第43話 時は進み、僕達は幸せな生活を送っていました

 あれから数年が経った。異変もなんやかんやで解決して、僕は千頭流と一緒の大学に進学してコンパやらサークル活動やらなんやかんやをして、あれよあれよとキャンパスライフをエンジョイしている。


 この前なんか千頭流の家で誕生日会をして、お互い飲み過ぎてしまったり、詠子が途中で狼に変身したりと色々大変だったり。


 そう言えば、今年から我が家の天使ことスー子ちゃんも、学校に通える事になった。戸籍とか諸々は全部籠鮫刑事が用意してくれて──ああ、神様、こんなに順風満帆で良いんでしょうか。もしかしてこれは夢なのではないでしょうか。


 とマジモンの現実逃避に身を委ねられたならどれほど良かったでしょう。


 しかし、こうした想像をしてしまう程には、僕は彼女の事が好きなのだろうか。一瞬の躊躇いさえなく千頭流との未来を思い描いたのだから、これはもう無意識レベルで好意を持っているのかもしれない。いつの日か彼女が言っていた『単純接触効果』というやつ。一緒に居るうちに好感度が爆発的に上がっていって、頭で理解するのではなく、潜在的な意識の中で彼女の事を思ってしまうのだから、これは──もしかして、恋か?


 などと考えている場合では無いらしい。


「テメエ、あれだけ大口叩いといて解決出来ねえとは何事だ」


 籠鮫は後頭部を掻き毟ると、ヘラヘラと現実から目を背ける僕を責め立てた。


「いや、解決出来ないとは言ってないですよ? ただちょっと難しいかなって」

「難しいってのはどういう意味だよ」

「情報が少ないのであれですが、『マキちゃん』はかなり強力な部類に入ると思うんですよ。出会ったものをあの世に連れて行く、という単純明快な力──死を与える概念、と言っても良いかもしれません。そんなものが、マッチングアプリで見かけた人間を無差別に殺して回っている」

「し、死を与える概念? え? これ現実の話だよね?」


 あまりに突発的な話だったので、籠鮫もまた僕と同じように現実逃避を繰り出した。


「気持ちは分かります」

「そ、そーだ! あの狼の嬢ちゃんにブッ殺してもらうというのはどうだ?」


 それは天下の警察が、一介の女子高生をアテにするほど動揺である。


「力負けはしないと思いますけど、正直言って無理でしょうね」

「無理かどうか分かんねえだろ、とりあえず任せてみようぜ、な?」

「相性が悪いんです。狼人間は弱点が幾つか存在しますので、殺そうと思えば簡単ですが、こうした現象そのものは元を断つ以外消滅させる術はありません」


 幽霊なら塩。狼人間は銀の弾丸。吸血鬼ならニンニクと、怪物にはそれぞれ弱点があるが、これはそのどれにも該当しないのだ。


「元を断つ?」

「大衆の意識から生まれた存在ですので、全ての人間の記憶から消えるか、信じている人が居なくなれば解決するんじゃないですかね」

「どんだけ時間掛かるんだよそれ。つーかお前専門家だろ? なんか魔法とか使ってパパッと出来ねえの?」

「僕は普通の人間ですよ? そんなの使えるわけないじゃないですか」


 使えない人間が居ないわけではないけど、これ以上籠鮫の脳をパンクさせるのは躊躇われたので言及はしない。


「じゃあどーすんだよ!!」


 そう、彼の言う通りだ。ではどうするのかという話。


 正直、僕はこの現象を舐めていた──いや、現象というよりは『異変』の方を。ここまで強力に、存在理由を完遂する力を持った存在が生まれるなど想像もしていなかったのだ。仮に現れたとしても、精々ポルターガイストを引き起こす程度だろうとタカを括っていた。


 出現し、対象を精神的に追い詰めて攻撃しその後、憑依して殺す。少なくともこの手順を破る事は無いだろうと、そんな風に見誤っていた。


「確かに難しいですけど、方法はあります」

「あんのかよ」


 しかし、僕だって怪物狩りの端くれだ。今まで何度も『これはもう絶対無理でしょ』と思われる現象を幾つも解決して──いや、厳密には主に師匠が解決してくれたのだけど、別に何もしていなかったわけじゃないよ。


「籠鮫さん。出会い系に登録して下さい」

「え」

「片っ端から登録しまくってなんとか『マキちゃん』を見つけて欲しいんです」

「それは俺に死ねってのか」

「まず被害を最小限にしませんと。事情を知っている貴方は守りやすいですし」


 籠鮫は一瞬だけ唸ったけど、決断は早い。


「別に良いけどよ、無駄死には御免だぜ?」


 僕は彼の反応に少し驚いていた。人間とはこんなにも簡単に命を投げ出せるものなのだろうか。如何に警察とはいえ、被害を食い止める為とはいえ、あれだけこの現象の恐ろしさについては語ったのにも関わらず。


