第12話 小話

 僕は冒頭に小話をするのが好きだ。最近では少しマイブームにもなっている、かもしれない。しかしそんな事をするのは何故かと問われれば、それはきっと──現実逃避なのだろう。


 僕には良識がある、一般的な常識がある。だからこそ分かっているのだ──怪物を恋愛対象とする自分の異質さが。現実から目を背けて、超常の現象であり、幻想である怪物に恋をするのは、それはやっぱり現実逃避以外のなにものでも無い訳で、即ち現実から逃避している僕には、現実逃避という熟語はピタリと当て嵌まる。いや──でもしかし、だけども僕にとって怪物は現実なのだから、僕が恋をするのは現実逃避でも何でもない。現実直視以外のなにものでもない。断言する。


 しかしながら仮定として逃避している事として、今回の逃避はずばり彼女のせいなのだが、ずばりと言いつつ、それがはっきりと彼女のせいだと断言出来ない僕の心情もまた、現実から逃避する一つの要因たり得る。


 面倒で、煩わしくて、暑くて、服がベタつく──そんな人間関係という現実から逃げ出したい。しかし誰しも現実からは、生きている限りは、絶対に逃げ出せないものである。



「さっきから何をぶつぶつ言ってるの? 暑さで頭がやられたのかしら?」

「え、声に出てた?」

「いえ、顔に出てたわ」

「顔がぶつぶつ言ってるとは、ちょっと嫌な感じだな」

「そうね。夏場はスキンケアを怠ると大変よ」


 ようやく口を開いた見壁から出て来たのは、そんな言葉だった。


 時は進んで、しかし結局舞台は見壁宅の一室──彼女の部屋。性格はアレだけど真面目な性分というのは真実だったようで、エアコンの設定温度23度派の僕にとって、彼女の28度なエコライフはちょっぴりキツかった。


 蒸し蒸し、そんな音が聞こえて来そうな部屋の中。


 特に関心も無かったけど、何故だか甲子園の中継を観戦していると、不思議と応援している自分に気が付く。汗をだくだく垂らしながら帽子を脱いで拭い、直射日光に目を細める球児達の思いがひしひしと伝わって来ているようで、僕は現在負けているチームを心の底から、心の中で応援していた。敢えて学校名は出さないけれど恐らく後で調べるだろう。


 きっと悠々とベッドに寝転がっている彼女もまた、同じように感じているに違いない。その証拠に先程から切れ長の視線が画面に突き刺さっているのだから。


「多々里君」


 そんな彼女は球児達から目を離す事無く、


「さっきはごめんなさい」


 少しの間を置いて躊躇いがちに言った。暑さに頭をやられでもしたように唐突に。さっき、というのは僕の部屋の雰囲気を重苦しくしたあのさっき、だろうか。


「全然気にしてないよ」

「私がせっかく非を認めて素直に──誤ったのに」

「謝った、じゃなくて?」

「謝ったのは誤りだったと気が付いたから咄嗟に訂正したわ」


 そんな減らず口を叩きはしたものの、彼女は自分で『いえ』と否定して、


「これでは素直じゃないわね」


 僕を見つめるその瞳は、どこか憂いを帯びていた。


「多々里君が──誤魔化して『良い子だから言うことを聞きなさい』みたいな感じで私を嗜めたことに腹を立ててしまって、本当に申し訳無く思っているわ」

「そんなつもりは全然無かったけど」

「勿論これは私の──思い込み。貴方がそんな事を思っていないことは分かっていたけど、それでも、どうしても──ムシャクシャしてしまうの。なんででしょうね」


 そう彼女は自嘲気味に笑い、吐息は完全に渇いていた。


 まるで子供の癇癪だ。話を聞いてもらえず、話してもらえない──そんな子供染みた意地っ張り。彼女の呪いの原点は案外そんなものなのかもしれない。とはいえ、それは高校生の女子が抱くにしては随分子供らしい。僕達はまだ子供だからと、そう言ってしまえばそれまでだが、見壁が持つ鬱憤は──それにしたって、幼稚だと言わざるを得なかった。


 まるであの──鍵に付けられたストラップのように。


 この辺りが踏み込むべき時期、分水嶺だと僕は直感した。


「鍵に付いていたあのストラップ。アレは──いつから持っているんだい?」


 僕のこの質問は突然過ぎている。しかし、


「そう、ね……あれは──この家にまだ、笑顔が溢れていた頃のものよ」


 彼女の憂い──そこに込められた思いと繋がっていたのか、不自然さを感じさせる事はなかった。


「父が買ってくれて、母が『良かったね』と頭を撫でてくれた──懐かしい過去」

「そっか」


 こんなにも暖かくて──切ない表情もするのだなと、僕は彼女の顔を見て思う。詳しい事情を聞くまでもなく、彼女は両親に愛されて──愛されていた事が、過去だけのものになってしまったのだと、そんな想像するのは難しくなかった。


