第39話 元カノと地元デート
籠鮫刑事に連絡を取る時、懸念していたのは長話である。またまた最近の若者はとか、青春がどうのこうの言われそうで通話ボタンを押す手が震えた。
呼び出し音が繰り返されて、繰り返されて、そろそろかけ直そうかなとも考えた時、
『ったく、たまの休みくらいゆっくり寝かせてくれよ』
思わず『知らねえよ』と言い掛けた口を寸前で止めて──会わせたい人が居る旨を伝える。
『分かった。1時間後に集合しようぜ。場所は──』
すると、一つ返事での了承と集合場所を伝えられ、呆気に取られている内にはもう通話が切れていた。寝起きでテンション低めだったからだろうか。何にせよ小言を聞かされずに済んで僕は胸を撫で下ろす。
集合に指定されたのは何処かの店とか、分かり易い目印とかではなく──住所だった。忘れない内にネットで検索し、地図アプリに登録していく。この街に来るまでスマホに触れた事すら無かった僕であるけど、今では随分慣れたものだと得意げになってみる。
さて、しかし、どうしたものか。
「1時間程空いてしまいました」
想定よりも余裕が出来てしまい、千頭流もいない。詠子に伝えると彼女は少しだけ思案するような顔をして、一つの提案を僕に告げる。思わず躊躇したくなるような、苦言を呈したくなるような、そんな提案を。
「ちょーど良かった。アタシ一回家帰りたいんだよねー」
「そっか。じゃあ僕も家に」
「何言ってんの?」
「へ?」
「アンタも来るの」
いやいやいやそれはない。
「ちょ、ちょっとそれは……」
僕としては当然のように断ったつもりだったけど、怪訝な視線を向けられた。
「もしかして変な事しようとしてる?」
「そんなつもりはないけど……」
「じゃあ良いじゃん。父さんは仕事だし、母さんはヨガ教室行ってるし」
「良くない理由が並べられてるじゃないか」
「良いからいくの! どーせ暇でしょ?」
「ち、千頭流に言うぞ!」
「言ってみなよ」
「ぐっ……」
僕はかつてない程に高速の手捌きで千頭流に連絡を取る。彼女がNOと言えば詠子も無理にとは言うまいと、『これから詠子の家に行っても良いか?』メッセージを打ち込んで、
一瞬で既読が付いて、
『いってらっしゃい♡』
と返信。僕の望みは跳ね返された──というか文末のハートマークにどんな感情が込められているか理解出来ず、僕は一層背筋が凍る思いであった。
こうして僕は、元カノの家に行くことになってしまいました。
詠子の両親は二人とも狼人間である。母数の少ない彼らがどのようなネットワークを形成して出会ったのかは知らない。もしかしたら怪物専用の出会い系サイトでもあるのかもしれない。仮にあるとすれば僕はもう喉から手が出る程是非入会したい──駄目だった、彼女がいるんでした。
詠子の家はここからさほど遠くない。電車を利用すれば一駅だし、徒歩でも問題なく通える距離。
「アタシの家に来るのどれくらいぶりだっけ?」
「い、1年くらいかなー」
「そっかー、だよねー」
僕としてはなるべく彼女の家での滞在時間を減らしたかったので、徒歩での移動を提案したのだけど『暑いじゃん』と一蹴された。その為僕達は現在電車を用いて高速で目的地に移動している。
それにしても大した信用であると思う。千頭流に連絡した時はてっきり──『呪』みたいな返信を期待していたのだが。何も無いと確信があるのか、それとも何かあって良いと考えているのか。若い男女が一つ屋根の下でする事はそれほど多く思い付かないけど。いやいや僕には本当に下心は無いし、というかこんなことを考えている僕がおかしいのか? いつから僕はこんなにプレイボーイになってしまったんだ? 人間は交際相手に対して無頓着なのが正常なのだろうか? いや、そんな事はないだろう。その辺りの感情はサキュバスやインキュバスのような色情の性質を有する怪物以外は共通のものの筈。
……そうだ、詠子と千頭流は友達なのだから、僕と詠子の関係も今は友達なのだから別に問題無いんじゃないか。そう考えると胸の騒めきが少しは落ち着いて──、
「憩くん? 着いたけど」
「あ、はい……」
助けて下さい千頭流さん。僕は頭がおかしくなりそうです。
電車を降り、改札を抜けて少し歩くと見えて来たのは──昔懐かしい商店街。ここに来るのも1年ぶり。詠子と別れてからは近付かないようにしていた場所だった。都心と比べれば人気は多くないけど、広大な土地の余裕が無いこの辺りでは大型のショッピングモールも建設されず、地域の住民は皆ここを使う。
数多くの店が立ち並ぶアーケード。それでも、以前来た時よりは若干シャッターを閉めている店が増えて来たようだった。テナント募集の張り紙が貼られているのだから、定休日とかでは無いのだろう。
「少し様変わりしたね。ここも」
詠子は僕の呟きに、声のトーンを落とす。
「見た目は、ね」
