第15話 僕VSおばあちゃん

 見壁は超常現象について懐疑的だったと語った。しかし彼女は──ストレス発散の名目で、信じていなかった筈の──呪いを活用している。疑っていた筈なのに縋った。困った時の神頼みならぬ、ムシャクシャしたので呪ってやった、ということらしいけど──それはやっぱり変だろう。


 矛盾した行動だ。彼女が言ったように『八つ当たり』だと理由を付けられなくも無いが、それだけでは説明が付かない。僕が藁人形について説明した際、彼女は『丑の刻参り』という単語とその行為の詳細を知っていた。つまり幾らか調べたのか、或いはテレビや学校生活で耳にしたのか──どちらにせよ、全くの無知では無い。


 しかしそうなると、あそこまで適当に作って失敗している点も妙だった。これに対して彼女は『ただの腹いせだったから』と、また理由を付けた。彼女は効力を欠片も信じていなかったと言ったくせに、知っていたのだから──反転させたのはわざとだ。腹いせは、恐らくクラスメイトの写真を呪いの道具にした時点で気が済んだのだ。


 加えて問題なのは──時期、夏休みの直前、前日。


 偶然じゃない──きっと見壁は狙っていた。


 誰もが口を揃えて優等生だという彼女であっても──毎日、首に包帯などを巻いて登校すれば──それこそ数日の間なら、教師は信用するだろう。しかしいずれは不審に思う。盲目的に信頼していても彼らは大人であり愚かではない。まず親に連絡を入れ、そうなれば恐ろしい人形遊びがバレる可能性もある。


 だが夏休みなら登校する必要はなく──彼女の家には誰もいない。危ない自由研究を試すにはもってこいの期間。


 彼女はわざと反転させた。犠牲者を最小限に留めるように。そして僕──『霊感がある』と言って回っている僕で試そうとした。嫌いな僕を──犠牲者の第一号に選んだ。


 呪いがどんな結果をもたらすか、彼女には知る由も無い事だが、それも踏まえて、性能のテストをする為だけに僕を使い──自分を犠牲にした。どんなに結果になろうと構わないと思っていたのかもしれない。理由を付けるとすれば、それこそがまさに『ムシャクシャしてやった』という事になるのだろうか。


 いや──止まる事が出来なかった、というのが正しい。


 しかしながらこれは全て想像であり、ただの妄想だ。彼女が呪いを進んで実行していると決定付けたのは、僕が貼った──魔除。あれは怪物には破れない。例え取り憑いて人間の体を持ってしても、破れない。人間が人間のまま、人間の意思の元で破らない限り。過程を知って結果を知ったが、それでも尚──彼女は呪いを進行させたのだ。


 詳しい経緯は本人に確認しなければ分からないけど、家庭の事情と彼女本来の性質から、擦り減った心を癒す為──自分と──僕への──八つ当たり。今回の現象の発端はそんなとこだろう、と思う。





「うぅ……寒」


 息を吐けば、先から凍ってしまいそうな温度。夏の夜は冷えるとかそういう気のせいではなく、本当に息が白い。数多の霊魂が現実に干渉しているから、温度を奪ってしまっているのだろう。Tシャツでは心許ない。


 彼女の誘いを受けて、気が付くと僕は──1階のリビングで目を覚ました。7日間も暮らしていたのだから、見慣れた景色のようにも思えるけど、雰囲気は随分違う。高級そうなカーペットに置かれたガラスのテーブル。新品のようなソファー。最新式のキッチン。モデルルームのようなリビング。そこでは、蛇口から水がポタポタと垂れる音だけが響いていた──無機質で無感情な生活感。僕達が済ませた夕食の食器。シンクに干された皿やコップ。


 話をしていた時、遊んでいた時──彼女は何を考えていたのだろう。


 途方も無い程空気が淀んでいる。目には見えなくとも──囲まれているとすぐに理解した。


「……遊びか」


 パチン、と渇いた──掌を叩いた音。遠くもなく近くもない、背後からそんな音が聞こえて振り返る。


 庭へと続く窓から差し込む月明かりで真っ暗とは言えないが、それでも視界は悪い。幾つかの足音と床を短く擦るような摩擦が聞こえるだけだ。


 視線を正面へと戻すと──そこには老婆が居た。


 漆黒の着物に身を包んだ老婆。着衣とは対照的な白すぎる顔面。視点の定まらぬ瞳。剥き出しになった歯茎からは血を流し、歯はボロボロに崩れている──線香の香りが鼻を撫でた。


