第22話 新たなる誤解
数日後の放課後。
廊下を歩いていると、少し先にアリーシャとライアン様の姿が見えた。
「アリー……」
呼びかけようとしたジル様は立ち止まって、おもむろに柱の陰に隠れた。
何かしらと思って、ジル様越しにアリーシャの様子を見てみると、アリーシャとライアン様は両手にノートを抱えて教員室の方へ歩いているところだった。
そういえば、今日はアリーシャが日直でしたわね。
先ほどの授業で課題を集めていたから、それを先生に届けに行くところなのだろう。
隣に立つライアン様と何か話しているようだけれど、ここからでは聞こえない。
楽しそうですけど、何を話しているんでしょう。
ジル様の手が柱を掴んでギリギリと力を込める。なんとか二人の会話を聞こうと全神経を集中しているようだ。
私はこんなことありましたっけ? と思って記憶を辿ってみる。
うろ覚えだけれど、いつだったか運んでいたノートを落としてライアン様に拾ってもらったということがあったような気がする。それが今日なのかもしれない。
何の話をしていたかしら。
思い出そうと頭をひねっていると、ジル様が小さく「あっ」と声を漏らした。
何事かと思ってアリーシャとライアン様に視線を戻すと、私はジル様以上に驚いて「ええっ!?」と思わず声を上げた。
その口を急いでジル様に塞がれる。
私とジル様が息を殺して見つめる先で、アリーシャとライアン様がキスをしていた。
いや、正確には少し屈んだライアン様の顔にアリーシャの後頭部が重なって見えるのだけど、ジル様からの位置からはどう見てもキスしているようにしか見えない。
ええ!? どういうことですの!? こんなことありました!?
私は半ばパニックになって、ぐるぐると過去の記憶を急いで掘り起こす。
何でもいいから思い出して。
私はこの日のことを頑張って思い出す。天地がひっくり返ってもライアン様とキスしたなんてことはなかったはず。
あ。
一つだけ思い当たることがあった。
ノートを運んでいる途中でライアン様が急に目が痛いって言いだして、目の様子を見たような気がする。私の背ではよく見えなかったから、確かライアン様には屈んでもらった。もしかして、これがそれかしら。
少しして、アリーシャとライアン様が何事もなかったかのように歩き出す。
「…………そんな……アリーシャとライアンが……」
ジル様が柱に寄りかかるようにしてずるずると座り込んで項垂れた。
どうやらジル様は完全に誤解してしまったようだった。
待って、ジル様。アリーシャはライアン様とキスなんてしてませんわよ。
私はなんとかしないとと思って口を開く。
「直接確かめないのですか?」
私の問いに、ジル様は項垂れたまま小さく答える。
「…………無理言わないでください。あんなの見た後で、直接聞くなんて僕には……」
そうしている間にも、二人はどんどん遠ざかって行く。ここできちんと確かめておかなければ、ジル様は誤解したままになってしまう。
ああ、こうして少しずつ歯車が狂っていったのですね。
どうやら色々なところですれ違いは起こっていたらしい。
「ジル様、お願い諦めないで。……絶対に、絶対にジル様が思っているようなことはありませんから」
「でも……」
「ああ、もうじれったいですわね! ジル様が聞かないのでしたら、私が聞きます! いいですか!? いいですわよね!?」
「え、ちょ……」
このままにするわけにはいかないと、私はジル様の制止を振り切って意を決して声を上げる。
「アリーシャにライアンじゃないか!」
「なっ……!」
私が大きな声を出して二人を呼び止めたものだから、ジル様が狼狽えて口元を押さえた。
私は小声でジル様に指示を出す。
「さぁ、ジル様。もう腹をくくってお二人のところへ行ってください」
「………………貴女は鬼ですか……」
「いいえ、鬼ではなく守護霊的なものだと自負しておりましてよ?」
恨みがましくジル様が言うので私はしれっと返した。
ジル様にとっては断頭台に行くような心持ちなのかもしれないけれど、私としてはここでジル様に行ってもらわないと、実際に断頭台ならぬ崖上に行かざるを得なくなるのはアリーシャの方になってしまう。
ここは心を鬼にしてでも頑張っていただかねば。
「ほら、アリーシャとライアン様がこちらを見てますわよ。行ってくださいまし」
私が背中を押すように送り出せば、ジル様は小さくため息をついて立ち上がっってアリーシャたちの元へ向かってくれた。
「や、やぁ、これから教員室ですか?」
「はい! ジル様はこれから図書室ですか?」
ジル様に話しかけられて、アリーシャがうきうきとした様子で答える。
どうみても、浮気を見られてしまったというような後ろめたさは欠片ほども感じられなかった。
いつも通りのアリーシャの様子に、ジル様の体から少し力が抜けるのがわかった。
「なぁ、ジルベルト。これ、変わってもらっていいか? さっきから目が痛くて……アリーシャ嬢に見てもらったんだけど、何も入ってないようなんで目を洗いに行きたいんだが」
ライアン様がしめた! という顔でアリーシャとジル様の間に割り込んでくる。
ジル様が呆気にとられたように「ああ」と承諾すると、ライアン様は「助かった!」と言って両手に持っていたノートをジル様に手渡して元来た道を戻っていった。
後に残されたジル様とアリーシャはライアン様の後ろ姿を見送って、どちらからともなく歩き出した。
ジル様はまだ心ここにあらずといった感じで呟きを漏らした。
「目が、痛くて……?」
「そうなんです。急に目が痛くなってしまったみたいで……先ほど目に何か入っていないか見てみたのですが、特に何か入っているようには見えなくて……早く治るといいですわね」
「そう……ですね」
ジル様はぎこちなく頬を緩めると、安堵の息をついた。
どうやら誤解だとわかってもらえたようで、私もジル様の中で安堵の息をついた。
ノートを提出し終えて教員室を出ると、アリーシャが丁寧にお辞儀をしてジル様に感謝を伝えた。
「ジル様、助かりました。本当でしたら、私が一人で持ってこなけれな行けなかったのに……」
「そういえば、ライアンとは途中で?」
「はい。うっかりノートを廊下にばら撒いてしまいまして。拾うのを手伝って、そのまま半分持ってくださったのです」
「…………なんだ、そういうことだったのか」
「え?」
「いえ、何でもないんです。今度から荷物を運ぶときは呼んでください。いつでも手伝いますから」
きょとんと首を傾げたアリーシャに、ジル様は小さく頭を振って笑みをこぼした。
そうして、ふと何かを思いついたように口を開いた。
「そういえば、今度の休みは空いていますか?」
「え? 空いていますけど……?」
「先日いただいたハンカチのお礼をしたいと思って。よかったら、一緒にでかけませんか?」
ジル様の提案に、アリーシャは顔をぱあっと輝かせて間髪入れずに大きく頷いた。
「本当ですか!? 行きます! ぜひ、ご一緒させてください!」
大好きな人に誘ってもらえて、アリーシャはとても嬉しそうに顔を綻ばせた。
少しずつ未来が変わりつつあるような予感がする。
その先に、私が見たかった未来があるといいなと思いながら、私もジル様の中で笑みを浮かべた。
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