第13話 名前を漢字で書ける頃には

 見壁千頭流は間違っている。


 彼女はまるで両親に捨てられたような口振りだったけど、本当のところは知れないけど、二人は彼女に──任せたのではないだろうか。要領も良くなり、頭も良くなった彼女が一人でも大丈夫だと、安心したから家を明け渡したのではないだろうか。そこに子供から離れたいとそんな感情は無かったのではないだろうか。


 しかしこれは想像でしかないけど、聞こえは良いけど、子供にとっては見捨てられたと──そう思うのも無理の無い話。


 良い子を演じた彼女は信用されて、その信用が彼女を一人にしてしまった。向き合う事も深く事情を聞かれる事も無い。彼女なら『大丈夫』で『心配無い』と安心を含んだ無干渉、非干渉、放置。その結果彼女は周囲と擦れ違い、勘違い、仲違い、思い込み──思いを込めて呪ったのだ。そんな摩擦が彼女の心を擦り減らして、荒んでいる。


 そう思ったところで、他人である──彼女が嫌う僕が言っても無駄だろう。


 無干渉に無関心に──ただ与えられた依頼を全うするだけ。それでとりあえず、彼女の命くらいは救われるのだから。




 一緒に宿題をしてDVDを見てご飯を食べて寝る。どこに出掛けるでもなく家に籠もって。そんな夏休みにピッタリの引き篭り生活──7日目。遂に僕達は──僕達の関係は期日を迎えた。


 見壁が度々自分の首を絞めたり、洗面台の鏡に血文字で『タスケテ』と書いてあったり、夜中にリビングを子供が走り回っていたり、地震も無いのに家が揺れたり。そんな日々を送りながら何とか今日に辿り着いた。


 しかしながら今日が本番、今までのは前座だ。いや──呪いが不完全なのだから何の保証も無いけど、何かあるとすれば今日──そんな気がする。というか今日でなくては困る。


 だというのに見壁は落ち着いていた。まるで他人事のように変わらず──いつものままで。


 僕が駒を進めたのを確認すると、彼女はルーレットを回した。


「……6、ね」


 ポンポンと表示された数字通りのマス目を進ませて、そこに書かれた文字を読み上げる。


「交通事故に遭って1万円を失う──ですって。1万円で車の傷って直せるの?」

「うーん。どうだろう。多分直せないんじゃないかな」


 一々文面に突っかかりながらも、彼女は納得しておもちゃの紙幣を支払った。


 そんなわけで7日目の夜。暇を持て余した僕と彼女は──人生ゲームに興じていた。宿題もやる事も話す事も無くなってしまった僕達は、何か無いかと家を捜索して、押し入れで埃被っていた──新品の人生ゲーム。箱には傷一つなく、恐らく買ったまま触れられる事すら無く放置されていたのだろう。


 何を言うでもなく彼女は無言で開封して床に広げて、僕もまた無言で手伝った。それはやっぱり圧倒的に暇だったからだ。他に何の他意もありはしない。


 27度に下げられた冷房の中。


 見壁は女優になり、僕はサラリーマンになっていた。度々起こる金銭的なイベントでの収入は桁違いであり、財務状況的には大差を付けられている。しかし人生──人生ゲームでは何が起こるか分からない。もしもこのまま敷かれたレールの上を歩き続けて、そのままゴールしてしまうようなら、それはゲームでも何でも無いのだから。


「次は貴方の番ね。早くルーレットを回しなさい」

「いっくよー」


 グルグルグルグル。僕は渾身の力を込めた指先で捻り、祈る。しかしそんな祈りが通じないのもまた人生であり──示された数字は1。駒を進ませて文面を読み上げる。


「えーっと……『事業が失敗して会社が倒産。30万円の借金を負い、職を失う』……だって」


 僕が読み終えると彼女は鼻で笑い、


「笑えないわね」


 と言った。何という気不味いマス目を作ってくれたのだろうか。親の会社が倒産した経験のある子供が遊ぶ場合も考慮して欲しいと、後で苦情の電話を入れておこう。


「アハハ。そうだねー」

「しかし大丈夫。仕事なんてすぐに見つかるわ。それに30万円程度で済むなら良かったじゃない」


 胸を張って自信満々な顔をする彼女の言葉は、不思議な説得力を持っていた。


 見壁がルーレットを回して駒を進めて、僕もまた、同じを事をする。得ては失い失っては得る。そんな事を繰り返しながらゲームを続けていくと、僕と彼女の差は埋まるどころか切り離されていき、最後には見壁千頭流の勝利で幕を閉じた。劇的な出来事など何も起こらず、平凡に平坦に終わってしまった。しかしそれも仕方が無い。だってこれは所詮ゲーム──お遊びなのだからそういう事もあるよね。


