第32話 作戦会議をいたしましょう②

『コーデリア嬢がジルベルトを奪うなら、そうならないように彼女には別の誰かを好きになってもらったらいいんじゃないかな』


 目から鱗が落ちるような感覚だった。

 私は今までコーデリア様に奪われないことばかり考えていたけれど、ジル様ではない誰かとコーデリア様をくっつけるということは考えてもみなかった。

 確かにコーデリア様に別に好きな人ができれば、わざわざ婚約者のいるジル様に手を出されることもないのかもしれない。

 ただ一つ問題があるとすれば。


「相手はどうしますの?」

「それなんだよねぇ……婚約者も恋人もいないフリーでほどよい家柄の人なんていたかなぁ……」

「………………」

「………………」


 私とジル様はおそらく同じことを思ったに違いない。

 無言でブライト様に目を向けると、ブライト様は私たちの言わんとしたことがわかったのか、焦った様子でぶんぶんと首を横に振った。


「ぼ、僕は無理だからね! 確かに婚約者も恋人もいないけど……! アリーシャ嬢みたいな子ならともかく、コーデリア嬢はむ……」


 『無理』と言い切る前に、ジル様が素早くブライト様の前に立つ。


「おや……ブライト、今何か聞き捨てならないことが聞こえましたね……アリーシャならと言いましたか?」

「おあっ! 待って、ジルベルト落ち着いて! 今のは言葉のあやっていうか……」

「貴方、アリーシャをそんな目で見ていたんですか?」

「そんなわけないだろ! 婚約者がいないならともかく、ジルベルトがいるのにどうしてそんな友情拗らせるようなことしなきゃならないのさ!?」


 ブライト様はあえて『友情』という言葉を強調してくる。

 ジル様を見返す視線がなんとなく私に向けられているような気がするのは気のせいだろうか。


「アリーシャ嬢からも何か言ってよ! 絶対あり得ないって!」


 やっぱり、あの視線は私に助けを求めてのものだったようだ。

 私とブライト様が結婚――――――うん、まずあり得ませんわね。ブライト様のことはお友達以上に思ったことはありませんし、そもそもジル様以外と結婚だなんて想像もしたくありませんもの。

 言葉のあやと言っていたし、きっとブライト様も勢いで言ってしまったのでしょう。

 そう思いかけた時、ふと脳裏に遠い日の記憶が甦った。


『僕ではダメ……かな……?』


 悲しそうに黒い瞳を潤ませて、ブライト様が私に手を差し伸べてくれたのはいつの日だっただろう。

 そうだ、あれはジル様から婚約破棄を言い渡されてから少し経った頃。

 屋敷にこもってふさぎ込んでいた私を心配したブライト様がお見舞いにきてくれて、東屋でお茶をしながら学園時代の話をしていた時のことだ。

 辛くて泣いてしまった私にハンカチを渡して、ブライト様が『僕ではジルベルトの代わりにはなれないかな?』と婚約の話を切り出したのだ。

 あの頃はブライト様の申し出を深く考える余裕なんてなかった。ブライト様はお優しい方だから、きっと可哀想に思って言ってくれたんだと思っていたけれど、実際はどうだったのかしら。

 そこまで考えて、自分の考えを打ち消す。

 結局、ジル様以外と婚約なんて考えられなかった私は、ブライト様の申し出を断ったのだ。

 いつ何度聞かれても、私の答えは変わらない。今も、昔も。

 そんな昔の思い出を振り払うように、私はブライト様の言葉を力強く肯定した。


「絶対あり得ませんわね! 私、ジル様以外の方と結婚なんかしたくありませんもの!」

「ほら! アリーシャ嬢もそう言ってるだろ? っていうか、そこまではっきり言われるといっそ清々しいよね」


 ブライト様は席を立って目の前に立つジル様に向き合うと、その両肩にがしっと手を乗せて下から見上げてくる。

 ジル様を射貫くような真剣な眼差しに息をのむ。


「アリーシャ嬢はジルベルトじゃないとダメなんだ。彼女を幸せにできるのは君だけなんだ。それに言っただろ? 僕は君たちの幸せな未来が見たいんだって。僕が君からアリーシャ嬢を奪うことなんてないから安心してよ」

「……ブライト?」


 いつもと違うブライト様の様子にジル様が半歩後ずさって訝しむように呼びかけると、ブライト様は真剣な表情を引っ込めてへらりと笑った。


「というわけで、僕、コーデリア嬢とは絶対そりが合わないと思うから、相手は別の人でよろしくね! ジルベルトの知ってる人で誰かいない? コーデリア嬢に好意持ってそうな人」


 この話はおしまい! とばかりにブライト様が話を戻してしまえば、もう先ほどのことを追求できるような雰囲気ではなくなってしまう。

 私は今まで見たこともないブライト様の様子に得体のしれないものを感じつつ、ジル様とブライト様の会話に耳を傾けた。

 コーデリア様のお相手候補に誰かいないかと聞かれたジル様は顎に手を当て頭を傾げる。


「んー……そうですね……コーデリア嬢は子爵家の者には人気はあるのですが、何人も家柄を理由に縁談を断られているようなんですよね」

「へー……ってことは、狙いは伯爵家以上なんだね」

「伯爵以上で婚約者のいない人なんて、もうあまり残って――――――あ」


 どうやら思い当たる人物がいたようだ。ジル様が顎から手を外して閃いたとばかりに手のひらを叩いた。


「ライアン……」

「ライアン?」


 ブライト様が苦虫を噛みつぶしたような顔でその名前を聞き返す。以前、悪く言われていたし、苦手な相手なのかもしれない。

 少しくせっ毛の明るい茶色の髪に、貴族の気品の中に見え隠れする粗野な感じが一部の女生徒には人気なのですが、伯爵家の三男という微妙な立場からか特定の相手はまだいないようだった。


「そういえば、前にコーデリア嬢のことを可愛いと言っていたのを思い出しました。ライアンなら、コーデリア嬢より爵位も上ですし、悲しませるような相手もいないはずです」

「ライアンかぁ……僕、苦手なんだよなぁ――――でも、そんなこと言ってる場合でもないか。女の子と話してるのはよく見かけるけど浮いた話は聞かないし、恋人にするにはいいと思うよ」

「根は悪い人ではないですしね。じゃあ、今度ライアンにそれとなく探りを入れてみましょう」


「そんなに上手くいくでしょうか……」


 なんだかトントン拍子に決まっていくことに少しの不安を覚えて、気づけば私はぽそりと呟いていた。

 口に出してから、しまったと慌てて口を閉じれば、きょとんとした顔をブライト様に向けられる。ブライト様はジル様と目配せをすると、眉尻を下げて笑った。


「上手くいくかどうかなんてわからないけど、まずはやってみないと。千里の道も一歩からだよ。リミットは卒業パーティーの日なんだろ? なら、できることがあるなら試しておかないと後で後悔するよ」


 確かにその通りだ。

 未来を変えられる可能性があるのなら、どんなことでもやってみないと。

 私はもう二度とコーデリア様にジル様を譲る気はないのだから。


「そう、ですわね。後悔なんてしたくありませんもの……」

「その意気、その意気! さ、話もまとまったことだし、何か甘いものでも食べようか。君たちが来る前にタルトを焼いてもらってたんだ」


 そう言ったブライト様はすっかりいつものブライト様に戻っていて、この時の私は彼が時折見せる表情の意味もわからないままだった。

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