第16話 このミノムシ野郎があああ!!
決して逃げ出したかったという事ではなく、念の為玄関や窓の開錠を試みたものの──当然開かず、アロンアルファで隅々まで瞬間接着されているかのように、ピクリとも動かなかった。やはりこの騒動を解決──もしくは落とし所を見つけない限りは脱出どころか生存も不可能らしい。
しかして夏休みなのだから、こうしたクローズドサークルはピッタリなのかもしれない。密室、無人島の館、外界と切り離された別荘。
ただし登場人物は僕、多々里憩と見壁千頭流の二人だけ。霊魂による電波障害の影響でスマホは圏外。助けを呼べず──しかし犯人は知れている。お化け屋敷ならぬお化け住宅と化してしまった、この家からの脱出は可能なのか。真相を明らかにする事は出来るのか。
と、こんな下らない小話をするという事はどういう意味を持つのか。こんな話数まで読んで下さっている方々は、もう気付いておられるだろう。
そう──僕は現実逃避しているのだ。
深夜──僕は今──ナイフを握り締め、他人の家に潜伏している。完璧に完全な不審者であるけど動機は清純派そのものだ。クラスメイトを助けたい一心であり真心であり手心を加えようというのだから。
だけども、彼女と彼女とは無関係な怪物達にはそれが無い。手の甲で右目辺りを拭うと──赤黒い血液がべっとり付着した。額の血は派手に見えるとは良く言ったもの。
あれから幾度も霊達と対峙した。
キッチンから吹っ飛んで来た包丁が顔を掠めて、左腕に走る断続的な痛みは──動きはするので、骨は折れていないだろうけど打撲か捻挫か──どちらにせよボコボコにされてしまった。
絶え間無い襲撃と治療に時間を取られて、僕は未だに1階から抜け出せずにいるので──少しくらいは現実から目を背けたくもなる。この超常な現実から。
一応呼吸を殺して、キッチンに身を潜めてはいるけど──これは気休めにしかならない。向こうからはこちらの動きなど手に取るように感知されているだろう。それでも手を出してこない理由は、人間である僕には測り知る事など出来ないのである。そのミステリアス要素が僕を惹きつけるまたも一つの要因だけど、今は少し放って置いて欲しいものだ。
夏休みから始まるクラスメイトとの同居生活。しかしながら夜はドキドキ屋内サバイバル。全くもって何の感慨もない。
「……」
視線を上げると、天井に張り付いている幽霊を目撃した。
真っ黒に焦げた肌。顎が外れたように大きく口を開けている老人だ。何をするでもなく──じっとこちらを見つめている。一体いつからそこに居たのか、一体何をしているのか。全く見当も付かなかったけど、とりあえず襲って来る様子は無い。どうやら僕をただ見ているだけらしい。
「しっし」
手を払ってジェスチャーを送るけれど、当然伝わる訳もなくずっと、ただそこにいる。どうやら悪いものだけでなく──ここ一帯の徘徊していた霊魂達も集まり始めたようだ。
これはまずい──とてもまずいぞこれは。
と、そうして僕が眉間に皺を寄せ、顎に手を当てて考える人を演じていた時の事、
──ふと、床に付いていた掌が湿った。違和感を感じて見てみれば、それはどろっとした液体。
赤黒く光る液体──血液。しかし僕のものでは無い。床を伝って流れているそれが自身のものであるならば、とっくに出血多量で死んでいる。
「……あ」
流れを目で追っていくと──正体が知れた。というより──目が合った。
「い、ひ、ひ、ひ、ひ、ひ」
顔をだけを覗かせている“それ“と。
床に寝そべる女──微笑む──とはちょっと違い、卑しく嗤う髪の長い女。蒼白な顔面から溢れ出している血液が──僕の元へと伝って来ている。
歯茎を剥き出して口元を歪ませる女からは──明確な敵意を感じ取れた。
「やばッ」
僕は咄嗟に立ち上がると勢い良く駆け出して──本当は気が進まないけども、仕方無く、床に転がっている女──その顔面を蹴り飛ばした。
しかし感触は無く、女は霞のように消え去る。
後々また現れるだろうが、逃げ場の無い狭いキッチンで襲われてはマジで死んでしまうので一旦態勢を立て直す意味でも、ここは退くべき──そう考えたのだが、
リビングに出るのは──正直避けたかった。
「この蓑虫野郎……まだいるか」
つい口汚く罵ってしまいたくなる──これが居るから。
真っ黒な布に覆われた肢体から、顔面だけを表出させて──その口には咥え込むように木製の杭が突き刺さり、後頭部から飛び出ている。
