第45話 僕の告白さえ、彼女の手に掛かれば

 籠鮫からの連絡を受けた僕は『24時に向かいます』と返信すると、夕食を食べて、風呂に入って、幾つかの下らない話をして──その最後に、彼女へ切り出す。


 同じソファーに腰掛けて、微妙に距離の空いた空間を、少しだけ詰めた。


「籠鮫さんが『マキちゃん』を見つけたらしい」


 それはつまり、今日、これから“事“が起こるのだとそういう意味で、彼女もまた深く理解しているだろう。


 リビングに置かれた新品のテレビ。つまらなそうにチャンネルを変える千頭流の手が止まる。一呼吸置くと、彼女はテレビを消して視線を床に落とした。


「それで、貴方は私にどうして欲しいの?」

「連れて行きたくない、だから家で待っていて欲しいんだ」

「どうして?」


 理由なら沢山ある。連れて行きたい理由も、そうでない理由も。


 何故連れて行きたいのか、それは僕がこの異変を少し甘く見てしまっていた事に起因する。重大さは察していたけど、まだ大丈夫、今は気にする程でもない、などと考えていたからだ。実際には──死者が5人、そして今夜また一人増えようとしている。いつ僕達の身に直接降りかかってもおかしくない状態。そんな状況で彼女を一人にするのは気が引ける。


 一体いつまで守り続ければ良い。一体いつまで僕に縛り付ければ良いのかも分からない。


 何故連れて行きたくないのか、この理由については簡単で、単純で、シンプルに──危険だから。千頭流を失いたくないから。苦しい思いも痛い思いも味わって欲しくない。例え僕が死んだとしても──そんな光景を見せたくない。


 そう思った時、いつの日か、あの公園で問われたものへの答えが出た。


「僕は、君が死んだら──多分、悲しくて泣くんだろう、と思う」

「どうして?」

「言葉にするのは……ちょっと難しい」

「どうして?」


 何度か言葉を濁しても、彼女は『どうして』『どうして』と纏わり付いた。


 理由なんて分からないのに。


「君と話した公園を、この前一人で見たよ」

「それで?」

「……君がいなくて、寂しかった」

「どうして? 憩は何故そう思うの?」


 理由なんて分からない。はっきりしたものでもないし──それでも答えはきっと、ずっと前から出ていたのだろう。


「僕は君のことが──」


 千頭流は何度も、何度も、僕に聞いたくせに、


「おっとそこまで。後は帰ってからにして」


 そう言って手を握って、じっと僕の目を見つめた。


「……なんで」

「ようやく私の矯正が効果を発揮したようね」


 自分としては結構思い切った──告白をしているつもりだったけど、唐突に出て来た『矯正』という言葉に面食らってしまう。


「え、ど、どういうこと?」


 上手く状況が飲み込めなくて四苦八苦している僕に、彼女は溜息を吐きながら答えた。


「憩が今思っているのはね──私が死んで悲しいって、寂しいって、そういうことでしょ? それは人として当然過ぎる感情なの。誰だって親しい人間が死んだら悲しいでしょうに。私はあの日、ただ憩にそう思って欲しかっただけなのに。どういう回り道と思考回路を組み合わせればそんなに迷えるのかしらね」

「僕だってそれくらい分かってたさ。でも、上手く言葉が出てこなくて……」

「それがおかしいって言ってるのこの馬鹿」


 唐突に暴言を吐かれて停止した僕に、彼女は追撃とばかりに続ける。


「素直に口に出せないなら、意見が纏められていない確固たる証拠じゃない。やっぱり貴方は疎くて、鈍感で、馬鹿で、間抜けで、トンチンカンで──しかし、おめでとう憩。一般的な感覚を手に入れた貴方は、ようやく人間社会の仲間入りを果たしました」

「あ、ありがとうございます?」

「喜んでる場合じゃないわ。こんなものはただの第一歩で、問題はこれから」

「問題?」

「ええ。貴方はやっぱり、一刻も早く超常現象なんて訳分かんないものからは手を引くべきよ。良くも悪くも、憩の気質はそれらに毒されていて、あまりに相性が噛み合いすぎている──このままだと“こっち側“に戻れなくなるわ」


 ギュッと、手を握る力が強まる。


「人間じゃなくなるって事かい?」


 何故だろう、ただ気持ちを告白しようとしただけのつもりが、とんでもない方向へジャンプしているのは。

 

