第14話 僕と彼女にとって最後かもしれない夜

 小学4年生の頃。僕は霊媒師の──紛いものになった。


 他者と違う世界、違うモノ、違う価値観を有している自覚はあったが、感じていたのは恐怖ではなく羨望。僕もまた──そちらの世界に行きたいと願い焦がれていた。それは多分──お父さんとお母さんがいるような気がしたから。


 周囲から浮いていた僕が孤立するのは仕方が無い事。気が付けば──死ぬ事ばかりを考えていた。


 そんな僕を見かねて、この世界に引き摺り込んだ──師匠。彼女は僕と違い、狩猟者ハンターだった。怪物を殺す術を僕に徹底的に叩き込もうとする彼女と──怪物を愛する僕とでは決定的に溝がある。だから僕は逃げ出した。彼女の教えの甘い部分だけを受け継いで。しかし、彼女の実力は本物だ。もしも敵対するような事があれば、彼女はきっと──神をも殺すだろう、と思える。


 そんな彼女──叔母から教わった魔除。クローゼットに貼り付けた──破られた封印。通常の怪物では絶対不可侵の領域。破壊出来るとすれば、それは人間の手によってのみ、成し遂げられる。


 僕が眠っている間に、見壁がやったのだと──直感出来たのは──教えを未だに失っていないからだった。


『お前が超常に相対した時、まずは現実を疑いなさい。人を見て、家を見て、会話して、怪物ではなく──人間を疑いなさい。怪物を愛する変態のお前なら──その方が良いだろう?』


 と、彼女の言葉を僕は──今も尚守り続けているのである。






「……」


 暗がりの中、冷房の効いた室内。今日──この夜だというのに、彼女は横になるとあっさり寝息を立てていた。僕はそんな見壁の寝姿を夜目を開いて拝む。


 部屋のあちこち、廊下、下の階。至る場所から聞こえる足音と──呻き声。


 僕は行った事ないけど、この家はさながらお化け屋敷だと思える。瞳を閉じると感じる冷気。冷たく、ひんやりと囁いて撫でるような、そんな居心地の良さに思わず口元を緩ませていた。


 この呪いは強力だ──しかし、たかが呪いそのものだけでは人の命を消すまでの脅威足り得ない。呪われて、衰弱して、崩壊寸前になった魂。それを悪意を持った霊魂達が侵して奪い取る。現象の重なりによって起こった──結果的な死。それが呪いの効力。


 ならばこの呪いはどこが強力なのか。


 それはひとえに──人間の協力があるからこそ。助力があるからこそ。現実に直接干渉を起こせる力を持つのは、やはり生きた人間なのだ。


 それはつまり。


「ねえ、今──多々里君は何を思っているの?」


 薄暗い室内の中、彼女の──見開かれた瞳が黒く輝いて──僕を真っ直ぐに見つめている。


「君の事を考えていたよ」


 泣き啜るような笑い声が部屋に響いた。機微の乏しかった表情を大きく歪ませて。


「フフ──そう──それはとっても嬉しい。私も貴方の事を考えていたの」


 首まで掛けられた布団から、


 一本、


 二本、


 三本──と折れた指先が現れて、ゆっくりと──ヒビ割れて歪んでいて、青白い陶器のような腕が露わになる。


 その美しさに僕は思わずすぐにでも飛び込んで頬擦りしたい衝動に駆られたけど、何とか堪えて言葉を返した。


「この7日間の君の言動について、僕はずっと考えていたんだ。そしてようやく答えを出せた。驚いたよ、君のような──人間は初めて見た。見壁ちゃん──やっぱり君は呪われるべくして呪われている」


 彼女の笑い声が甲高く劈き、


「あぁ……やっぱり私──貴方のことが大嫌い──大好き」


 耳元で囁かれたように反響した。


 そして──その言葉を放った途端──部屋中の物が軋み始めた。締め切っていた筈が大きくカーテンが揺らぎ出して、ガタガタと震えて、暗闇を映していたテレビが点滅する。砂嵐の雑音と笑い声──クローゼットの戸が開こうとする音と──笑い。全身を夥しい何かが撫でていく感覚。重くのし掛かる気配。


 そんな時、暗がりの室内が──突如青白い光で包まれた。


 砂嵐を流すばかりだったテレビから、陽気で幼稚な子供向けの歌が聞こえる。映像は荒く──しかし何かが踊っているようだ。それを横目で確認していると、ふと騒ぎが鎮静化する。テレビがまた消えて、室内が暗くなった。


 そんな一瞬、目を離した隙──ベッドに横たわっていた見壁の姿を見失う。


「……見壁ちゃん」


 しかしすぐに検討が付いた。強烈な視線を感じたのだ。


「うぅ……ヒ……ふ、フフッ………ヒ、ヒ、ははは」


 僕の頭上──天井に歪んだ指先を突き刺して──彼女が張り付いて笑っていた。呼吸が引けた、酸素を求めるような笑い。真っ黒な瞳を僕に向ける姿は──まさに──いや、何も言うまい。


 しかしある直感──第六感、危機察知。そんなものが僕には備わっているらしく、あれやこれやを考えるよりも先に体が動く。腰を下ろしていた僕は立ち上がるよりも──後方に飛んだ。


「──ッ、あぶな」


 みっともなく後ろに飛んで尻餅を付いたみたいな体勢。だけどそれは正解だとすぐに気が付く。僕が居た場所には──彼女の腕が深く突き刺さっていたからだ。恐らく呪いらしくも首でも絞めようとしたのだろうが、あれでは串刺しになってしまうだろうに。


「どうして、逃げるの? 私は、ただ、怯える貴方を抱き締めたかった、だけなの、に、な」


 機械で合成された音声を無理矢理くっつけたような声。彼女のものと──そうでないモノを。


「今の君に抱きつかれたらと思うと──ゾッとするね」


 見れば侵食が始まっている。肘の辺りまでだった『歪み』が二の腕に食い込んでいた。あの様子だと既に──肩くらいまではやられているだろう。ズボンと靴下で見ては取れないが、床に腕を突き刺す程の膂力から察するに、足腰は完全に飲まれている筈。


 それが人外の動き──怪物の──怪力を可能にしていた。


「寂しいよ──受け入れてよ──私を」


 彼女が腕を引き抜き、それを見た僕は立ち上がって身構えるが、攻撃の意思は見られない。


 寧ろ──見壁は揺らいでいた。ゆらゆらと揺れる体。その魂はもう朧げに思える。もしかすれば、最早意識も無いのかもしれない。僕が何を語り聞かせようと無駄な事なのかもしれない。


 俯いた表情が長い黒髪に隠されて窺えない。見えているのは──異形の腕。感じられるのは──身が焦げる程の呪いの圧力。聞こえるのは──僕を嘲笑うような音だけ。


「ねえ──私と一緒に遊びましょう?」


 彼女は首を傾げた。見えないが、恐らく笑いながら言っているのだろう。


 これは──問いであり誘い。


 安易に答えれば、その強力無比な怨念によって引き摺り込まれる種類の典型。回答は現象によって異なるが、大抵は『はい』でも『いいえ』でもどちらにせよ命を落とすだろう。生存するには特異で唯一の答えが必要になる。


 しかし──僕の目的は生存ではなく──見壁を救うこと。


「良いよ」


 だから迷う必要もなく、そう答えた。


 最後に見えたのは多分──彼女の微笑んだ口元だと、思う。

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