『あかあかあかあかあかあかあかあかあか』


 と、そんな感じで口を動かしている、と思う。磨耗してしまった魂の成れ果ては、このように要領の得ない発言を繰り返すのだ。彼らにあるのは生者への執着と生前の思いであり、明確な意思を持てる者は少ない。


「ここは貴方の居るべき場所ではありませんよ」


 言っても無駄だろうけど。


『あかあかあかあかあ──』


 口を開けたまま、老婆は停止した──かと思えば、僕の瞬きに合わせたのだろう──まさに一瞬の内に、鼻先が触れる程に距離が縮まっていた。


「う、」


 老婆があんまりにも近くに居たものだから、僕は思わず硬直してしまう。


「ちょ、ちょ──ッ」


 動揺も束の間、腹部に強烈な衝撃。急速に移動した視点と背中に感じた痛みから──僕は壁まで吹っ飛ばされたのだと理解した。呼吸を整える暇も無い内に、顔を上げるとそこには──また老婆の姿。


『あかあかあかあかあか』


 反応する間も無く老婆は手を伸ばして、僕の顔に震えた掌を押し付けた。鼻先と額に『尖った』冷えピタを無理矢理貼り付けられたようで心地が悪いが、締め上げる力は強くない。先程の吹き飛ばしで力を使い過ぎてしまったのだろう。大きく口を開けて、掌だけでなく顔を震わすその様は、余程力を入れているのだと思える。


 恐らくこの老婆は僕に取り憑きたいのだ。しかし。


「残念ながら、貴方が取り憑けるモノを僕は持っていません──よッ」


 ポケットを探り、念の為入れておいた──ナイフを取り出す。鞘から引き抜くと──あまり気は進まないけれど、そのまま老婆の肩へと突き刺した。


 断末魔と共に掌が離れて視界が鮮明になった。傷口が燃え上がるようなオレンジに発光して広がっていく。それは老婆の全身へ至ると、やがて残響を残して、僕の目の前から霞のように消えていってしまった。見慣れた光景だが、いつまでも慣れやしない。苦しむ様を目の当たりにするのは苦手だし──残酷だ。


 一息吐くと、立ち上がって体の動きを確かめる──支障は無い。


「……」


 手にはまだ感触が残っている。この──師匠から貰ったナイフが突き刺さった感触が。


 白く渦巻く柄は『聖人の骨』とかいうモノから作られているらしい。刀身の鉄は清められていて──鉄は彼らの弱点でもあるし、そこら辺に居る悪霊くらいなら傷を付けるだけでも追い払える。しかし──先程の弱っていた老婆と違い──活発な霊魂を祓うには至らず、あくまで護身用のもの。本気で成仏させるとなれば、幾つか手順が必要だけど、僕は別にそんな事を思ってないからこれで丁度良いのだ。


 寧ろこれでも──やり過ぎていると感じる。


「さて」


 今の老婆は今回の騒動と全く関係無い──という事はないけど、あくまで呪いに引き寄せられただけの、言ってみれば斥候である。本丸の姿は未だ見えず、それどころか正直言ってどう解決すべきか悩んでいた。


 しかしながら見捨てる、という選択肢は無い。


 あのまま放置すれば見壁は死ぬ。一度呪いに手を染めた者が死ねば、まあ自業自得だけども──『地獄』行き待ったなしだ。肉を焼かれ骨を削られる。延々と生前の罪に見合った拷問を喰らうのだ。それは可哀想だろう。


 しかしまあ、呪いが効力を持った時点で、死ねば結局地獄に行くのだが。先延ばしにする事は出来る。


「頑張るぞー」


 なので、僕を巻き込んでくれやがったあの可愛くないクラスメイトを、絶対に助けてやる。それでもって僕を巻き込んだ事を絶対後悔させてやりましょう。グヘヘヘヘ。

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