第42話 やべえ。無理かもしれない
「そろそろ『お腹が空く』時間だからさー」
彼女が言って、僕は時間を確認すると16時過ぎだった。夜まではまだ猶予があるように思えるけど、余裕を持って行動出来るに越した事は無いのだろう──彼女は狼人間なのだから。
「や、やっぱり……夜になると……あばばばばば」
籠鮫は膝と奥歯をガタガタ言わせて縮み上がっている。
「何言ってんの? 今日はアタシが晩飯当番だから早く帰るってだけなんだけど」
違った。至って普通の理由だった。
「詠子ちゃん──もしかしてワザとやってる?」
「あ、バレた?」
僕が聞くと、彼女は悪戯に微笑む。
「おっさんの反応がおもしろくてつい。でも当番なのは本当だからもう帰る」
「うん。気を付けて」
そうして彼女は部屋を出る寸前、立ち止まって振り返る。
「憩くん」
「ん?」
「もう人間に姿見せるのは勘弁して欲しいけど──またアタシが必要になったら、いつでも呼んで」
「それは、異変の解決に手を貸してくれるって事で良いのかい?」
「そんなんじゃなくて──友達を助けるって、ただそんだけ」
彼女は『じゃ』と短く切って部屋を出て行った。
それにしても、少し帰るのが早い──気がしたけど、他人の家の食卓事情があるのだろうと、僕はそれ以上の思考を止めた。
残されたのは僕と籠鮫の二人。部屋の静けさは気にならないけど、絵面がむさ苦しくなってしまったのは致命的かもしれない。ここ最近、毎日のように千頭流が一緒だったので余計な寂しさまで感じてしまう。
「どうでした? 狼人間といえど、ただの女の子と変わらないでしょう?」
僕は未だ震え上がっている籠鮫に言った──いや、正しくは“震え上がっているように見えている“籠鮫に。
「貴方が警戒するような事は何もありません」
「……あちゃー、バレてたかー」
彼は溜息を吐くと、薄ら笑みを浮かべる。
「あんなコントみたいな怖がり方──誰でも演技だって気が付きます」
怖がっているフリ、驚いている演技。何故そんな事をしたのか大体想像は付く。
「どうやら僕が思っていたより、貴方はずっと警察官らしい」
「当然だろ」
彼女が危険な存在だと理解し、僕達の警戒心を解く為、観察に努める為に道化を演じていたのだ。型破りで胡散臭いただのおっさんとしか思っていなかったけど、そういう部分の正義感や義務感は備わっているようである。しかしまあ、驚愕した事に変わりはないだろうから、幾つかのオーバーリアクションは本音だったかもしれないけど。
平静な声色と表情に戻った籠鮫は僕に聞く。
「アイツは人を殺したことがあるか?」
そこにはもう、先程の様子は見て取れなかった。
「ありません。誰かを殺していたら、僕が彼女を殺しているでしょうから」
「お前にそれが出来んのか?」
「そうしているから、貴方達が平和に過ごせているんです──だから余計な手出しはしないで下さい」
「リスクがあるなら事前に対処する方が賢明だとは思わねえか?」
籠鮫は如何にも刑事らしくて、人間らしいセリフを吐く。
「詠子を殺せば、他の狼人間や怪物達が黙っていませんよ。仲間意識は僕達よりもずっと強いんです」
「戦争になるってか」
「今、この世界は繊細なバランスで成り立っている。それは僕達専門家が『人間に危害を加えた怪物だけ』を狩っているからに他ならない。人里を降りて来た熊や猪を射殺するとは訳が違うんです。彼らは人間社会に溶け込んで暮らしているのだから、争いになった時の泥沼加減と被害の大きさは、貴方でも想像が付くでしょう?」
「化け物共は気まぐれで殺すくせに、人間には何もするなってことか? そりゃ随分な物言いだな」
「疑わしきは罰するんですか? 刑事とは思えないですね」
僕達の会話はどこまで行っても平行線だった。そして籠鮫の言い分は、人間にとってきっと正しいのだろう。しかしながら彼にとって僕の言い分もまた同様に思えたらしく。
「……もうこの話はやめにしようぜ。気が滅入る」
「……ええ。そうですね」
このまま会話していても、行き着くとこは正義だ悪だと、戦争の意義だの意味の無い会話に発展するだろう。そしてそれは、僕達では答えが出る筈も無い。
「とりあえず、今のとこはお前ら専門家とやらに任せるからよ──ほれ」
籠鮫は一枚の写真を胸ポケットから取り出すと、僕へと差し出した。
「とりあえずその言葉、今のところは信じますよ」