「多々里君はどんな女の子が好きなの?」


 彼女はベッドに寝転がると、クッションを上に投げては自分でキャッチするという遊びに興じていた。いよいよ本格的に暇を持て余しているらしい。


「好みのタイプかー。しかし随分唐突だね」

「人生最後の夏になるかもしれないのだし、せっかくなら高校生らしく締め括りたいわ」

「最後だとして君はそれで良いのかい?」


 投げて、キャッチ。投げてキャッチ──出来なかった。効果音を付けるとすれば、ポフっと顔面にクッションを喰らった彼女は、何事も無かったかのように、クッションと質問を僕へと投げ掛ける。


「良いから聞かせなさいよ」


 頭に手をついて涅槃のような体勢となった彼女と目線が合った。その瞳には焦りの色のなど感じられない。彼女がここまで腹を括っているのなら──首を括っているのなら話しても良いのかもしれないと、僕は思った。


「好みかー、うーん」


 端的な言葉を探して逡巡した結果、


「怪物かな。とにかくオドロオドロしくて、妖しい雰囲気があればあるほど良い」


 人狼、吸血鬼、グール、ゾンビ、幽霊、天使、悪魔──それらを表すとするならやっぱりそれは怪物なのだろう。怪物と言ってもモンスターではなく、あくまで──怪しい物というニュアンスでの怪物。


 見壁は落ち着き払っていた瞳を丸くすると、ぽかんと口を開けていた。


「髪が長いとか、色白な子とか、そんな答えを想像していたのだけど」

「あ」

「まさか怪物とは……」


 僕は馬鹿だ。どこの世界に好みのタイプを聞かれて、馬鹿正直に種類で答える馬鹿がいるだろうか。


「残念ね」


 そう悔やんだのだが、僕の答えに対して彼女もまた理解し難い反応した。


「残念?」

「ええだって──」


 そうして彼女は僕を真っ直ぐに指差すと、


「私は貴方が好きだから──怪物ではないから──残念だわ」


 無表情で無感情に。


「ん?」


 僕は首を傾げた。彼女が僕を好きになる理由が思い当たらなかったからだ。まだ命を救ったわけでもなく、彼女の心を救うような言葉を投げ掛けた訳でもない。寧ろ僕を嫌いだと言っていた彼女がそんな事を言ったので、ただただ不思議だったのだ。


「その反応も、さっきの言葉を聞けば納得ね。貴方が私に興味無さそうにしていたのは、てっきり思春期の男子特有の『好きな子にはついつい冷たくあたっちゃう例のあれ』かと思っていたけど」

「いやいや、え? 僕が好きなの?」

「ええ。自分を曝け出して良い存在だし、ここ最近ずっと一緒に居たでしょう? 単純接触効果──というやつかしら。一緒に居るうちに私──多々里君の事が好きになってしまったみたい」


 淡々と客観的に、専門用語を交えて彼女は自分の事を語る。


「なるほど」

「何? その反応? こんな美少女と一つ屋根の下で暮らしていて告白までされたのに、『まあ僕はお前の事別に好きじゃないけど』みたいな腹の立つ反応。少しはデリカシーを持ってアタフタするとかしなさいよ──とは言わないわ。だって貴方の好みは人外の化け物ですもんね」

「いや全部言ってるじゃん」

「言ったわよ。だって腹が立つじゃない。女の子の告白がどれほど勇気のある行動か、貴方に想像がつく?」


 一世一代の決心をした──そんな様子などは欠片程も全くもって見て取れない。


「ごめんなさい」


 しかしとりあえずと、僕は頭を下げた。告白されたのならしっかりと返事はしなければ。


「人生最後──かもしれない告白を断るとは、貴方も勇気があるわね」

「だって」

「だってもクソもない。私も大概変人の自覚はあったけど、貴方は群を抜いてヤバい奴だわ」

「凡そ好きな人に取る態度とは思えないなー」

「ごめんなさい。『好きな人についつい辛く当たっちゃう例のあれ』が出てしまったみたい」

「あれは男子特有のものじゃ」

「一々人の揚げ足を取らないで。だから私は貴方が嫌いなのよ」


 

 人生最後──かもしれない日であろうと、僕と彼女は相変わらず、そんな下らない話をして暇を潰した。彼女の身の上話を聞いて、僕は自分の異常を披露した日であろうと、僕達は変わらなかった。


 だからだろうか──僕がこの関係を──彼女と居る時間を楽しめたのは。

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