第40話 ハロー、こんにちはー、もしもーし!!

 商店街の一軒で『大十木書店』と銘打たれた小さな店舗は、言わずもがな彼女の実家である。数多くの古本を扱っていて、マニアの間ではそれなりに有名らしいけど、僕には正直言ってサッパリだ。


 入店すると紙と埃の香りがした。薄暗い店内は今日もお客さんがチラホラと。ネットショッピングや電子書籍の波が書店業界に押し寄せる中であってもこの場所が潰れないのは、この近辺では書店が物珍しいからだろう。


「……おかえりなさい」


 店の奥、本の海の底の底。会計をする場所。そんな場所から細々とした声が聞こえた。僕が目を向けると、エプロンを着用している少女の姿見える。一体最後に髪を切ったのはいつだい? と聞いてみたくなるようなボサボサの癖っ毛ロング少女。客が居るにも関わらず、何やら小難しい本に熱中しているこの店員さんを──僕は良く知っている。


「店番ご苦労さん」

「今日はウチが当番だから」


 この少女、名前を『大十木舞留おおとぎまいる』と言う。お察しの通り詠子の一個下で『妹』だ。当然僕は何度か顔を合わせているのだけど、一度も会話をした事が無い。というか目すら合わされた事が無い。


 なので以前詠子に、


『僕って嫌われてるのかな?』


 涙目で聞いてみた事がある。


『恥ずかしいんじゃない?』


 と返答されたのでそれから僕は何度も話し掛けたのだけど、尽く無視されてしまっていた。走って逃げられるとか、顔を背けられるとかならまだしも、まるでそこに居ない人物のような扱われ方をされ、詠子に泣きついたのは良い思い出である。


「舞留ちゃん、久しぶりだね」

「……」

「もしもーし、聞こえていますかー」

「……」


 と、このように声を掛けても目線すらこっちにくれないのだから僕の心はズタボロだった。


「アハハ、相変わらず嫌われてるねー憩くん」

「やっぱり嫌われてるのかよ」


 消沈する僕を置いて、詠子はカウンター横の階段へと向かって行った。僕もまた彼女に付いて行きながら限界ギリギリまで舞留へと視線を送り続けるも──やっぱり目も合わせて貰えなかったのである。


 1階は書店で2階が住居となっているこの建物は詠子の両親が建てたものでは無く、この街に来た時に誰かから譲ってもらったものらしい。詳しい事情は知らないけども、築年数もそれなりであり、急勾配な階段や年季の入った柱はかつての僕の家を彷彿とさせる。そういった意味でもこの場所はとても居心地が良かったのだ。


 部屋に向かっている途中、僕は一つの疑問を口にした。


「そういえば、今日は家に誰もいないんじゃなかったの?」

 

 父は仕事で母はヨガ教室、だから家には誰も居ないのだと言っていた筈だ。妹の話など一切出なかったから、僕はてっきり喧嘩でもしているのだろうと深く追求しなかったけど、蓋を開ければしっかり店番をしているし、喧嘩をしている様子も無い。そして僕はやっぱり無視されている。


 詠子は一拍置いてから答える。


「今まで黙ってたけど。あの子さ、憩くんの事──知らないんだって」

「へ?」

「会ったことない。見た事ない。名前も聞いた事がない」


 僕を茶化しているのかとも思えたけど、彼女の口調にそんなものは含まれていない。今語っているものが本心で真実で事実なのだと、ただ淡々と告げるように。


「アタシも変だと思ってたけど、目を丸くしてさ、首を傾げて言うんだよ──『お姉ちゃん誰それ?』って」

「僕が見えてないってことか? いつから?」


 見えていない、それどころか認識していないとさえ思えた。五感優れる狼人間が──僕の存在を感知出来ていない。これが嘘や虚勢で無ければ。


「さあね。まあどっちにしても、これじゃあ誰も家に居ないのと一緒、でしょ?」


 どちらにせよ少しばかり不穏で妙な話だと、そう思う。彼女はこれ以上この話題に触れる必要性を感じなくなったのか、それから口を閉ざしてしまった。


 詠子宅でまたも一つの異変に出会してしまったのだが、現状優先すべき課題がある。待ち合わせ相手を待たせる訳にもいかないし、何よりあまり遅くなると、詠子が変身するリスクも考えられるので、僕は頭の片隅に問題点を残しつつ、区切りを付ける事とした。


 この世界には未だに解明されていない不思議が山ほどある。幾つかは見間違いや勘違いによるものだと僕は知っているけど、そうじゃないものも多く、また僕のような専門家でさえ知り得ない不思議も存在するのだ。


 存在そのものが超常現象の詠子が『幽霊』を怖がるか。答えはYESだ。恐怖とは理解出来ないものや命の危機に相対した時、反射的に発現する感情の事を指す。であれば何故彼女は幽霊を怖がるのか。


 例えて言うなら──僕達人間が街中でばったり『腹を空かせたライオン』に出会す、という状況を思い浮かべて欲しい。目の前にいきり立った『スズメバチ』が飛んでいる状況を思い浮かべて欲しい。そうなれば僕達は当然恐怖し、反射的に逃げようとするだろう。彼女の幽霊に対する恐怖はそんなところだ。状況によっては、持てる手段によっては殲滅を図ったりもする。


 対して『妙な出来事』に対しては──逆に彼女は無関心である。へーなるほど、不思議な事もあるなー、くらいで済んでしまうのだ。人間に例えて言うと、街中でばったり同級生と会ったりとか、宝くじに当たったりとかその程度の事。不思議をただの偶然としか認識しない。だから彼女にとって『妹の異変』は不思議以外のなにものでもなく、それ以上の思考を使うに値しないのだ。


 僕にとっても、それが同様であるように。

 



