第44話 マキちゃんみーつけた

 暫くぶりで忘れていたけど、僕は高校生だった。こうして久しぶりに学校へ来て改めて実感したよ。正直祝福する気にもなれないが、学園ものらしく振る舞ってみようと思う。


 窓辺から差し込む灼熱が机の表面と左半身を温める。こういう時は窓際の席が憎い。


 教師が淡々と事務作業のように数学の公式を書き出して、静かな教室にチョークが黒板を叩く音が響いている。僕はとりあえずシャーペンを握って“白紙“のノートへと向ける仕草を見せつけながら、頬杖を突いて、耳を済ませているフリをした。


 教室の丁度中間、僕は窓際で、千頭流は反対に廊下側。冷房が効いた室内とはいえ、体感温度は随分と違っているように見える彼女の横顔を見る。どうやらやっぱり真面目に授業を聞いているらしい。


 欠伸を殺して、自然と出た涙を拭いながら──僕は自分の世界に閉じ籠もった。


 あれから二日が経った。勿論これは現実逃避ではなく、しっかりと48時間経過したという事実。籠鮫からの連絡を待つ以外に出来る事など無かったけど、とはいえ悠々自適に過ごす気にもなれない。


 一日、一件ペース。


 同様の手口で殺害された被害者は5人に増え、メディアなどでは文字通り連日連夜報道されていた。影響の余波は日本だけには留まらず、遂には海外でも注目されているという。


 既にこの街にも何人かの専門家が目をつけている事だろう。しかし、一体その内の何人が『マキちゃん』の存在に気が付いているだろうか。僕達が発見出来たのは、千頭流のリサーチ能力と──ハッキリ言えば運が良かったからである。事件の起こりに居合わせられたのは、異変を察知していたからだ。


 きっともう少し待てば──被害者が増えれば、専門家達もいずれ気が付き、行動を起こす者も出て来るだろう。


 もう少しで誰かが気が付く。『これはマキちゃんの仕業なんじゃないか』と言い出す者が出て来るだろう。そしてそうなった時、今はまだ幼い彼女が完成する。小さい噂話が、都市伝説へと変わり、やがて概念──人を殺す現象ではなく、死そのものへと変貌を遂げて、誰にも手が出せない存在へと。


 今がギリギリ。ここが分水嶺──だと言うのに、籠鮫から連絡は来ない。


 そして僕は今、夏期講習の真っ最中である。


 ウチの学校は、何を隠そう進学校なので、遂に始まってしまったのだ。皆陰鬱な感情を抱えているには違いないと思うけど、その表情は真剣そのものだった。だって進学校だから。教科書に隠して、教師からはバレバレだろうに、スマホを弄る生徒もチラホラ見受けられるが、心根では勉学に勤しみたい気持ちで一杯の筈だ。だって進学校だから。始業前に『あー面倒くせえ』と言っていた生徒が居た気がするけど、始まってしまえば真剣に耳を傾けて──いや、どう見ても眠っているように見えるけど、多分、ちゃんと聞いてる筈だ。だって、ここは進学校だから。


 別にこれは皮肉ではなく、ただ“人間という種族の言動は全くアテにならない“というだけの話。


「この形式はセンター試験でも頻繁に出題されるものです。皆さんは当然受験されると思われますので、スマホを弄っていたり、眠っていたりしている人も後でちゃんと復習しておくように」


 時計を見ると、そろそろ授業が終わる時間なので、教師が締めの言葉に入っている。そしてその言葉を向けられている生徒は、残念な事に全く聞いていないだろう。


 良い成績を取らせようと連日頭を抱え、真っ当な成長をさせようと叱り付ける大人。本当に思いを届けたい生徒の気持ちは、皮肉にも一番遠い場所にあるのだから、僕は何があっても教鞭を振るう立場にはなりたくないと思ってしまう。


「最近物騒な事件が多発しています。夏休みですが外出は控えて健全な生活を心懸けて下さい。新学期、皆さんの元気な姿をまた見られる事を願っています」


 締めの言葉は淡々として、誰も聞いていない。


 録音されたチャイムが鳴り響いて、授業の終わりを告げる。


 騒めき始めた生徒達の音量が、資料を片付けて教室を去った大人の姿を確認して、より大きなものになっていった。この後の予定とか、昼飯何食べるとか、昨日何があってとかそんな事。授業に関係のある話をする生徒は誰一人としていない。


 そんな雑音の中で、一つの会話を僕の耳は自動的にピックアップする。


「この前さ、見ちゃったんだよねー」

「え? 何を?」


 顔を向けると、千頭流が一人の女子生徒に詰め寄られていた。


「憩くんと千頭流が──腕組んで歩いているとこ!!」


 あの女子生徒、名前は何と言ったっけ。確か千頭流と仲が良い子で、何度か話をした事があるけど、そういえば名前を聞いた事無かったような──なので仮名称で『仲野良子なかのよいこ』と名付けよう。うん、しっくり来たしこれで良いだろう。


 女子生徒A改め、仲野が声を大にしてそんなことを言うもんだから、教室に居た生徒の視線が一斉に、僕と千頭流の交互に降り注いだ。


「もー水臭いじゃん!! 付き合ってるなら報告してよー」

「え、え、えーっと……は、恥ずかしいよぉ……」


 言葉通りに『恥ずかしい』と言って、恥ずかしそうに顔を赤らめる千頭流の姿を見て──僕の脳細胞は幾つか死滅する程の衝撃を受けた。もじもじと膝の上に置かれた手を動かして、視線をバタフライさせている、あんな少女を僕は知らない。


 え、何? 二人付き合ってんの!?

