第25話 アリーシャの誕生日

 ジル様がクローバーの髪飾りを買って二週間。

 とうとうアリーシャの誕生日がやってきた。

 誕生日と言っても普通に学園のある日だったので、学園で祝うくらいしかできないのだけれど。

 ジル様はいつも通り制服に袖を通して身支度を整えると、最後に机の引き出しを開けて、大事にしまい込んでいたアリーシャへのプレゼントを鞄に入れた。

 今日は放課後に学園の温室を借りて、そこでプレゼントを渡す予定になっている。

 普段と変わらない様子のジル様だけれど、実は結構うきうきしているのを私は知っている。

 ここ最近、ジル様は授業中に何度もアリーシャを見ていたし、いつもと違ってノートを取る手もどこかそわそわとしていて、宙にアリーシャと書いているのも見てしまった。

 本当、可愛い人。

 私はそんなジル様を微笑ましく見守っていた。



 ***



 放課後。

 約束していた通り、ジル様はアリーシャに声をかけて中庭の一角にある温室へと誘った。


「アリーシャ、少し付き合ってもらってもよろしいですか?」

「ええ、もちろんですわ」


 アリーシャはジル様に差し出された手にそっと自分の手を載せて、はにかむように微笑んだ。

 アリーシャも誕生日にジル様に会えたのが嬉しくてたまらないのですね。その気持ち、よくわかりますわよ。

 こんな状態ですけれど、私だってジル様の中で誕生日を迎えられたのを嬉しく思っているのですから。


 誰もいない温室で、ジル様は事前に食堂で頼んでいたティーセットを準備した。

 アリーシャが立ち上がろうとするのを押しとどめて、ジル様が「今日は僕が」とバスケットからお茶の入ったポットを取り出してカップに注いでいく。


「注ぐだけで誰でも美味しいお茶が淹れられるようになっているのはありがたいですね。僕が一からやったら、まず茶葉をいれるところで躓きます」


 肩をすくめて冗談めかして言うと、アリーシャはクスクスと笑いを漏らした。


「そうですか? ジル様ならそつなくこなせそうですけど」

「そうでもないですよ――――僕だってよく失敗するんです」


 ジル様は自分の手のひらに視線を落として、何かを考えるようにその手を握りしめた。


「ジル様? 何かありましたか?」


 アリーシャに呼びかけられて、はっと我に返ったジル様はアリーシャの前にティーカップを置いて頭を振った。


「何でもありません。それより、アリーシャ。お誕生日おめでとう」


 ジル様は鞄にしまっていたアリーシャへのプレゼントを手にアリーシャに向き直る。

 ピンクとエメラルドグリーンの水玉模様がちりばめられた可愛らしい箱をアリーシャの手に載せてあげると、アリーシャはぱあっと顔を輝かせた。


「ありがとうございます! 嬉しいですわ――――開けてみても?」

「どうぞ」


 そうして丁寧に包装を解いて中に包まれていた箱のふたを開けると、そこには数日前と寸分違わず四葉のクローバーの髪飾りが鎮座していた。

 アリーシャは壊れ物を扱うように髪飾りをすくい上げると、弾けるような笑顔をジル様に向けた。


「とっても素敵ですわ! 大切にしますわね!」


 生前の私もおそらく目の前のアリーシャと全く同じ反応をしたはずだ。

 やはり四葉のクローバーに触れられることはない。

 それはつまり、目の前のアリーシャも幼い頃のことを思い出すことはなかったということを意味していた。

 ジル様が気づかれない程度に眉を下げたのがわかったけれど、アリーシャがそれに気づく様子はない。

 ジル様は無理に思い出させるようなことはしないようなので、きっとアリーシャにクローバーの真相が語られることはないだろう。

 私が何かきっかけを作ってあげられたらよかったけれど、先日ジル様から思い出話を聞いてもぼんやりとしか思い出せなかったのだ。ちょっとヒントを出したくらいでは思い出すことは不可能だろう。

