第57話 (最終話)見たかった未来(ブライト視点)
ジルベルトとアリーシャ嬢の結婚式から十年。
学園卒業後、薬師を目指して専門学校に通った僕は国が運営する薬物研究所の研究員として日々研究に明け暮れている。
もともとはジルベルトが薬を盛られた時に対処できるようにと身につけた知識だったけど、薬学は魔術とはまた違った奥深さがあって面白かった。
学園に通っていた頃はジルベルトとアリーシャ嬢以外に友達と呼べる人はいなかった僕だけど、研究所で働くようになってからは少ないながらも友達と呼べる人ができた。
それでも、僕にとってジルベルトとアリーシャ嬢は『特別』で、十年経った今でも休みの日になると時折ジルベルトの屋敷に遊びに行ったりしている。
***
ジルベルトの屋敷の中庭にある東屋でお茶の準備ができるのを待っていると、「ブライトさまー!」と僕を探す声が聞こえてきた。
どこだろうと視線を巡らせると、金髪の幼い女の子が辺りをきょろきょろと見回しているのが見えた。
彼女はセシリア。ジルベルトとアリーシャ嬢の最初の子供で今年七歳になる。
遠目から見てもアリーシャ嬢によく似た顔立ちをしているのがよくわかる。
「セシリア、ここだよ」
席を立って手を振ると、僕に気がついたセシリアが一直線に走ってくる。
転ばないかとハラハラした心持ちで見守っていると、心配した通り地面のでっぱりに足を引っかけてすっ転んだ。
僕は勢いよく芝の上に転んだセシリアに慌てて駆け寄って、彼女の脇の下に手を入れて立たせてあげた。
「大丈夫!?」
フリルのついた水色のワンピースにくっついた芝を払って、セシリアと目を合わせる。彼女はジルベルトと同じ青い瞳に涙をためていた。
泣くかと思われたが、意外にも彼女は泣かなかった。
セシリアはぎゅっと目をつむって涙を奥に引っ込めると、僕に笑いかけた。いつもなら僕の胸に抱きついてわんわん泣くのに。
どうしたんだろうと彼女の顔をじっと見ていると、セシリアは僕の視線の意図に気づいたのか胸を張って答えた。
「もう七歳ですもの、『しゅくじょ』はこんなことでは泣かないのですわ!」
可愛らしい言い分で笑ってしまった。
「アリーシャ嬢に何か言われた?」
これは何かあったなと思って聞けば、セシリアは頬を膨らませてむすっとした顔を僕に向けた。
「お母さまにいつまでも転んだくらいで泣いていたら立派な『しゅくじょ』にはなれませんよって言われたのです……泣かなかったのに……わたくし、泣かなかったのにぃ……!」
堪えていた涙がぼろりとこぼれて、結局わんわん泣き出してしまった。
どうやら僕が笑ったのが気に障ってしまったらしい。
「ごめんごめん、僕が悪かったよ」
すっぽりと収まる小さな体を抱き寄せて、気持ちが落ち着くようにと背中をなでてあげる。セシリアは昔からこうすると落ち着くのか泣き止んでくれるのだ。
「わたくし、お母さまみたいな『しゅくじょ』になれます?」
鼻をすすりながら涙声で聞かれて、僕はセシリアの肩の辺りまで伸びた髪を直してあげながら答える。
「うん、きっとなれるよ」
「ほんとう?」
「うん、本当」
目を合わて頷いてあげると、セシリアはぱぁっと顔を輝かせた。
泣き止んでくれたことにほっとしていると、少し離れたところからアリーシャ嬢の声が聞こえてきた。
「セシリアー?」
声の聞こえた方へ顔を向けると、先ほどセシリアが来た方向に、彼女の弟であるロベルトを抱っこしたジルベルトとアリーシャ嬢の姿が見えた。
母親の声を聞いて、腕の中のセシリアの肩がびくりと跳ねた。
「そうでしたわ! わたくし、お母さまにブライトさまを呼んでくるように言われていましたの!」
はっと顔を上げた時にはすっかり涙は止まっていた。
涙が流れたあとを手でこすろうとしたから、やんわり止めてハンカチで顔をふいてあげる。
「おかあさまー! おとうさまー! こちらですー!」
大きく手を振って自分の居場所を知らせる姿が可愛らしい。
セシリアの呼びかけに、ジルベルトとアリーシャ嬢がそろってこちらに顔を向けた。
「さ! いきましょう、ブライトさま!」
小さな手が僕の手を引いて走り出す。
その仕草に遠い日のジルベルトが重なる。
そういえば、昔よくこうやってジルベルトやアリーシャ嬢に手を引いてもらったっけ。
