第11話 僕と彼女と天使の幼女
幼女──この天使は正式名称を『スコリーディスコスノー』という。しかしこれはあくまで、人間に、日本語で発音出来る限界で、無理矢理表現するとそうなるというだけで、本当のところの本当の名前までを僕は知らない。
JPOPをこよなく愛する年齢不詳の幼女──ではなく天使だ。いやこれは別にマイエンジェルとか、見た目のキュートさから来ている所謂愛称ではなく、本当に言葉のままの──天使、神の遣い、羽の生えたアレ。
そんなどう考えても本名が呼び辛い彼女──僕が親しみと親心を持って『すー子ちゃん』と呼ぶこの幼女は、1年前のクリスマスに空から降って来たのだ。曲がり角でパンを咥えた転校生と激突するように、トラックに轢かれると別世界に飛ばされるように。これらの中では随分と古典的なものになるけど、すー子ちゃんは確かに空から降って来た──いや、落ちて来たと言った方が正しい。
美しく──しかし捥がれ、千切れた羽──赤く染まった雪と共に、血塗れの幼女が僕の上空に堕ちて来たのだ。
何故幼女が降って来たのか、何故幼女と同居しているのか。語り尽くせぬ物語は、うっかり10万文字程使ってしまいそうなので、多分話す事は無いだろう。しかし、いずれは、いつの日かは必ず、思い出す事になろうという事は僕も分かっている。
さて、この堕天して堕落してしまった飼犬──ならぬ飼天使についてどう誤魔化そうか。
「何? この失礼なガキ」
無表情を露わにする見壁に対し、ウチの幼女──すー子ちゃんは沈黙を貫いて、敵意を剥き出しにしていた。その視線にはそれだけで洪水やら雷やらを起こせる程の雰囲気を伴わせて。
僕が見壁を家に連れて行きたくなかったのは、恐らくこの幼女が嫌がるだろうと知っていたからだ。天使であるが故──呪いを纏っている彼女に対し良い顔をしないだろうと。
しかしこんな場所で騒いでいては流石にご近所迷惑なので、
「すー子ちゃん。嫌だろうけど入らせてもらうよ」
僕はそう言って、敵意と歯茎を剥き出しにしている幼女を持ち上げた。
「……ご主人?」
本来天使にこんな無礼を働けば頭上に落雷ものだけど、すー子ちゃんの場合は心配無い。彼女は堕天した際──羽と、天使としての核──つまり力を失っている。天界時代がどれほどかは知らないけど、今となってはもうただの愛くるしく、ちょっと嫌なものを感じ取れるだけの幼女でしかない。
「ちょ──何をするのですか」
「はいはい。あっちでヨルシカでも聞こうねー」
空中で手足をジタバタさせ『聖域、聖域』と駄々をこねる。そもそも居候の分際で勝手に僕の家を訳の分からないものに指定しないで欲しいのだが、可愛いは正義とはよく言ったもので、もう何でも許せてしまった。
「見壁ちゃんも入って入って」
すー子ちゃんを抱えたままで、そう言って後ろを振り向く。
「多々里君。貴方まさか──幼女趣味なの?」
彼女の汚物を見るように無関心だった瞳が、今では強烈な嫌悪感に染まっていた。
「君は中々しつこいね」
家主に断りもなくガンガンに冷房を掛けて涼んでいた事に関しては、正直助かったし今は不問とする。
遠出用の鞄にアレやコレやを収納していく中、部屋の隅へと追いやったすー子ちゃんを見た。
小さく纏まって、ヘッドホンを被り自分の世界に閉じ篭る幼女。見た目通りにいじけている様子もまた可愛かったのでとりあえず放っておいた。
着替えOK、食塩OK、お札OK。後は……トランプとかボードゲームとか持って行った方が良いんだろうか。理由はどうあれ、クラスメイトの家に滞在するのだから、これくらいのお楽しみはあっても良いんじゃないか──そう考えたのだが、そもそもそんなものを持っていない事に気が付いた上、見壁が素直に僕と遊んでくれるとも思えなかったので止めておく。程々に罵倒される未来が見えたし。
因みに、僕に幼女趣味は無い。恋愛対象は人外だがロリコンでは無いのだ。確かにすー子ちゃんの年齢は僕より遥かに年上だろうけど、欲情するかと聞かれればそれはやっぱりNOなのである。
「それで、その子供は一体誰なの? まさか親戚の子供なんて分かり易い嘘をつかないでしょうね」
狭い部屋の中をジロジロと見渡しながら、逃げ道を塞ぐように見壁は言った。
「話せば長いよ」
「通報されたくなかったら話しなさい。例え10万文字掛かる長編スペクタクルでも私は聞くわ」
「どうしてそこまで聞きたがるのさ」
「さっきしつこいって言われたからその腹いせ」
と、彼女は何故か目を逸らして言う。その理由は分からなかったけど、
「……さっきの発言は取り消すし謝るよ。ごめんね」
僕は彼女の顔を見ながらそう言った。
素直に非を認めてまで話したくないのは、信じてもらえないと分かっているから。仮に信じてもらえたとして語る内容は酷く凄惨で、壮絶だから──見壁どんな反応をしてしまうのかと思うと──少し怖かったのかもしれない。
僕が言うと、彼女は──まさに呆気に取られた、とそんな顔をしていたと思う。
「そう……多々里君がそう言うなら、私はもう何も聞かない」
まるで僕が素直に非を認めて謝れる人間だった事に驚いたように。
そして彼女は、それ以上──本当に何も聞いて来なかった。
見壁が沈黙し、すー子ちゃんが自分の殻に閉じ籠って、人数のわりに静まり返った室内で、僕は準備を終えると鞄を背負って立ち上がる。
陽炎が揺らぎ、燦燦と日が照る。疎ましい灼熱の炎天下。あれだけ忌まわしかった外。そんなものと比べればここは天国──冷房が効いた部屋に天使がいるのだから。冷たくて、静寂で──どうにも気まずい室内。今となってはあの暑ささえ焦がれる。だから僕が立ち上がって、何も言わずに見壁が立ち上がってくれて、胸を撫で下ろした。
彼女は未だに顔を背け続けている。
僕は溜息を噛み殺して、未だに部屋の隅で膝を抱えている幼女に、一枚のメモ書きを手渡した。
「何かあったらここに来るんだよ」
と言ってみたものの、大音量のせいで聞こえていないだろうけど。
見壁宅の住所と数日家を留守にする旨を書いた紙。天使は眠らない、病に侵されない、腹も減らない。精々僕のアイスをつまみ食いするくらいなもので、心配といえば──別に何も無かった。そんな内容を書いた紙。
「……」
幼女は無言でそれを受け取ると──突然──僕の腕を掴んで引き寄せた。
そして耳元で小さく呟く。決して見壁に聞かれぬよう、小さく、吐息混じりで。
「気を付けて」
と、『あれは呪いそのものだ』と──付け加えて、幼女はまた膝を抱えて縮こまってしまった。どうやら僕の身を案じてくれているらしいけど、それに関しても──僕は何ら心配などしていなかった。
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