 これはもう私とジル様だけの秘密にしてしまおうと思った。

 アリーシャが覚えていない分、代わりに私が覚えているから。

 だから、ジル様。そんなにがっかりしないで。

 平静を装うのが得意なジル様は気落ちしてるとアリーシャに悟らせずに、その後の時間を過ごした。



 ***



 お屋敷に帰って夕食を食べた後、ジル様は図書室で借りてきた恋愛小説を読み始めた。

 先日、ジル様に読んでみたい本はないかと聞かれたので、学生時代によく読んでいた本を勧めた。

 恋愛小説なんて勧めても読まないだろうと思っていたのに、ジル様は律儀にも恋愛小説を読む時間を作ってくれた。

 ジル様が寝る前に読む領地経営の本は私にはちょっと難しかったから、恋愛小説を読む時間を作ってもらえたのはありがたかった。なにせ読みたくても体が自由に動かせないのだから仕方がない。

 最初の頃はページをめくるごとにめくっていいかを確認してくれていたけれど、最近では私の読む速度がわかってきたのか、ちょうどいいタイミングでページをめくってくれるようになっていた。

 時折、ジル様が物語の主人公の少女の心情について聞いてくるので、それに答える。やはり男性だけあって、恋する女の子の気持ちには疎いらしい。

 ジル様と楽しく本を読んでいると、ふいにドアがノックされた。


「ジルベルト様、おっしゃられたものをお持ちしましたがいかがいたしましょうか」


 執事さんの声だ。

 ジル様はパタンと本を閉じると、待っていましたとばかりに席を立って執事さんに部屋に入るように言った。

 ガラガラとワゴンを押して入ってきた執事さんは、そこに載っていた三段重ねのパンケーキを部屋の中央にあるテーブルに置いて、紅茶を淹れはじめた。


「急ですみませんでした。どうしても今日でなければならなかったので」

「いえ……それにしても、ジルベルト様が食後に甘いものを求められるのは珍しゅうございますね」

「確かにそうかもしれませんね――ああ、お茶を淹れたらさがってもらって大丈夫ですので」

「かしこまりました」


 そんなやりとりを聞きながらも、ジル様の視界に映るパンケーキに目が釘づけになった。

 すごく美味しそうですわ。

 でも、何かしら……先日アリーシャと町で食べたベリーが沢山のったパンケーキにそっくりな気がする。

 あれでしょうか。ジル様もアリーシャからもらった一口じゃ物足りなかったとか?

 やがて執事さんが下がって部屋に一人になると、ジル様がパンケーキの前に座って口を開いた。


「誕生日おめでとう」

「え?」


 一瞬何を言われたかわからずに聞き返すと、ジル様からも「あれ?」という反応が返ってくる。


「違いましたか?」

「いえ、違わないです、けど……どうして……?」

「貴女の様子を見ていたら今日が誕生日なのかと思いまして。結局、貴女が喜びそうなものがこれくらいしか思い浮かばなくて……」

「で、でも、いつの間に……」


 いつも一緒にいるのだから、サプライズなんて用意できるはずがない。

 どんなに小さな声で内緒話をしようとしても私には筒抜けになってしまうのに、一体いつの間にジル様はパンケーキを頼んでいたというのでしょう。

 すると、ジル様はいたずらが成功した子どものように、クスクス笑いながら種明かしをしてくれた。


「貴女が朝寝坊している間に」

「…………それは盲点でした」


 夜寝る時間はジル様の方が早いけれど、起きる時間は私の方が遅い。どうやらその隙をつかれたらしい。

 もう誕生日なんてあってないようなものだけれど、こうして祝ってもらえるなんて思ってなかっただけに喜びもひとしおだった。


「ジル様、ありがとうございます。とても、嬉しいですわ」

「喜んでもらえてよかった。じゃあ、冷める前に食べましょうか」

「…………はいっ!」


 そうしてジル様と一緒に食べたパンケーキは、今まで食べたパンケーキの中でも一番美味しかった。

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