第35話 ライアン様の悩み

 それから数か月。

 私はジル様の協力のもと、体の支配権がどのようにしたら移るのか色々と試してみた。

 試行錯誤の末、私がジル様の体を動かせるようになるためには、ジル様が寝るなりして意識をなくす必要があること、逆に私からジル様に体の支配権を戻すには、私がジル様の体から意識をそらすことだけでいいことがわかった。

 ブライト様が言うには、生きているジル様と魂だけの私では肉体と魂の定着具合が違うせいじゃないかということだった。

 言っていることが小難しくてよく理解できなかったけれど、特訓の成果か私はスムーズにジル様に体の支配権をお返しできるようになっていた。



 リミットである卒業パーティーの日はまだ先だけれど、そろそろ卒業パーティーの話があちらこちらで囁かれるようになってきた。

 誰にエスコートされたいとかどんなドレスを着るかとかそんな話で盛り上がっている。

 ドレスは仕立てるのに時間がかかるので、みんな事前に誰がどんな色のドレスを着るか情報収集に余念がない。

 私はそんな女子生徒たちの会話に耳を傾けながら、ライアン様とコーデリア様を観察するのが日課になっていた。

 ジル様とアリーシャは『ライアン様の目にゴミが事件』以降、ここに至るまで大きなすれ違いはなく、関係は順調そのもので相思相愛な日々を送っている。ブライト様からは油断しないでと言われているけれど、このままなら何の問題もなく卒業パーティーの日を迎えられるのではないかと私は思っている。


 ライアン様とコーデリア様はダンスの授業を通じてだいぶ仲良くなっていた。

 なんとか卒業パーティーまでにコーデリア様を口説き落としてくださるといいのですが。


 ダンスの授業は基本的に事前に決めたペアでステップの確認をしたり、授業中一度は最初から最後まで通して踊ることになっている。

 けれど、社交界に出るとパートナー以外の不特定多数の方と躍る機会があることから、クラス内で相手を変えて踊ることがよくある。

 ジル様はアリーシャを他の男性と躍らせたくないようだけれど、こればかりは仕方がない。

 こうしてジル様の中で一緒に生活するようになってわかったのは、ジル様は結構独占欲の強い人だということだった。そこがまた可愛らしいと思ってしまうのですが。

 肝心のコーデリア様はライアン様と仲良くはなったものの、まだジル様のことは諦めていないようで、ペア以外の人と踊るフリーの時間になると必ずといっていいほどジル様の前にやってきてダンスを申し込んだ。

 ジル様も何度もペアの誘いを断っている手前断りにくいようで、フリーで踊る時間ならばと誘いを受けている。

 これは以前、私が生きていた頃と同じだった。

 ジル様は授業では私をペアに選んでくれていたけれど、フリーの時間になると必ず一度はコーデリア様と踊っていた。

 生前の私は、てっきりジル様は私なんかよりコーデリア様と踊る方が楽しいのだと勝手に思い込んでいた。

 にこやかに踊る二人の姿がだんだんお似合いに見えてきてしまった私は、いつしかジル様をコーデリア様に譲ってブライト様と踊ることが多くなっていた。

 でも、実際のジル様は強引なコーデリア様に辟易しながら貼り付けたような笑顔で接していただけだということがわかって内心苦笑してしまった。

 あの時のジル様がどうだったかはわからないけれど、どうして私はジル様の気持ちを確認することができなかったのでしょう。案外、聞いてみれば何ということのない話だったかもしれないのに。