 そういや夏休み前呼び出してたっけ。やっぱあれ告白だったんだ。

 でも二人ってタイプ違くね?

 つーかあんま絡んでるとこ見た事ねえんだけど。


 これがクラスメイトに弄られるというものか、と初めての体験に心打たれながらも、記憶が走馬灯のようにフラッシュバックして、脳内映像が第1話まで遡って、僕はようやく思い出す。そういえば、彼女が『ちょっと奥手の真面目なクラスの可愛い子』という猫を被っていた事を。


「憩くん!! ちょっとこっち来て話聞かせて!!」


 と、そんな風に呑気な回想をしていると、仲野の追求の矛先が向けられてしまった。


「え、えーっと、恥ずかしいよぉ……」


 なので思わず千頭流の反応を模して答えてしまう。それはクラスにおける立ち位置を、僕もまた思い出したからに他ならない──『お調子者のスピリチュアル天然ボケの嘘つき野郎』という不名誉なレッテルを。


 クラスメイトからの微かな笑い声と、ちょっと引いたような感想が聞こえて概ね満足したけど──そんな中で千頭流の凄まじい視線に気が付いてしまって、冷房が効いているというのに汗が滝のように吹き出した。


 後で殺されるかもしれない、そんな事を思いながら──でもやっぱり面白そうなので、僕はクラスの視線を幾つか引き受けながら、足取り軽く千頭流と仲野の元へ向かう。


「で!? 二人はどこまでいっちゃったのさ?」


 着席している千頭流を、僕と仲野が囲む形。


「チューとかしちゃったりしなかったりした!?」


 もう殆ど嫌がらせに近いような声のボリュームで仲野が聞くと、


「ちょ、ちょっと声が大きい……それにき、キス、なんて……」

「ぷッ……あははは!!」


 千頭流がそんなリアクションをするものだから、僕は思わず大々的に吹き出してしまった。いつも口喧嘩では激しく負け続けている僕でも、もしかしたらこれはチャンスかもしれない──千頭流を弄る絶好の。


「え、何で笑うの?」


 僕の反応の意味を、当然理解出来ない仲野は首を傾げた。しかし僕の動悸は暫く収まりそうにない。


「い、いや……だって……プッ……アはははッ!! クック……フフフッ……」


 腹筋が激しく痛む程に笑って笑って、それでも足りない。


「それで、何だっけ? チュー?」

 

 しかしせっかくの機会を抱腹絶倒で失っては勿体無いので、若干どころではないくらい引いている仲野に質問を促した。


「そ、そうそう。チューだよチュー!!」


 怪訝が好奇心に勝ったのだろう。彼女は再び身を乗り出すと声を上げて、クラスメイトの聞き耳と視線も良い感じに集まって来ていた。


「勿論したさ。それも──千頭流の家で」

「え、えー!! お家!? お家デートですか!?」

「デートっていうか、夏休みの最初の1週間は丸々泊まってたよね」

「おおおおおお泊まり!? 何それエローい!!」

「いやー充実した日々だった。ね? ちず──」


 さぞ動揺しているだろうと、千頭流の顔を見た瞬間、僕は『あ、やべえ』と思った。


 そこには想像していた表情などは全くなく、激昂した様子もなく、ただ──優しく微笑む彼女。穏やかな雰囲気を纏っていて、慈愛に満ちた様子は、まさに嵐の前の静けさと言ったところか。


「憩?」

「はい」

「帰りましょうか」

「……はい」


 可愛らしく完璧な笑顔で、彼女は僕の手を掴んだ。鋭い爪が突き刺さって皮が剥けて、血が滲んでも決して離されない指先が、僕の今後を想起させている。


 側から見れば、それは微笑ましい光景だったのだろう。仲野は“手を繋いだ“僕達を見て、


「えー、もうちょっと聞かせてよ!」


 と引き留めようとする。


 僕はそんな仲野に内心を悟られまいと、精一杯の笑みを浮かべて言うのだ。


「ごめんね仲野さん。でも、これは仕方がない事なんだ。僕はこうなるのが分かっていた。それでもやるしか無かったんだよ。だからごめん──君にも分かって欲しい」

「え、う、うん……てか仲野さんて誰?」


 そうして僕達は教室を出た。


 記憶というのは便利なもので、あまりにも辛いと自動で閉ざす機能があるらしい。だから僕はこれから起こる事をきっと後々思い出さないだろう。何が起こるのか、何が起きたのか。人生諦めたくなるような膨大な量の悪意を当てられたと、そんな朧げな意識も、もうじき消えていく。


 僕は理解出来ないまま、気が付くと、昇っていた日が落ちて夕方になっていて、僕は千頭流の家に居た。彼女の部屋でいつの間にか天井を見上げながら──手に残った痛みだけを頼りに自分がまだ生きているのだと知ると、涙は溢れなかったけど、半端ない無力感と絶望だけが心中に滞っていた。






 側でスマホの通知音が鳴って、画面が点灯する。


 送られて来た文面に目を通して、僕は『分かりました』と短く返信をした。


 

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