そうして受け取って見ると、
「それにしても……よくこんなものを高校生に出せましたね」
「お前が見てえって言ったんだろ。文句言うな」
写真に映し出された『もの』を見た瞬間、思わず顔を顰めた。
一人の血塗れの男性が、聞いた通りの状態で横たわっている。下半身には包丁や菜箸、フォークやスプーンなど主に調理器具が突き刺さっていた。恐らくはこれで動きを止められたのだろう。救いを求めるように窓辺へと伸ばされた手の甲や、二の腕にはペットボトルの先端が。痛みに耐えかねて大きく開けられた口から侵入したと思われる電気コードは突き抜けて、後頭部から飛び出している。腹部や上半身にも様々な色々が、まるで生えているかのように。
頭部は左半分が欠損──いや、陥没しているようだった。
「血痕と、脳の一部が壁や床に付着していたらしい。ほら、この部分だ」
籠鮫は膝を折ると、床の一部を指差した。触れてみると──指先に凹みを感じ、見回すと同様の箇所が幾つか見受けられた。
「解剖の結果じゃ裂傷や刺し傷だけじゃなく、とんでもねえ力で“振り回されて叩き付けられた“ってのも死因だってよ。しかも被害者の体には掴まれた跡が無え」
「成人男性を、ですか」
「証言によれば物音と叫び声が聞こえたのは、ほんの1、2分だったそうだ。そこからはピタッと止んで、後はもう何も聞こえなかったってさ」
「なるほど」
「なるほどってお前……まあいい。そんな僅かな時間でこれだけのもんを突き刺して、振り回しての犯行。玄関や窓は施錠された密室で足跡もDNAも何も無し。これが3件続いている。署内じゃ『魔法が使える体重100キロのプロレスラー』が犯人、なんて現実逃避してる連中もいるらしい」
「あはは、それも仕方無いかもしれませんね」
調理器具など鋭利なものならまだしも、そもそもペットボトルや電気コードを人体に突き刺すのは不可能だ。だとすれば突き刺したのではなく──まるで意思を持ったかのように動き出したと考えるのが手っ取り早いか。
「お前の見立ては?」
「そうですね……」
籠鮫の問いに、僕は聞いた話と写真から想像出来る当時の状況を思い浮かべながら見解を語る。
「強い憎しみと、無邪気さを感じました。と言っても悪意は無いと思います」
「こんだけやっといて悪意がねえとはな」
「あくまでそういう性質なだけかなと。『マキちゃん』は生まれたてなんです。思うがまま、感じるままに行動してるんでしょうね」
「……ったく、さっきからよー、専門家ってのはどいつもこいつも頭イカれてんのか」
「なんですか急に」
籠鮫が唐突にそんな事を言い出したので、僕は少しムッとして彼の顔を見た。てっきり茶化して言い出したのかとも思っていたけど、そこにあったのは──理解出来ない、気持ち悪いものを見るような目付き。
「お前、なんで笑ってんの?」
「……ああ」
また、そんな事を言われた。確か千頭流にも似たような指摘を受けた気がする。あの時は無意識によるもので、今回もまたそうだけども、しかし、この笑みの理由は自身で見つける事が出来た。
「だって、小っちゃい子供が遊んでるみたいなものですよこれ」
誰だってそんな光景を思い浮かべたら自然に笑顔くらい出るだろうに。
「人が死んでんだよ」
しかしながら、これは彼の言う通りだ。まただ、またこれ。
「そう、ですよね……すみません」
どうにも自分の中で何かが決定的に擦れ違っている気がする。持ち合わせている道徳と、経験と記憶が噛み合っていないような、そんな不思議な感覚。これも魂を失った代償の一つだろうか。
僕が若者らしくアイデンティティクライシスを起こしていると、籠鮫は場を仕切り直すように息を吐く。
「そんでどうだ。お前に解決出来そうか?」
彼の問いに僕は現象の凡そを予測する。
足跡などの痕跡や部屋に侵入した形跡が無いのだから、この部屋に直接出現したのだろう。それに成人男性を振り回して叩き付けられて、かつモノを人体に突き刺さる精度と威力で動かせる念力。執拗に命を断つような残虐性と、強い恨み、無邪気──それに、
と色々考えてみたけど、いや薄々感じていたけど、
「ちょっと僕には難しいかもしれませんね、あはは」
「は、はぁ!? どうすんだよじゃあ!!」
「ど、どうしましょうか……」
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