「私の小さかった時、父は会社を経営していた。つまり私は社長令嬢だったのよ?」


 彼女は『どう? 凄いでしょ?』と付け加えて胸を張る。余りの唐突な自慢話に心が壊れそうだった。


「私は当時、それはもう調子に乗りまくっていたと思う。鼻なんて天狗どころの騒ぎじゃないくらい伸びていたんじゃないかしら」


 なるほど。彼女のお嬢様口調のような話し方は、そんな時代の名残なのかもしれない。正直言えば彼女の口調に関して、僕は『現代にこんな話し方をする奴が実在したのか』と面食らっていたのでこれでようやくスッキリした気がする。


「しかしそんなある日の事。父の会社は──いえ、『父さんの会社は倒産』してしまったの」


 ダジャレと言うにはあまりの古典に思わず『下らねえ』と言い掛けた。正確に言えば『く』と『だ』までは出ていた。話の腰を折りたく無かったのと、呪いそのものみたいな視線を向けられて引っ込められたが、本当に下らないと思う。しかしこれは、話を重くしないようにという彼女の気遣い、そう思いたい。


 それにきっと、そうするという事は──この話自体は彼女の中で区切りが付いているのだろう。


「私はその時まだ小学生だったのだけど、何かヤバい事が起きているくらいは分かっていた。だからでしょうね。両親を見て『助けないと』なんて思っていた気がするわ」

「良い子だった、んだなあ」

「いいえ──両親からしてみれば私は寧ろ悪い子だった、でしょう」


 僕が首を傾げていると、彼女自慢げな表情を続けて言った。


「私がどれだけ『何か出来ることはない?』と聞いても、二人は心配を掛けまいと『大丈夫大丈夫、ちずは何も心配しなくて良いよ』と言ってくれた。包み隠して煙に巻いたの。だから私は必死に勉強した。それこそ歳を跨ぐ程に勉強して、勉強して──それは何より二人の為に、二人を助ける為に私は努力した」


 彼女は笑って言う。まるで悪い子を自ら演じるように。


「努力して、努力して──頭が良くなって色んな物事を知ったわ。そうして中学に上がった頃、学年トップの成績の私は満を辞して聞いたの──『何か出来る事は無い?』って、それで返って来たのは──それでもやっぱり『大丈夫大丈夫』だった。実際のところ両親はまた事業を成功させて、私は晴れて社長令嬢に戻ったのだから本当に大丈夫、だったのだけど」


 だけど、だけど──と彼女は恨みを連ねる。


「どれだけ努力しても、どれだけ頭が良くなっても、結局両親にとって私は子供のままだった。最初から何も求められてはいなかったのね。だから私は良い子に戻る事にした。ニコニコして、ほんわかとして、朗らかな子供──聞き分けの良い子に戻った。そして子供に戻り過ぎてしまったのか、人形遊びに手を出して、今では自分を首を絞めている。人生はロングショットで見れば喜劇だと誰かが言っていた気がするけど、私はまさにそう。言ってみれば大人のおもちゃね」


 愛していて──愛されていた筈がどうしてこんなにもすれ違ってしまうのか。短く折り畳まれた一瞬を語られた僕には、彼女の人生が喜劇ではなく悲劇にしか見えなかった。


「狂ったように勉学に勤しんでいた私が、ある日突然そんな事になったもんだから、両親の私を見る目が、聞き分けの悪い子から──気色悪い子に変わっていたの──こんな空っぽの箱を私に与えて、さっさと海外へ行ってしまった」


 そんな悲劇を語りながら、彼女はずっと笑っていた。スラスラと並べられた心情は客観的過ぎていて、ただ『私はこういう人間です』と自己紹介でもしているように彼女は語っていたのだ。


「だから貴方が素直に非を認めて謝罪した時、『お前には関係ない』と『お前には話す事は無い』と言われたようで業腹だったの。大体私一人の数年間を語っても10万文字も掛からないのに、とヘソで茶を沸かしたわ」


 何故癇癪を起こしたのか、彼女は最後に纏めて話す。今までの悲劇的な話などは全部途中経過でしたと言わんばかりに。胸中に暖めていた物語を文字に起こしたように。


 そして見壁は再び画面へと視線を戻してしまった。だけど、僕はどうにも彼女から目を離せずにいた。


 ──包み隠される、煙に巻かれる、大事にされる、向き合ってもらえない。


 彼女はそんな事を嫌悪するのだろう。嫌悪しておきながら、しかし求められている事だと理解してしまったから、彼女は同じ事をしてしまう。


 見壁千頭流は僕を嫌いだと言った。


 きっと、それと同じくらい彼女は──自分自身が──嫌いなのだ。

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