第38話 結局全部手の平の上

 見壁千頭流は本当に恐ろしい少女である。本当に。


 元カノと僕の、まあ有り得ないと思うが──『復縁』の可能性を握り潰し、自分の監視下に置く事に成功した。加えて、友達になりたいというのも恐らく本心なのだろう。出まかせにしては、流された心情はあまりに生々し過ぎていたから。


 計算高い、というだけでは片付けられない。その場その場での適応力、行動力、先見の明が飛び抜けている。二人の熱い友情が交わされる瞬間を目の当たりにして、そう僕は思った。


 これも現代の若者の形なのだろうか。というか僕がサンドバックにされた意味はあったのだろうか。最初から千頭流が説得していれば──いや、彼女に言わせるなら、多分必要な行動だったのかもしれない。一度思いの丈を語らせる為とかそんな感じの。


 きっと今から起こる会話も、彼女は全部分かっていたに違いない──改めて振り返ると、そう思えて背筋が凍る。



 しかし、そんな事よりも、今はこの場の雰囲気をどうにかしたい。


「……」

「……」


 すっかり大人しく人間らしく戻った詠子は、腕を組むとしかめっ面で視線を落とし──相対する僕もまた、何と声を掛けて良いのやら分からず、ヘラヘラとして彼女の横顔を見ていた。


 僕達の間に会話は無い──何故なら、この場に残されたのが僕と詠子の二人だから。


『ちょっとお手洗いに行ってくるわね』


 と、千頭流がそう言い残して有無を言わさず行ってしまってから、かれこれ15分程が経過している。僕は痛む体を可愛がって、気が付くと思わず苦笑いを浮かべていた。


「あはは……ち、千頭流遅いねー」

「無理して話そうとしなくて良いから」

「はい」


 気まずい。気まずい。


 さっきまであんなに良い雰囲気だったのに、この重苦しさはなんだろう。クラス内ではお調子者の烙印を押されている僕であっても、現状の打破は困難に思える。こんな事なら千頭流に付いていくべきだったと後悔するも、時既に遅いか。


 決して話題が無い訳では無い。この1年で何があったのかとか、元気にしていましたかとか、学校で調子どうだい? とか──よくよく考えるとどうでも良い話題のような気もするけど、繰り返すが話題が無い訳では無い。


 話す手段ではなく──話す理由が思い当たらなかったのだ。


と、そんな僕の心情を察したのか、彼女もまた飽き飽きしたのかは分からないけど、


「怪我、大丈夫?」


 唐突に詠子がポツリ呟く。瞳は逸らされたままで。


「……うん。大丈夫だよ」

「そっか」

「うん」

「……ごめん」

「……ううん」


 短い言葉は会話というより反応。それだけの事で、僕は昔に戻った気がしていた──決して戻らないあの頃に。


 というか千頭流遅くね。一体何処までトイレを探しに行っているのだろう。もしかして大きい方──いや、あんまり考えたくは無いけど。しかし、流石に心配になって来たので、連絡を取ろうとスマホを取り出すと──狙い計ったようなタイミングで、該当の人物からのメッセージを受信した。


 少しばかりの嫌な予感を覚えながら、恐る恐る開くと、


『用事を思い出したから帰る。後は二人でどうにかして頂戴』


 実際に口にしている情景が思い返されそうな文章。僕は自身の目を疑って何度も確認するが、その文章は動かない。意味も内容も変わりが無い。本当に起こっている事なのか、これは現実か、僕は足元が崩れ落ちて深い闇の底へと落ちていく感覚を味わう。


 海底に光は届かない事を思い描くのは簡単だが、その原理を知る者は少ない。


 有光層。水底に光が届く厚さと深さをそう呼ぶ。水中の微粒子や微生物に光が吸収されて、水深が深くなればなるほど、光の強度は低下していく。端的に言うなら、泥水に光を当てても中を照らさない、みたいなものである。海だと大体200メートルくらいだっただろうか。また、海藻などが光合成を行える水層であるとも言われ──


「千頭流から連絡来た?」


 僕が気持ち良く現実逃避をしていると、詠子が身を硬直させてしまいたくなる一言を差し込んだ。


「帰ったってさ」

「……まじ?」

「……うん」

「まじ、か」


 愛しさと切なさを持ち合わせたような表情を浮かべた詠子。その面持ちは僕と二人になってしまった事によるものか、それとも千頭流が居なくなった寂しさ故か──その理由は知る由も無い。


「てか今更なんだけど、なんでアタシに会いに来たわけ?」

「あれ、言って無かったっけ?」

「聞いてないんだけど」


 確執が解消されてスッキリしてしまって忘れていたが、どうやら僕は彼女に用件すら伝えていなかったらしい。千頭流はその辺りも『お前が何とかして』という事なのだろう。つまり全部投げられたのだ。その辺りの理由なんかも含めて自分で説明した方がよっぽど効果的だろうに、わざわざ僕にやらせるとは余程重要な用事なのだろうか。


