が別の誰かと結ばれるなんて!」
未来のアリーシャもこんな気持ちだったんだろうか。
胸が苦しいのはきっと毒のせいだけではないはずだ。
切なく疼く心に、僕は拳を強く握りしめる。
ここでライアンに逃げられるわけにはいかない――コーデリア嬢を託されたって、誰も幸せになんてなれないんだから。
だからこそ、未だに目の前でうじうじとするライアンが許せなかった。
「貴方の都合に僕を巻き込まないでください! もう誰かに未来を狂わされるのはうんざりなんです! 僕たちの……僕とアリーシャの仲を引っかき回すのはやめてください!」
ありったけの力を込めて地面を蹴った僕は、握りしめた拳をライアンの左頬に叩き込んだ。
「ぐ……」
ライアンの体がぐらりと傾き、右半身から地面に倒れる。
それを横目で見ながら、僕も勢いよく地面に倒れ込んだ。
手に力をいれて上体を起こそうとしても、地面に投げ出された手は小さく震えるばかりでちっとも力が入らない。
どうやら一連の動作で一気に毒が回ってしまったようだ。
しまったな。こういう時は極力動かないようにしなければいけなかったのに。
思わず感情的に動いてしまった自分に舌打ちして、ライアンに呼びかける。
「ライアン」
「……………………」
「ライアン?」
「……………………」
返事のないライアンを不審に思って顔だけ動かしてみれば、彼は地面に沈み込んだまま気を失っていた。
まずい。まだ解毒剤を渡してもらってないのに。
ライアンの服をあさろうにも体がうまく動かせない。誰かを呼ぼうにもあたりに人けもない。
どうする? どうしたらいい?
そんなことを考えていると、浅く息づく息遣いにまじって僕の中にいるアリーシャが声をかけてきた。
「ジル様……大丈夫、ですか……?」
どことなく苦しそうな様子から、アリーシャも僕と同じように苦しいのかもしれないと思い至る。
「アリーシャ、苦しいのですか?」
「…………苦しいのは……苦しいのはジル様の方……ではありませんか……私がこんなに苦しいということは、貴方はもっと、苦しいはずです」
浅い息を吐きながら返されて、僕は顔を顰めた。
僕が迂闊に毒をあおってしまったばかりに、アリーシャにまで苦しい思いをさせてしまっている。
そんなのだめだ。
アリーシャにこれ以上この苦しみを味わわせるわけにはいかない。
かといって、この体はアリーシャと共有されている。
どうしたらいい? どうしたらアリーシャを解放できる?
だんだん朦朧としてきた頭で思考を巡らせていた僕は、ふと思い出した。
もともとアリーシャが僕の中に入り込んでしまったのは、僕が呼び込んだのが原因だったはずだ。それなら、僕がアリーシャを拒絶すれば彼女は僕の中から出ていくことができるのではないだろうか。
確証はない。けれど、今は少しでも可能性があるならやってみなければ。
「アリーシャ、ぼくの中から、出ていってください」
「なに……どうして、そんなこと……」
「これ以上……あなたに苦しい思いを、してほしくないんです」
ぐるぐると視界が回る。
荒くなる息を整えようとしても、どうにも体がいうことをきいてくれない。
「いや……ジルさま……おそばにいさせてください……!」
弱々しく返されたアリーシャの言葉に、彼女だけはどうにかしなければと意識を強く持つ。
「いいえ……あなたは、いっしょにいては、だめです……」
「いやです! さいごまで……さいごまでおそばに……!」
「いけません……!」
「いやっ……ジルさまっ、ジルさ……」
「ぼくからでていって……!」
言葉と同じく、アリーシャを僕の外へと強く念じる。
『ジル様』と呼ぶ声を最後に、ぴたりと彼女の言葉が止んだ。
さっきまで勝手に動いていた口が動かなくなって、静寂に僕の荒い息遣いだけが聞こえる。
どうやらアリーシャは僕の中から無事抜け出すことができたようだ。
よかった。
安心したと同時に、僕は意識を手放した。
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