細く長く伸びる直線を肩を並べて歩いていると──焼きたてのコロッケの匂いがして、でも見なくたってどこからのものか分かっていた。陽気なおばちゃんがやっている服屋の2軒隣。飾っている服に匂いがつくって、よくコロッケ屋の愚痴を聞かされたっけ。
僕が感慨深く思いを馳せていると、手芸屋のお婆ちゃんと偶然目が合ってしまう。しかし、僕の事を思い出せないのか首を傾げると、隣に居る詠子へと声を掛けた。
「あら詠子ちゃん。おかえり」
「うん。ただいま」
とこんなやり取りをしているけど、この店は別に彼女の家ではない。ここでは皆がそう言うのだ。
「おばあさん、お久しぶりで──」
このお婆ちゃんとは何度も会話をした事がある。名前でも告げれば思い出すだろうと挨拶しようとしたのだが。
「いいから行くよ」
「え、ちょ、ちょっと」
詠子はそう言うと僕の腕を強引に引いて、ちょっと痛いくらい強く掴んで歩き出した。腕が痛んで、足が縺れそうになってから何度か呼び掛けて、ようやく返って来たのは、
「皆がアンタの事を忘れてる。思い出して色々聞かれるのも面倒でしょ? だから覚えているのはアタシだけで良いよ」
「……そう、だね」
僕が頷くと、彼女はようやく手を離す。
「アンタと私はもう──他人同士なんだから」
そうして振り返って、僕に笑いかける姿を見て思わず手を伸ばしそうになった。折れそうな体を見て抱き締めたくなった。そうするべきじゃないのに、してはいけないのに。
だから代わりに、口先だけを動かした。
「僕は君が困っていたら助けるし、助けを求められても助けるし、求められてなくても助けるよ。それでも他人同士って言うならそれでも良いけど……ちょっと寂しいな」
「今更だよそれ」
「あはは。確かに」
「なーに笑ってんだよ」
詠子は口先を尖らせた。それから少し微笑んで、また歩き出す。
「アタシは憩くんに助けを求めない。困ってても言わない」
「えー」
「でも──どうしようもなくなったら、頼もうかな」
「いやどうしようもなくなる前に言ってもらいませんと……」
「うるせー、それが一番良いの!」
僕達はまた肩を並べて、声を掛けられないように、アーケードの中央を歩いた。あそこであんな事があったとか、そんな話をしたとか、共有している思い出を語りながら。しかし、やはりというか何と言うか──僕の記憶は一部が欠落しているらしい。断片的に話の辻褄が合わなかったり、過去を思い返せないのだからそう結論付けるしかないだろう。
今まで気にも留めていなかった事だけど、原因には心当たりがあった。
それは恐らく──魂の核を失っているからだと思う。紐付いた幾つかの記憶や感情が無くなっているのだ。そう考えると魂とか心なんていうのは脳と関連があるのだと思えた。そうなれば、進歩凄まじい科学力が、いつかは魂の在り方を証明してしまう日が来るかもしれない。
怪物も──この世界から消滅する日が来るかもしれないな。
「憩くん? ちょっと、聞いてんの?」
「え、ああ……ちょっと考え事を」
「どーせ千頭流のことでも考えてたんじゃないの?」
「そこまでバカップルじゃない」
「……ふーん」
疑いの視線が近付いて──今、こうして良く見ていて分かったのだが、
「詠子ちゃん、もしかして化粧してる?」
薄っすらと肌に何か塗ってあるような、目元が輝いているような。化粧の事は良く分からないけど。
「は、はあ? 当たり前じゃん! もう高2なんだから……」
僕が顔を確認しようと近付けると、拒むように顔を背けて遠ざかった。以前の彼女は確か化粧っけの皆無な少女だった筈。
「つーか今まで気が付かなかったわけ?」
「ごめん、その辺りには興味が無くてさ」
「いやハッキリ言い過ぎでしょ……でも、そういやそうだったね。こりゃ千頭流が可哀想だわ」
「可哀想?」
「だってせっかくお洒落してもアンタ気が付かないじゃん」
「何か変化があれば言うさ」
詠子は溜息を僕にぶつける。
「憩くんはもう少し人間との付き合い方を勉強──というか理解するべきだよ」
「いや僕も人間なんだけど……」
「人間はもっと複雑な生き物なの! アンタは単純に変態なだけ」
「君も中々ハッキリ言うよね」
そうして商店街を歩いている間、僕は詠子から人間の女の子が喜ぶ事や、学校内の女子グループにおける大変さとか、バイト先での人間関係とか様々な愚痴を聞かされながら彼女の家へと向かう。
少しだけ辟易すると同時に、僕は少しだけ安心していた。詠子は──僕が居なくなった間、人間社会の中で“人間“として上手くやれていたのだと聞けたから。自分の本性を明らかに出来ない窮屈を抑えながらの生活は、きっと僕の想像力では追い付かない苦労があるのだろう。
見壁千頭流という少女が詠子にシンパシーを感じたのも、或いはそんな部分を感じ取っていたからなのかもしれない。
狼人間の詠子。猫を被っていた千頭流。
自分を曝け出せる相手の居る千頭流。失った詠子。
だとすれば僕は、僕にとっては、
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