それは時を遡る前の、自分では何もできないと思い込んでいた頃の『僕』の記憶。
あの頃に比べたら僕も随分変わったと思う。
きっと二人に出会わなければ、僕はきっと今もレイ家の中で膝を抱えていたかもしれない。
そう思って視線の先にいる二人を見れば、ジルベルトもアリーシャ嬢もにこやかに僕らが来るのを待ってくれていた。
アリーシャ嬢が両手を広げてセシリアを抱き止めて、さっきの僕と同じようにその背中を優しくなでる。すっかり母親の顔になったアリーシャ嬢とセシリアのやりとりが微笑ましい。
ジルベルトに目を向けると、彼にそっくりな幼い息子を抱いたまま僕に肩をすくめてみせた。
「すみません。セシリアが迷惑をかけましたね……あの子は本当にブライトのことが好きで」
「いやいや、迷惑だなんて。可愛いものだよ」
そう言ってしみじみとセシリアを見た。
彼女が生まれたのがついこの間のように感じる。
よちよち歩きをして、『ブライトしゃま』と舌足らずに呼んでいた頃が懐かしい。
そんな彼女は今でも僕によく懐いてくれて、こうして遊びにくると一番に会いに来てくれるのだ。
「もう七歳かー……大きくなったもんだね。そりゃ、僕たちも歳をとるはずだ」
笑って言えば、ジルベルトは思い出したようにこっそり教えてくた。
「セシリアは大きくなったらブライトのお嫁さんになりたいそうですよ」
「ぶっ……」
思わぬ発言にむせた。
なんだそれ。
「そこはお父さまと結婚するーって言うところじゃないの!?」
「お父さまにはお母さまがいるからダメってきっぱり言われてしまって……」
思わずツッコミを入れると、ジルベルトは少し困ったような顔をして肩を落とした。
「いやいや、僕でもダメでしょ……っていうか、ジルベルトも止めよう!?」
「一応止めましたよ。止めたら一週間ほど口をきいてくれなくなりました」
「一週間も……」
どうやら子煩悩なジルベルトには相当こたえたらしい。
で、条件を出したそうだ。
「社交界デビューするまでに気持ちが変わってなかったら、結婚を認めることにしました」
「はぁ!? ちょっと待って! 僕の意思は!?」
「ブライトは今後も結婚する気はないのでしょう?」
「いや、まぁ、そうだけどさ……よく考えてもみなよ。セシリアが社交界デビューする時って僕もう立派なおじさんだよ?」
「それでもブライトがいいと言った時は、きっと貴方以上の人と出会うことができなかったいうことでしょう――――その時はあの子との結婚を考えてもらってもいいですか?」
「はぁ……ジルベルトたちはそれでいいの?」
ため息混じりに僕知らないよ? と念を押せば、ジルベルトは目元を緩めて僕を見た。
「僕たちとしては貴方以上に信頼できる人はいませんからね」
長年の友達の言葉に、僕ははっと息をのんだ。
相変わらず、さらりと嬉しいことを言ってくれる。
そんなこと言われたら断れないじゃないか。
僕はこの日、まだ見ぬ未来の約束をした。
***
中庭に用意された丸いテーブルを囲んでみんなでお茶とケーキを楽しむ。
話すのはもっぱらお互いの近況や共通の知り合いのことだ。
ジルベルトとライアンは結婚後も交流があるようで、こうしたお茶会の席でたまにその話題が上る。
ライアンの立ち上げた商会は順調に成長しているらしい。コーデリア嬢との間に三人の子宝に恵まれて忙しいながらも充実した毎日を送っているそうだ。
正直なところ、僕はまだライアンがジルベルトに毒を盛ったことを許したわけではないけれど、幸せそうで何よりだとも思う。
ジルベルトとアリーシャ嬢にしてもだ。
ここに至るまでいろいろあったけど、僕の大切な二人が無事に結ばれて仲睦まじく笑い合っているところを見ると、嬉しさで胸がいっぱいになって泣きそうになる時がある。
遠い日、時を遡ろうと自決した僕が夢見たのはこんな穏やかで温かな未来だった。
ジルベルトがいて、その隣にはアリーシャ嬢がいて、幸せな家庭を築いて笑い合っている。そこに僕もちょこんと入れてもらって、たまに一緒の時間をすごす。
たったそれだけのことがとても幸せで、尊くて。
僕は今でも未来をやり直せた奇跡に感謝している。
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