 15時過ぎの事。僕達は集合場所に辿り着く。


「ここ、みたいだね」


 籠鮫刑事に指定された住所へと来てみると、そこにあったのは高級感のある白いマンションだった。駐車場には同様に高そうな車が何台も停めらていて、敷地内には公園も見受けられる。そんなものが何軒も並んだ、所謂団地という奴。


「でそのおっさんはどこにいんの?」


 因みに言うと、当然だけど詠子の家では何も無く、彼女はただ荷物を置きに帰りたかっただけのようだった。本当に期待も何もしていないので別に良いけど、ちょっとしたハプニングも何も無くて、少し気を落としているのは秘密にしておこう。


「うーんと……あ」


 辺りを見渡すと、エントランス前でタバコを蒸す男性を発見。


「もしかして、あれ?」

「そうだね」


 詠子は露骨に嫌そうな顔をする。彼女は煙草の匂いが苦手なのだ。先に言ってくれ、と言わんばかりの鋭い視線を僕に向けられるけど、知らないものを事前に報告は出来ないので御免なさい。


 籠鮫もこちらに気が付いたらしく、陽気に手を振って近付いて来た。


 初めて会った時のようにスーツを着込んでいたが、ネクタイもしていないし髭も伸びている。どうやら仕事中では無く本当に休みの日だったらしい。


「悪いな家まで来てもらってよ……あれ、この前とは違う女の子じゃん。案外モテるんだなあお前……ってかなんかボロボロじゃね?」

「気にしないで下さい」

「ほう、さては──修羅場だな」


 詠子をジロジロと見ては開幕いきなりのそんなご挨拶に、僕は彼女の心情を察した。というかこの場所、この男の家だったのか。どうやら公安刑事という職業はかなり金払いが良いらしい。今日の晩飯は奢ってもらおう。


「というか、何で家を集合場所に?」

「歩くの面倒臭いじゃん」

「……憩くん。こいつ本当に刑事なの?」

「多分そうだと思うよ」


 籠鮫は煙草を加えながらヘラヘラと笑っている。


「へへへ。相変わらず失礼なガキだなあ──まあいいさ。それより連絡を寄越したってことは、何かおじさんを驚かせるような情報を持って来たんだろうね?」


 詠子の嫌がる表情に気が付いたのだろうか。彼は携帯灰皿を取り出すと火種をねじ切って消した。


「持って来た、というか連れて来ました」

「ふーん……じゃあ、もしかしてこの子が連続殺人犯とか?」


 籠鮫の何気ない一言で、彼女の血管がブチギレる音がする。


「ふざけんのも大概にしろよおっさん、何なら今ここで──殺してや」


 そうして彼女が胸倉を掴み掛かろうとした瞬間の事、


「って臭!! タバコくさっ!! ぐぅ……は、鼻がもげ……るぅ」


 嗅覚が殺意に勝ってしまった。彼女は耐えきれず鼻を抑えると、かつてない速度でバックステップをかまして遠ざかる。


「え、なに? おじさん泣いていい?」

「そういうご時世なんですよ。禁煙しましょう」

「……世知辛え」

「てかそんな事はどうでも良いです。どこか人目に付かない場所に行きませんか? そこで見せたい──ことがあるので」

「おう。じゃあ移動しながらで」

「移動? どこか行くんですか?」

「現場だよ現場」


 この団地が籠鮫の自宅というのは本当だったようで、駐車場に停められた車の鍵を開け、


「ちょっと待ってろ」


 と言って至る箇所に消臭剤を撒き散らしていた。気にしていないような感じだったと思えたけど、意外と繊細な人物なのかもしれない。黒塗りの高級車はツヤのある外観とは違い、コンビニの袋やタバコの空き箱や空き缶や空きペットボトルで大変な事になっていた。僕は苦笑い、詠子はハンカチで口元を押さえていた。


 籠鮫は当然運転、僕が助手席で詠子が後部座席。車に乗り込むと籠鮫は早速目的地を告げる。


「今から行くのは最初の現場だ。調べも終わってるし、報道陣もあんま来ねえだろうから入れるだろ」


 車が発進すると、普段徒歩かバスか電車以外の交通手段を使わないから、窓から流れる景色がとても新鮮で懐かしいものに思えた。バスよりも揺れが少ないし、電車よりは密閉感がある。助手席から見える風景はとても低くて、近くて、少し怖い。


「一つ聞かせて欲しいんですけど、どうして僕に目を付けたんですか?」


 僕はずっと疑問だった事を口にした。確かに現場での千頭流の様子は妙に思えただろうけど、名刺を渡したり、話を聞こうとしたり──こうして現場に連れて行ったり、とても通常の事とは思えなかったのだ。


「勘」


 と、彼は一言で返す。


「まあ何となくだよ何となく」


 付け加えた理由もまた根拠薄弱。予想をしていなかった訳じゃないけど、『刑事の勘』という奴だろうか。


「何となくでただの高校生を殺人現場に連れて行くんですか?」

「刑事って奴はな、仕事柄そういう勘を持ってる。これが中々当たるもんだから恐ろしくて、だから絶対間違えがないように手続きを複雑にして確実な証拠を求めるし、証拠が無ければ動かない」


 彼は子供にも分かり易く言葉を噛み砕いて語る。そこからは彼の、彼なりの仕事に対する苦悩が覗いていた。


「こいつは怪しい、こいつは何か知ってる、分かっちゃいても精々出来るのは話を聞く事だけなもんで──そんで、結局後手後手になっちまうのさ。俺は違うがね」

「それで、僕には何を思ったんですか?」


 籠鮫は間を置いて、前方を見たままで、


「お前、人を殺した事あるだろ」


 言った。


 僕がその問いに即答出来なかった時点で、彼の直感には確証が出来てしまったのだろう。

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