第14話 ジル様の気持ち

 すっかり誤解の解けたジル様とこの時間を生きているアリーシャは、日が傾く頃まで中庭で語らってからお互いの家の馬車に乗り込んで別れた。

 バートル家の馬車に揺られながら、誰もいなくなった車内でジル様が口を開いた。


「あの、今日はありがとうございました」


 話しかけられている相手は私しかいないため、「何がですか?」と答える。

 お礼を言われるようなことをした覚えはない。むしろ、お礼を言いたいのはこちらの方だ。

 ジル様がアリーシャを追いかけてくれたおかげで、彼女は一人で泣くことはなかったし変な誤解もしなくて済んだのだから。


「僕だけでは、アリーシャがなぜ泣いているのかわかりませんでした。貴女がハンカチの話を彼女にしてくれたおかげです」

「いえ……お力になれたようで何よりですわ」


 どうやらアリーシャの誤解を解くためにと思って言った言葉は、ジル様にも効果があったようだ。

 私は誤解が解けた後の仲睦まじい二人の様子を思い出す。

 コーデリア様は『ジルベルト様とは随分と前から相思相愛の仲だった』とおっしゃっていたけれど、ジル様はアリーシャのことをどう思っていらっしゃるのかしら。

 当時はお互いに想い合っているのだとばかり思っていたから、面と向かって自分のことをどう思っているかなんて聞いたことはなかった。

 けれど、未来の世界でジル様は私ではなくコーデリア様を選んだのは間違いない。

 ということは、ジル様が多少なりともコーデリア様に好意を抱いていたという可能性も否めない。

 確認するのが怖い。けれど、ジル様がどう思っていらっしゃるのか知りたい。

 私は小さな勇気を奮い立たせる。

 こうしてジル様の中にいて面と向かうことができないせいか、昔の私だったら絶対にしなかったであろう大胆な質問を投げかけることができた。


「…………ジル様はわた――アリーシャのことをどう思ってらっしゃいますの?」

「どうとは?」

「ええと、だから……その、婚約者として好ましく思ってらっしゃるのとか……その……」


 聞くのが怖くなって、だんだんと声が小さくなっていく。

 やっぱり言わなければよかったと後悔していると、ジル様は懐から先ほどアリーシャにもらったハンカチを取り出して視線を落とした。

 小さく折りたたまれたオフホワイトのハンカチにはナズナとブルースターが刺繍されている。正直、刺繍はコーデリア様の方が数段お上手だった。

 確かにジル様のためにひと針ひと針丁寧に縫いましたが、こうしてじっと見られると恥ずかしい。

 ジル様は刺繍されたところをそっと手でなで、口元に笑みを浮かべる。


「とても素敵な女性だと思ってますよ――ほら、見てください。ここ、何度か縫い直した跡があるでしょう?」

「…………え、ええ」


 そういえば、仕上がりが納得できないところがあって何度かやり直したところがありましたわね。

 確かに縫い直した跡はあるけれどよくよく見なければ気づかないほどのものだったはずなのに。

 私はジル様の中で頭を抱える。

 何ですか、これ。どんな罰ゲームでしょうか?

 そんな細かいところに気づかないでほしかった。穴があったら入りたい。

 ジル様も私がアリーシャ本人だとは思っていらっしゃらないから言っているのでしょうけれど、恥ずかしいやらいたたまれないやらで本当にもう勘弁してほしい。

 もうこれ以上はやめて! と思っていると、ジル様は誰もいないにもかかわらず声を潜めた。


「ここだけの話ですが……実は彼女、あまり器用な方ではないんです」

「…………」


 思わず卒倒しかけた。

 どうしてバレているのかしら。

 ジル様の前では必死に取り繕って隠してきた。貴族の令嬢ならできて当たり前の刺繍も、人並み以上に練習をして、ようやく人並みにできるようになったと思っていたのに。

 何かフォローしないとと口を開こうとしたところで、ジル様に先を越される。


「アリーシャは隠してるつもりのようですが、僕は彼女が人知れず努力しているのを知っているんです。そんな彼女が僕のために一生懸命この刺繍をしてくれた。そう思うだけで、アリーシャのことが愛おしくてたまらないんです」


 甘い吐息を含んだ声で告げられた告白に、私は小さく息をのんだ。

 そんなふうに思ってくれていたなんて思ってもみなかった。

 あえて言葉にしてもらうだけで、こんなにも嬉しいだなんて。

 舞い上がるような気持ちで「私も」と言いかけたところで、ジル様に「アリーシャには秘密ですよ」と照れくさそうに付け加えられて気づいてしまった。


 ああ、そうでしたわ。これは『私』への言葉ではないのでした。


 急に冷や水を浴びせられたようだった。

 この告白は今この時間を生きているアリーシャに向けられたもので、決して死んで時を遡った『私』に対してのものじゃない。

 神様、やはりこれは自殺した私への罰なのでしょうか。

 泣いてしまえたら楽になれるかもしれないのに、今のこの状態では泣くことすらできない。

 天にも昇るような気持ちが一転して地に落ちて黙り込んでいると、ジル様から声がかけられた。


「それにしても、どうして貴女はアリーシャの居場所がわかったのですか?」

「それ、は……」


 私は答えに詰まった。

 未来の世界で貴方に婚約破棄されて、自殺して時を遡ったアリーシャだからだと正直に言ったら、ジル様はどんなお顔をなさるかしら。

 そもそも朝アリーシャだと言った時は全く信じてもらえなかったわけだから、今言ったところで信じてもらえる可能性の方が低い。ブライト様もわざわざジル様を眠らせてから話をするくらいなのだ。

 それに、正直に話したらジル様と今を生きているアリーシャの関係が変わってしまうのではないかという懸念もあった。

 うん、言うのはやめておきましょう。

 私は昼間ブライト様と決めた通り、ジル様には隠しておくことにした。

 ただし、自分は器用な人間ではないので下手な嘘はつかないいほうがいいだろう。


「どうして彼女の居場所がわかったかは言えませんわ――――ただ」

「ただ?」

「私、アリーシャのことなら誰よりも詳しくてよ? 彼女に関するテストがあったら一番を取れる自信がありますわ」


 冗談と思われるようにおどけたふうに言えば、ジル様からくすりと笑いが返ってくる。


「アリーシャのことなら貴女に聞けば何でもわかると?」

「ええ、わかりますわ」


 だって自分のことですもの。

 好みも行動も考え方だって手に取るようにわかりますわ。

 自信をもって頷いてみせれば、ジル様が少し考えた後「じゃあ」と口を開く。


「今度アリーシャのことで相談にのってもらえませんか?」


 んん!?

 予想もしなかった斜め上の反応に、私は自分が墓穴を掘ったことに気がついた。

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