 一方のジル様はアリーシャとブライト様が一緒に踊るのを見て、仲のよさそうな様子に終始もんもんとしているようだった。

 心配することなど何一つないのです、ジル様。あの二人、ジル様の話で盛り上がっているだけなのですから。

 それを伝えると、ジル様はなんとも複雑そうな顔をした。

 視線が違うと別のところが見えてくるから面白いですわね。

 私はなんだかんだでジル様とのこの奇妙な同居生活を楽しんでいた。



 ***



 放課後、いつものように図書室で勉強会をしようとアリーシャと特別棟へ続く渡り廊下を歩いていると、中庭にライアン様の姿を見つけた。

 池の前のベンチに前かがみに座ってどことなく元気がなさそうな様子に、ジル様とアリーシャは顔を見合わせて声をかけることにした。


「ライアン」


 ジル様が呼びかけると、ライアン様は顔を上げてこちらを向いた。

 ブライト様とまではいかないまでも、目の下にくっきりと隈ができている。


「ああ、ジルベルトか……アリーシャ嬢も」

「ど、どうかされたのですか? 顔色があまりよくないようですが……」


 ライアン様の顔を見て、アリーシャが心配そうに声をかける。

 ライアン様は「あー……」と目を泳がせた後、ジル様に何か言いたげな視線を投げかけてくる。

 何か相談したいことがあるのでしょうか。私がそう思っていると、ジル様の口が開いた。


「コーデリア嬢のことですか?」


 ジル様が思い当たることを口にすると、ライアン様がゆっくりとした動作で片手で顔を覆った。

 私も顔を覆いたくなった。

 ジル様、なぜアリーシャがいる前でコーデリア様の名前を出してしまいましたの!? 今のは絶対ジル様にだけ相談したかった流れですわよね!?

 どうやらジル様は恋する男心にも疎かったようだ。

 すみません、ライアン様。あとでジル様にはよく言い聞かせておきますと心の中で謝罪して、何かフォローした方がいいかと思案していると、ライアン様から盛大なため息が聞こえてきた。


「……もうすぐ卒業パーティーがあるじゃないか」


 諦めたらしいライアン様がぼそぼそとした声で悩み事を打ち明け始めた。

 「ありますね」とジル様が返すと、ライアン様は顔を覆っていた手を外して目の前に立つジル様を見上げた。


「ジルベルトはもうアリーシャ嬢をパートナーに誘ったのか?」

「えっ」

「なっ」


 ジル様とアリーシャの顔が真っ赤に染まるのを見て、ライアン様はまだだと悟ったようだった。

 ジル様が咳ばらいを一つしてから答える。隣にいるアリーシャは顔を真っ赤にして固まったままだ。


「こ、これから……ですけど……それが何か?」

「なぁ……卒業パーティーで誘う相手って、やっぱり婚約を見据えてた方がいいと思うか?」

「そうですねぇ……学園内に婚約者がいるとは限らないですし、卒業の記念に憧れの方にエスコートしてもらいたいという女性もいるようですから、必ずしも婚約者を誘わなければならないということはないでしょうけど…………ライアンのそれはコーデリア嬢に対して、ですか?」


 ジル様の問いに、ライアン様が肩を丸めて頷く。


「俺、三男だから家も爵位も継ぐことはできないじゃないか。俺と結婚してメリットがあるとすれば、ケルディ家と縁を結べるってことくらいだ。俺では彼女を伯爵夫人にしてあげることはできない」


 ライアン様の発言に、ジル様は何と返したらいいか言葉に詰まってしまった。

 家と爵位を継ぐのは嫡男であり、その後に生まれた子供は長男に何かない限り家を継ぐことは許されていない。ジル様は嫡男でいずれバートル家を継ぐ身だから、ライアン様と同じ立場でものを考えることはできないのだ。

 もしかしたら、ジル様は自分にはライアン様を励ます資格なんてないと思っているのかもしれない。

 ジル様が言いよどんでいると、体をかちかちに固まらせていたアリーシャがライアン様の前に一歩踏み出した。


「差し出がましいことかもしれないのですが、コーデリア様には直接確認されたのですか?」

「いや……」

「もし、コーデリア様が爵位目当てなのだとしたら、最初からライアン様には近づかないと思うのです」

「そう……だろうか?」


 コーデリア様にライアン様を勧めたのはジル様……というか私なのだけれど、それを知らないアリーシャは目を輝かせて拳を握りしめた。


「ええ! 私、お二人が授業で踊っているところを見ていましたもの、間違いありませんわ! コーデリア様はライアン様に思いを寄せていらっしゃいます!」


 アリーシャの力説に、なんかどこかで聞いた話だと既視感を覚える。

 どこでだったかしらと思っていると、ジル様が小刻みに震えだした。

 何事かとアリーシャとライアン様の視線がジル様に集まる。

 ジル様は肩を小さく震わせながら、笑いをこらえた声で言った。


「やっぱり、と思って」


 ジル様の言葉に、意味がわからないといったふうにアリーシャとライアン様は不思議そうな顔で首を傾げるのだった。

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