第41話 狼人間と刑事
呆然と窓から流れる風景を眺めていると、見知った景色が目に付いた。あの時は野次馬や報道陣で溢れていた場所も、今となっては──多少の恐怖を残しつつも、殆ど日常を取り戻しているのだろうと想像出来る。
3階建ての小綺麗なアパート。最初の現場。同じ建物に住む住民などは、その限りではないとも思うが。そして僕自身また、この場所に良い思いは抱いていない。
「さ、着いたぜ」
車を横付けすると、籠鮫はタバコを取り出して火を点け──ようとして詠子ちゃんの鋭い眼光を背中に感じたのだろう。取り出した1本を渋々箱に戻して、代わりに溜息を吐く。
「ここから先、連れて行くかはお前ら次第だ。そろそろ見せてもらおうか」
そうして彼は貪欲に、証拠を求めるように言った。
「その前に一つ約束して頂きたい」
「約束だあ?」
「ええ。これからお見せする事とお話しする事を──誰にも言わないと」
僕としては結構真剣に言ったつもりだったけど、籠鮫はお構いなしに鼻を鳴らした。
「そりゃあモノによるわな」
「約束して頂けなければこの話はお終いです。これからも人は死に続けるし、それを止める術は貴方達は無い」
勿論これは嘘だ。協力関係を築けなくとも僕は異変を解決するつもりではある。しかしそれは今までの『人間側に犠牲を出さない穏便な調査』が使えないので、なるべく避けたいと思った。
多少の脅しを含めた僕の言葉。しかし籠鮫は笑う。
「おい、あんまり警察を舐めるなよクソガキ」
「舐めてはいません。手の内を見せようとしてまで協力を求めているのだから」
「上から目線が気に食わねえって言ってんだよ」
「貴方達が何も知らないのだから当然じゃないですか」
誰にも言わないで──そんなたった一つの約束すら素直に了承出来ないのは、警察のプライドとやらだろうか。本当に人間というのは全く面倒で強情で汚くて、煩くて──
「二人ともいい加減にして。時間の無駄」
と詠子の苛立ちを含んだ声がして、僕は背中をシート越しに蹴られた。
「黙って聞いてれば、ほんと男って幾つになっても下らない。憩くんは生意気過ぎ、おっさんは大人げない──これで良いでしょ。アタシだって暇じゃないんだから」
そんなどっ直球の正論をかまされて、僕と籠鮫はお互い顔を見合わせた。
僕達がどうしたものかと困惑していると、彼女が身を乗り出して、間に割って入る。
「返事は?」
詠子は、僕の肩をペンチで締め付けてるんじゃねえか、千切れるんじゃねえかなくらいの力を込めて、握り込んで──籠鮫には、恐らく『あの顔を近付け』ている。僕からでは後頭部しか見えないけど、頭頂部からフサフサの耳が見えた。
「は、はい……申し訳御座いません」
僕は額に脂汗を滲ませるくらいで済んでいるけど──籠鮫が今直視しているモノが、彼にとってどれほど衝撃だったのか、ポッカリと口を開けて白目を剥く姿が見えて、僕は素直に同情した。
恐らくこの世のモノとは思えぬ恐怖を味わっているだろうから。
「あ、が……あばばばばば」
失禁しなければいいけど。
車を降りてアパートに入ると、籠鮫はまるで自分の家のように鍵を開けて入室し、僕達が続けて入ると彼は詳しい状況説明を始めてくれた。
「家具なんかはそのままだが、死体や血痕は全部片付けちまってな。何か分かりそうか?」
彼の言う通り、部屋は未だに主人の帰りを待つように生活感を残していた。とはいえ、残されていたのはベッドとテレビ、テーブルくらいの物で、あまり個人の趣味嗜好が覗けない。男の一人暮らしというのはどこもこんな感じなのだろうか。
「籠鮫さん。手が震えてませんか」
「遺体発見時、被害者はここのフローリングで倒れていたらしい──全身に『何もかも』が突き刺さった状態でな」
籠鮫はタバコを取り出す。
「殺人現場でタバコを吸おうとしないで下さい。あと全部床に落ちてます」
大きく震える手元から、ボロボロと箱の中身が落ちて行った。
「包丁や電気コード──果てはペットボトルや空き缶、空き瓶。何もかも」
空箱を握り締めながら、彼は1本咥えるとライターを取り出して火を点けた。
「籠鮫さん。それボールペンです」
「あれ、このタバコ固えな」
彼の震える手元は狂るいに、狂って、
「籠鮫さん。前髪が燃えてます」
「お、おう──あがッ」
遂には足を縺れさせると、その場に倒れてしまった。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫だ……」
そうして立ち上がろうとした時、偶然詠子の姿が目に入ったのだろう。彼女は現在人間の形態をしているのだが、鮮明に焼き付いた記憶が彼の本能に呼びかけて、部屋の隅まで後ずさってしまう。
