第17話 僕と彼女は不完全に愛されていた

 命綱を失った怪物は、抵抗する事なく──床に墜落する。


「……」


 ヒクヒク、と体を震わせて──やがて液体と化し消滅した怪物。


 縄で縛られているのだから──骨の羽は意味もなく、そもそも羽としての機能が無いのだから飛べる筈も無い。縄が無くとも、歩く為の下半身が無い。せっかく腕が分かれて4つとなっていたのに──それを使う知能が無い。


 ただただ脅威に抵抗してしまったが故に、命を落とした──哀れな怪物。攻撃性の高さは恐怖から来るもの。人も怪物もその辺りは変わらないらしい。生きる為に攻撃をする──守りたいから抵抗してしまう。


「よっしゃー、やったったぜ」


 しかしこれでようやく2階に上がれるので、その愚かさには頭が下がる思いである。液体と化した亡骸へ適当に手を合わせて拝むと、僕はすっかり暖まってしまった体を引き摺って──リビングを出たのだった。




 階段を上がる──片足を持ち上げる度に、体に重い重力がのし掛かっているよう。疲労や負傷によるものではなく──上がるという行為自体を、拒絶でもされているかのような感覚に、思わず苦笑いが飛び出す。


 これは呪いそのものが、家を掌握し始めている証拠、


 そして──見壁の命が尽きかけているからに他ならない。随分時間を食われてしまったのは──ここ数ヶ月、怪物退治をサボっていた僕では仕方の無い事なのかもしれないけど、師匠にこんな姿を見られたら『ほーら、やっぱりね』と逃げ出した事について延々責め立てられるに違いない。そういった意味でも、僕はこの現象の解決を早急に行わなければ。


「でもなあ……」


 居候の天使ちゃんを引き取ってから、僕はこうした現象から身を離していた。疲れたとか負傷によるものではなく──力を失ったからだ。いや、別に魔法とか魔術とか使えていた訳ではなく──人間として最も重要な、


 魂を失ったから。厳密に言えば、今の僕は──抜け殻でしかない。


 怪物と対峙する際には必要不可欠な、本来備わっているべきものを、僕は失くしてしまった。もっとも完全に失った訳ではなくて、核を失っただけなのだけど──幽霊に取り憑かれないのはそういうわけで、しかし、やっぱり不完全なのである。こうした欠如は──超常現象と相対する際に、命を掛ける際には──致命的だ。




 階段をようやく登り終えた頃には、額と背中が嫌な汗で湿っている。


 しかしながらここまで来ると、不思議と体は軽くなっていた。


 それどころか、幽霊の妨害も無く──あんな怪物を差し向けていながら『早く来て』と言わんばかりに、僕を誘っているようだった。拒んだくせに、受け入れて貰いたいと願った彼女は──本当に思春期そのものっぽい。


 最早見慣れた廊下だったけど、雰囲気は禍々しい。窓の無い通路は暗闇に包まれ、油断するとどこか知らない──深い場所へと沈み落とされそうだった。しかしながら、僕は──進まなきゃならない。


「……」


 ふと、足を止めた。何かを踏んだようだった。身を屈めて拾い上げると──それは『ちずる』と書かれた表札。傷だらけで、恐らくハンドメイドで作られた木製で、所々接着剤がはみ出していて、しかし木の切断面だけは丁寧な──手に取れば、これが恐らくずっと昔から使われているものだろうと推測出来る。子供と大人の共同制作だったんだろうな。


「思い出、か」


 僕にも家族との思い出はある。今思うとそれは可笑しなもので──両親は食事を取らなかった。食卓には着くけど、食べているのは僕と祖母の二人だけ。眠る事も無く外に出る事すら無い。抱き着こうとすればすり抜けて──触れる事すら出来なかった。当時幼かった僕が何とも思わなかったのは、あの真っ白で、冷たい空気を漂わせていた二人を──愛していたから。触れられずとも、一緒に居る時間は確かに暖かくて、居なくなった時は悲しかった。


 両親の幻影に思いを寄せている、そういった意味では、僕と見壁は『似ている』のかもしれない。


 この家の事を彼女は──『空っぽの箱』と呼んでいた。つまり思い入れも思い出も無いという事。彼女にとっての思い出は、この表札と──鍵に付けられた、あのストラップの二つしかない。


 だけども、見壁は二つを未だ後生大事に使い続けている。捨ててしまえば両親に角が立つから──と彼女は言うだろうが、そもそも1年もの間子供をほったらかしにしているのだから、そんな気を遣う必要ないだろうに。


 これはまさしく執着の証。そして執着は──呪いへと繋がった。


 執着と捨てられない思い出。クラスメイトを死んでしまえと思うくせに、自分に呪いを掛けるくせに、僕を巻き添えにしたくせに──彼女は未だこんなものに縋っている。全てを諦めたような事をしたくせに──彼女は結局、根本では何一つ、諦められていないのだ。


「本当に君は面倒臭い女の子だね」


 彼女は──生きる事すら諦めていない。


 僕は彼女の部屋の前に立つと、表札を掛け──扉を開いた。

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