天井から首に括り付けられた縄で吊るされた──風など吹いていないのに、大きく揺れる体。全身は力無く項垂れているけど、その視線はしっかりと僕に向けられている。ゆっくりと左に右に揺れながら、その黒目だけが僕に向けて揺らぐ事なく。
僕を1階に縛り付ける楔。性別は知れず、得体も知れないが──呪いに関連する“何か“だと思われる。この家の中で一際強力な力を持っているに加え──僕をリビングから出さないようにしている──関門の役割だろうか。駆け出せば念動力に引っ張られ、攻撃しようとすれば返り討ちに遭うか、跳ね返される。
行かさず、生かさず、殺さず。時間を稼ぎをしているように──待っている。それは恐らく呪いの完遂──見壁千頭流の死を待ち焦がれているのだ。
「よろしい、ならば戦争だ」
強敵ではあるけど──幸いにも退治方法は察しが付いた。
あの天井から伸びた──首に括り付けられた縄──あれはこの家と“あれ“を結び付けるリンク。文字通りの命綱なのだ──だから切れば終わる筈。しかしそれが分かっていながら未だ成し遂げられていないのは、やっぱり強えから。
ナイフを投擲して切断──という芸当も考えたけど、万が一失敗した場合、武器を手放す事に繋がるし──そもそも、僕はノーコンなのだ。
「……よし」
意気込んで、踏み込んで、突撃。
ソファーを足場に飛び上がって、縄へとナイフを振り下ろす──事は出来ず、
「──ッ」
腕だけが金縛られたように動かない。柔らかく包み込まれるような──絶対的な壁のようなものに阻まれて──様々な家具や小物を薙ぎ払いながらも、僕の体は大きく後ろに吹き飛んだ。
息が詰まり、しかし、息を吐く暇は無い。
床に転がり、一瞬見えたのは──僕目掛けて飛来する杭。
「やば」
そのまま勢いに任せて体を転がして、事なきを得るが──床には無数の杭が突き刺さっていた。
先程までの緩い反撃ではなく──明らかに拒絶の色が濃厚。やはりあの縄はどうしても守りたいものらしい。相変わらず具体的な対策は思い付かないけど、直感に確証を持たせる意味では今の攻撃は正解だったと言える。
「見えたぞお前の弱点。はっはっ──は、」
高笑いをしたけど──思わず顔が引き攣った。
揺らいでいた筈の肢体が突如停止したのだ。ピタっと、地面に縫い付けられでもしたように。
『ああああああああああああッ』
沈黙を貫いていた怪物の──喉を潰すような突然の咆哮。家中が共鳴し、窓ガラスが軋んで音を上げる程の声量。絶叫が終わってからも鼓膜が響いて、心地悪い耳鳴りを残す。
「あ、ごめんなさい」
僕は思わず、冷や汗と謝罪を垂らした。ただ叫んだだけ──では無い。咆哮を皮切りに、全身を包んでいた漆黒の布が弾けると──中から飛び出たものに絶句する。
骨と血肉、断面露わに二つに裂け分かれた腕は、それぞれの先端から同じように鋭い刃物のような掌を生やし、背中から飛び出ているのは羽のようにも思えるが──骨、肩甲骨が飛び出して翼を模しているのだ。腰から下は失く──黒い液がドバドバと垂れ流され、真っ白なカーペット穢す。その様はまさに、
上半身裸の──上半身だけの──化け物。怪物。モンスター。
『あああああああああああッ』
追い討ちとばかりに咆哮を加えて、羽化した元蓑虫。ただのお祓い、幽霊退治のつもりが──僕はいつの間にこんな化け物を相手取る事になってしまったのだろう。
しかしこれは寧ろ失策であり、悪手だ。
「自分から勝ちの目潰したよ──それは」
横目で足元に視線を落とすと、先程の激突で床に落ちた電話機を見つける。ファックスの付属していない、一家に一台はあるだろう普通の電話機。重量は適度でサイズ感はコンパクト。
運良く電話線も引き抜けている電話機を──僕は思い切り投擲し──駆ける。
当たらなくて良い、ただ、怪物の居る方へ向かってくれればそれで構わない。
『ああああああッ』
怪物は変体した。つまり──攻撃態勢にシフトしたという事。守りの手厚い防御を手放して、僕を直接殺そうとした。我慢して守っていれば優勢を保てた筈なのに──危険を察知して転じてしまったのだ。
堪えらず、外敵を駆逐する為に。
電話機は想像通り、怪物の腕によって粉々に破壊され──念力で吹き飛ばせば良かったのに──僕の想像通りに、直接的な手段で対抗して、
「何を怖がっているんだか」
投擲と同時に駆け出した僕が見えていて、気付いていて、それでもただ目の前の脅威に抵抗してしまって──だから呆気なく縄を切断される。
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