僕は苦笑いを浮かべて、詠子は溜息を吐いた。
「全然大丈夫じゃないじゃん。アンタそれでも本当に刑事?」
「か、管轄外だこんなの!! 大体何なんだよお前は!」
「女子高生の狼人間で、憩くんは人間だよ。あ、これ秘密だから、誰にも言わないでよね?」
「言えるわけねえだろ!!」
この手のリアクションは珍しい事でも無いのだけど、それにしてもの驚きっぷりに違和感を覚えた。
「籠鮫さんは何か異常だと、ある程度察しを付けていたから僕に近付いたんじゃないんですか? ならそこまで驚かなくても」
「俺は殺しについて何か知ってるんじゃねえかなと思っただけだ!! それがなんだよ、狼人間!? 訳わからんわ!!」
「落ち着いて下さい」
「ま、まさかお前ら──俺をた、食べる気じゃねえだろうな!?」
「籠鮫さん。通報されちゃいます」
いよいよ声のボリュームが本格的に心配になってくると、詠子が近付いて、顔も近付けて、胸倉を掴み上げる。
「これ以上騒ぐなら──本当に食べるよ」
「は、はい……」
彼女の一言で、現場にようやく静寂が訪れた。
改めて部屋を見回すと、これといって不審な点は無い。呪いを使った形跡や悪魔が活動していた証拠も見当たらず。被害者の幽霊でも居てくれれば話は早かったのだが、どうにもこの場所には居ないようだ。話を聞く限り随分と凄惨な死を迎えたようであるけど、成仏してしまったらしい。
だとすると、現象の正体は──、
「籠鮫さん。遺体の写真は持っていますか?」
すっかり落ち着きを取り戻した籠鮫は、胸ポケットに手を入れる。
「あるにはあるが──その前に説明してくれねえか?」
しかし、取り出そうとした手を寸前止めて言った。
「何を聞きたいんですか?」
「そりゃ山程あるが……」
籠鮫はそこで言い淀む。恐らく何を聞けばいいのかすら判断が付かないのだろう。そう思ったので、とりあえずは現状に必要な分の知識だけを与える事にする。
「彼女は狼人間です。僕が呼んだのはこの世界に超常現象がある事を信じてもらう為でした」
「ああ。もう信じたよ」
その口元は未だに引き攣って、詠子の顔を見られないようだった。
「僕は──まあ、専門家みたいなものですかね。幽霊が見えたり、怪物を退治したりを生業とする家系なんです」
「あー、あれか。陰陽師みてえな」
「厳密には違いますが、その認識で大丈夫かなと」
「で、今回の連続殺人は幽霊の仕業ってか?」
「いえ、幽霊ではありません。大衆の意識が具現化した存在だと、僕は考えています」
「……すまんが分からん」
籠鮫の脳はパンク寸前のようで、ぽかんと口を開けて首を傾げていた。
「事の発端は『マッチングアプリのマキちゃん』と呼ばれる、ネット上の都市伝説が原因です。このアカウントの人物に接触した人間はあの世に連れて行かれてしまう、そんなどこにでもあるような話」
「つまり……口裂け女とかコックリさんみてえな奴らが、実際に人を殺してるって事か? 今まで似たような事件はあったけどよ、全部人間の犯行だったぜ?」
「ええ。普通はそうでしょう。ですが今、この街はおかしくなっているせいでこうした現象が活発化して、具現化しやすくなっているんです。これからももっと被害が出るんじゃないかな」
籠鮫は顔を顰める。信じているけど、信じられないみたいな、そんな表情だった。
「3件の内、最初の被害者と2件目はツイッターで『マキちゃんを見つけた』と呟いた人物でした。3件目に関しては分かりませんが、恐らくそうなのでしょう。接触した、もしくは彼女に目を付けられた人物が悉く殺されている。僕と千頭流も事件を追ってみたんですが、何分高校生だけでは力不足だったので、籠鮫さんに協力を依頼したんです」
「確信があったのか? これが──その、そういうヤツだって」
「貴方が教えてくれたんじゃないですか。人間には不可能な犯行だって」
籠鮫は一瞬思案すると、やがて苦い表情を浮かべる。
「あー……あん時顔に出しちまってたか」
僕が籠鮫に最初に会った時に口にした『人間には不可能な犯行だったでしょう』という言葉への反応。それで、僕はこの事件に確信を持つことが出来たのだ。
「僕も一つ聞いて良いですか?」
「ん?」
「何故公安がこの事件に首を突っ込むんです? 管轄外でしょう」
「……勘だよ勘」
若干の戸惑いを見せた籠鮫に、僕はもう少し突っ込んで話を聞きたかったのだが、
「ねえ、アタシもう帰って良い? そろそろ『お腹が空く時間』だからさー」
詠子がそんな事を言い出して、意味を理解した籠鮫の膝が大きく震え出してしまったので、それ以上は聞く事が出来なかった。
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