「過言でも無いけれど厳密には違う。言うなれば──“精神的な怪物“かしらね」

「それはまた……随分仰々しい言葉だ」

「通常の人間とは異なる精神を持つ、けど、結局は人間と変わらない。そんなものは怪物からも受け入れられないし、勿論人間とだって共存は不可能でしょう。末路として考えられるのは──絶望的な孤独。そしてきっと、そこには私だっていない」

「千頭流が、いない?」

「私は決して望まないけれど、いつか貴方がそう望むわ。私にはそれが分かる」


 確証も無く、そして全て想像の筈だった。しかし、彼女の言葉は確信に満ちていた──切れ長の瞳も、同じように訴えていて、だから僕もまた、直感的に『そうなる』のではないかと思ってしまう。


「……そうか。だから君は」


 その時、僕は初めて彼女が『付き合おう』と言った意味を理解した。単純に好きだったからとか、それだけの事ではなく──千頭流は僕を一人にしないように、僕が帰って来れるように、


「守られていたのは、僕の方、だったのかな」


 道標、それが彼女の口にした『矯正』の中身だったんだろう。


 彼女はいつもそうだった。僕が気が進まない事や、行き詰まりになる度に手を差し伸べて、強引に連れて行ってくれる。向かうべき道を指し示してくれて、一緒に居てくれて、時には叱ってくれた。


「現実を教えて、導く事。超常現象に抗う術の無い私にとって、貴方と肩を並べられて、出来る精一杯──私は、貴方の帰る場所と理由になりたいの」

「うん……もう充分なってる」


 千頭流は微笑んで、空いた手を僕の頬に添える。

 

「なら──そうね。理解出来た憩には、ここで感動の涙でも流してもらいたいけど、まだ無理そうかしら」


 ヒビ割れていないし冷たくもないし骨張ってもいない──柔らかくて、暖かい、ただの女の子の手。僕はそっと自分の手を重ねると、自分の為に一生懸命だったものの小ささと、儚さを知った。


「うん……それは、まだみたいだ」

「残念。まあでも、楽しみは後にとっておきましょうか」


 千頭流はパッと、どちらの手も僕から離して立ち上がり、


「私は家で待っているから、とりあえず貴方は行きなさい。それで──帰ったらさっきの言葉の続き、聞かせて?」


 足手まといになると分かっているから、しかし本当は是が非でも行きたいだろうに、彼女は僕の帰る場所になる為、笑って言ってくれていた。


「どうして帰ってからなのさ」

「だってその方が──燃えるでしょ?」


 と、彼女は上目を遣って言った。そんな事、今までは毛程もやらなかったくせに。


 何が、とは言わなかったけど、訳も分からなかったけど、理由もなく僕は固唾を飲み込んで、気が付けば照れ隠しみたいに茶化して返してしまう。


「えー、なんかそれ死亡フラグっぽいから嫌だなぁ」

「あら、疎いくせにそういう言葉だけは知ってるのね」

「ホラー映画が好きでさ。良くそういうシーンがあるじゃん」

「そう。でも残念ながらこれは現実、死亡フラグなんてものは存在しないから。というか早く行かないとあの刑事が死ぬわよ」

「あ、やべ」


 時刻は11時丁度、時間はあるけど、正確に出現する時間など分からないのだから、早めに行くに越したことはないだろう──そう思って余裕を取っていたけど、ちょっとゆったりし過ぎたか。


 僕は慌ただしくリビングを飛び出すと、よろけながら玄関で靴を履いて振り返る。


「こんなに騒ぎになったんだ。多分、この街に他の専門家が来てる。僕がやらなくても、他の誰かがやってくれるさ……だから──これが終わったら……」

「それこそ死亡フラグじゃない。というか私の“魂が穢れている問題“があるでしょう? 終わったら異変じゃなく、私を助けて頂戴」

「あ、はい、すいませんでした」


 甘々な雰囲気も一切なく、一蹴されてしまった。しかし、まあこんな感じが、僕にはやっぱり凄く居心地が良いと思う。


「じゃあ……行ってきます」

「ええ、行ってらっしゃい」


 


 その日、僕は初めて人間の女の子に恋をした──いや、多分ずっとそうだったんだろう。だからこれは自覚だ。初めて会った日か、それとも彼女が被っていた猫を取り外した日か、それとも救えた日かは分からないけど、僕は彼女が好きだったのだ。


 玄関を飛び出して夜空を見上げると、そこには満天の星々が輝いて──はいなかった。結構曇っていたから何も見えなかった。というか少し肌寒い気すらする。


 しかし、ふと顔が熱くなって、体が火照って──だからだろう、涼しげな夜の道が丁度良かった。

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