 心中で愚痴を溢しつつ意を決すると、僕は彼女に本題を告げる。


「実は──」


 この街の異変、連続殺人、マキちゃんの話を前提に、知り合いの刑事の説得材料として先程の半人半狼の姿を見せて欲しい、みたいな事を時折言葉を詰まらせながら説明していった。僕の語りを聞いている間詠子は相槌すらする事なく、ただ淡々と耳を傾けている。しかしそれは当然の事、狼人間の彼女にとっては本当にどうでもいい事だろうから。


 話終えると、彼女は腕組みをしたままで質問をする。


「なるほどね。断る」

「えー」

「どーしてアタシが人間なんかの為に、わざわざ姿を見せるなんてリスクを犯さなきゃならないの?」


 と露骨に嫌な顔をされてしまい、


「それにアタシだけじゃない。母さんも父さんも、この街には沢山の怪物がひっそり暮らしてる。人間に見つからないように皆必死にね。憩くんもそれは分かってるでしょ」

「仰る通りです……」


 ぐうの音も出ない正論を告げられる。


 彼らと人間の溝──迫害の歴史は根深い。恐れの対象である怪物を良く思わない人間は太古の昔から存在していた。人間の体液及び体を食料とする吸血鬼や食人鬼、ゾンビなどは専用の討伐隊が結成されていた事もある。一部では人間に危害を加えない怪物を捕獲して反倫理的な実験をしていた団体もあった。


 殺して、殺されて、捕獲して、食べられて──そんな連鎖。


「でも政府の一部は存在を認知している訳だし、例え刑事さんがバラしても誰も信じないんじゃないかな」

「人間にとって怪物は危険な存在で、それは怪物にとっても同じ事。もしもアタシ達の事が明るみに出たら、何も起こらない保証なんて何処にもない。憩くんはその時──責任取れんの?」


 両者はどちらも力を持っている。怪物は特異な性質を。人間の力は膨大な数、そして底知れない進化と悪意だ。だからこそ今日まで互いに不干渉を貫いて来た。ギリギリで拮抗しているからこその平穏、崩れるのは一瞬だろう。そして僕がやろうとしているのは──そんなバランスを傾かせる危険を伴っている事も理解している。


「責任は取れない、けど……」


 しかし、既に人間の被害者が出ているのだから──この異変も同様だ。この街の何処かに、平穏を崩そうとしている何かが居る。解決しなければならない。だがそんな事情は詠子にとって関係無い事。理由が必要なのだ──彼女が人間の為に動く必要性が。だとすれば語るべきは異変の大小ではなく、どれだけ重大な問題かでもなく、


 そうして僕は思い出す──そもそも交渉方法が間違っていた事から、何の為に僕が行動していたかを。


「憩くん、本当に変わっちゃったよ。前だったらそんなこと考えもしなかったでしょ。この1年で一体何があったのさ」

「……千頭流の為なんだ」


 あるじゃないか。リスクとか懸念とか、そんなの関係無く突き進まなければならない理由が。人間の為では無く、怪物の為でも無い。利益とか損失とかを吹っ飛ばす理由が──僕にはある。


「彼女の魂は穢れてしまっている。このまま異変を放置すれば命に関わるかもしれない」


 彼女を説得出来るとしたら、それは『友達』の為に行動してくれと訴える他無い。


「僕は千頭流を助けたい。でもそれは僕一人じゃどうしようも無いんだ。だから──力を貸してくれ」


 そうしようと思っていた訳じゃない。ただ、気が付いた時には、無意識の内に僕は頭を下げていた。


「頼む。詠子」


 我ながら身勝手な行動だと思う。ガキの苦しい言い訳だとも思う。僕が好きな女の子を助けたいから、家族、ひいてはこの世界に住う多くの怪物を危険に晒してくれと懇願しているのだから。そしてその決断を当人の意思によって決めさせようとしているのだから──彼女の言うように、昔の僕なら考えようもない事なのだろう。


 足音が聞こえ、地面に落とした視界の上に詠子の足先が入り込む。


「……良いよ」


 返答に驚いて僕が体を起こすと──彼女は微笑んでいた。そうして笑っている姿はあの頃と変わらない。


「最初からそう言ってくれれば良かったのに」

「……ありがとう」


 詠子は溜息を吐くと、


「やっぱり、憩くんは変わってなかったかも」


 再開してから何度も口にしていた言葉を撤回した。


「え?」

「好きな子の為なら何でもやっちゃうとことかさ」

「そ、そうだっけ?」


 昔の出来事を慈しむように、思い返すように詠子は笑う。


「そうだよ」


 何だかとんでもなく勝手な男だったと言われているような気がしないでもないけど、僕達は笑い合えるようになったから──まあ、どうでも良いか、そんなことは。

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