 籠鮫の殆ど即答だった言葉は、僕が頼んだものだけども──死ぬのが怖くないのではなく、ただ自分の死を無駄にしたくないとの要望だけ。


「正直五分五分とは言えないくらいの分が悪い賭けなんですが良いんですか?」

「しゃーねえだろ、警察じゃどーにもなんなそうだし」

「へー……」


 なんだ、結構カッコいい大人に見えて来た気がする。


「これを口実に女漁りも出来るし、ウィンウィンだな」


 前言撤回。


「出会いが無いんですか?」

「社会に出るとな、自分から行動しなきゃ関わりすらねえんだよ。それに比べて学校って良いよな。クラスメイトとか部活とかさ、あんなモン出会い系と何が違うんだ?」

「全然違うんじゃないですかね」

「いーや違わねえ。実際お前が彼女いるのだって学校のお陰だろうが」

「きっかけはそうかもしれませんね」

「だろ? だから感謝しろよ青春に」


 確かに一理ある、と言いたくはない。そもそも僕にとって学校は恋愛対象ではない人間の集合施設以外の何物でもなく、部活にも入っていないのだから勉学に励むだけなのだけど。


「異性との出会いのきっかけ、か」


 そういった意味では出会い系も学校も同様。勿論趣旨は全然違うし、目的も異なるけど。膨大な人が行き交う街では他人など微塵も記憶に残らない。しかし学校では一定数の集団が、個人の趣味嗜好関係なく押し込められている。嫌いな人間も好きな人間も、関わりすら持ちたくない人間でさえ、一緒くたにされているのだ。反対に出会い系は取捨選択が出来る。選り好みが出来る。会ってみて、好みで無かったのなら連絡を取らなければ良いだけ。次の日に顔を合わせる事も、教室で噂になることも無い。


 そう考えて、僕は『マキちゃん』という現象に思いを馳せた。彼女にとって、出会い系サイトとは何の意味を持つのかとか、そんな事を。


「……助かりました。どうにか五分五分まで持っていけそうです」

「えなにが」

「それは後のお楽しみですかね。さ、もう帰りましょう。登録お願いします。見つけたらまた連絡下さい」

「本当に大丈夫だよな? 俺死なないよな?」


 慌てふためく籠鮫に適当に相槌を打ちながら、用事を済ませた僕達は現場のアパートを出て行った。


 赤く染まり始めた空を見上げて、何となくセンチメンタルな気持ちになった僕は歩きで。籠鮫は『送って行こうか?』の言葉も無しにさっさと車に乗って行ってしまう。乗っていくつもりも無かったけど、一言入れるのが優しさであり大人ではないのだろうか──と思わなくも無かったけど、まあいい。


 人通りが少なく、両脇を家屋で固められた道を歩いて、あの曲がり角を曲がった。


 とぼとぼと歩みを進めて、目に付いたのは公園。千頭流と語らって──僕が答えられなかったあの公園には、18時のチャイムを気にしながら遊ぶ子供が居るかとも思ったけど、そこには誰も居なかった。


 しかしそれも当然の事。殺人犯が彷徨いている可能性があるこの付近で、誰が子供を公園で遊ばせるだろうか。


 寂しげな風景を横目に通り過ぎて、彼女の顔を思い出す。


 ハッキリ言って──千頭流の愛情は異常だ。僕の何処をあれほど好きになったのだろう。殺したい程憎んでいた相手を、何故愛せるのだろうかと、疑問は尽きる事がない。


 高校生同士の恋愛だ。優しくされたとか、顔がタイプとか、運動が得意とか──多分好きになるのに多くの理由は要らないと思う。実際別れる理由もそれほど深いものでもないし。


 僕が彼女を好きになろうとしたきっかけは、何だったか。


 命を懸けて守ろうとした理由は何だったか。


 こうしてずっと、気が付けば彼女の事ばかり考えてしまう原因は何だったか。


 僕はその何もかもを思い出せないまま、歩き続けて電車に乗って改札を出てまた歩いて。ボーッと歩いていると、周囲の景色に思わず苦笑いを浮かべた。きっかけもなく、理由もなく、原因もなく──僕が向かっていたのは千頭流の家だった。自分にもちゃんと家があるのに、こうして足が進んでいるのは、多分──


 家の前に立ってチャイムを押すと、パッと明かりが付いて玄関に人影が浮かぶ。


「おかえりなさい。元カノのお宅訪問はどうだったかしら?」


 ドアが開いて彼女の姿見た時、声を聞いた時、それは随分久しぶりのように感じてしまった。どうしようもない程安堵した自分に気が付いてしまった。


「いきなりだね……」

「詠子から連絡が来て、何も無かったと知ってるけど憩から直接聞かせて」

「勿論何も無かっ」

「あの子の事──まだ好き?」


 無表情に平坦に冷静に、そんな事を聞かれたものだから、僕は思わず笑ってしまった。


「いーや。もう違うよ」

「そう」


 千頭流は一言呟くと、玄関を開けたまま家の中へと入って行き、僕もまた彼女の後を追うように続いた。玄関の閉めて、鍵を締めて、靴を脱いで──と、そんな事に随分慣れた自分が居て、また鼻を鳴らしてしまう。


 しかしそうしてニヤけていた僕に、千頭流は突然振り返ると、


「憩」

「──」


 と言って、何か袋に入った粉状のものを、思い切り振って僕の顔面に叩き付けた。バフっと、そんな感じで。


「……何してるんですかね。千頭流さん」


 見ると彼女は『伯方の塩』と書かれた袋を手にしていて、しかも中身を全て僕にぶち撒けたらしい。景色が白み掛かって、床にハラハラと粒子が落ちて行く。僕はくすぐられた鼻のせいで二度程くしゃみをして、目元を手で拭いながら改めて聞いた。


「本当に何してるのかな君は」

「他の女の家に行ったんでしょ? 悪いものが付いてるんじゃないかと思って」

「せっかく良い雰囲気で終わりそうだったのに台無しだよ」

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