第10話 彼女は絶対通報する
幽霊──彼らはそう呼ばれる事を嫌っているが、そう呼ぶのが一般的であるし──正しい。思いに囚われて幽閉されているのだから。
人間には魂が宿っている。それは肉体の老朽化──死によって壊れるような柔いモノでは無い。死後であっても壊れはしないが、存在し続けるにはエネルギーが必要だ。熱量を食らうから、出現に伴って温度が下がる。電子機器に異常が生じる。しかし物動かしたり、目に見える程存在するとなれば話は別だ。他者を拠り所にするか、余程強い思いが無ければ不可能。例え出来たとしても幽霊の限界は──保てて4、50年だろう。つまり放っておけば──いずれは消滅する。
しかし、呪いは違う。
魂の介在しない純粋な思いの具現化、怨念、積年。術者が生きている限り熱量の供給は行われ、活動を続ける──満願するか、対象が死ぬまで。例え術者が死んだとしても、数年は持つだろう。効果としてはそれで充分なのだ。
じとっと、汗で湿って服が肌に張り付く。強い日差しに目を細めて掌で覆ったとして、それは逃れる事など出来ない。
ミンミン、蝉の鳴き声が鼓膜に張り付く。8月1日時刻は午前8時25分頃。
夏休みに入ったとて、昨晩夜更かしをしたとて、僕達は登校と変わらない時間に起きて外出していた。僕としてお昼くらいまで寝ていたかったけど、見壁が『多々里君。貴方、私のベッドを──汚したわね』などと言って、大騒ぎするものだから完全に起きてしまったのだ。
僕は彼女に『おはよう』と挨拶をし、横目でクローゼットに貼り付けていた魔除が──破られている事に気が付くと、朝から陰鬱な気持ちにさせられながら、街を歩いている。
「知らなかったし興味も無かったけど、意外に近所だったのね」
僕の住所を伝えると、彼女は要らない枕詞を添えて言った。
パタパタと襟を動かして空気を流し、『暑い』とは言わなかったが、額に滲んだ汗は目に滲みているようだった。
「君は朝から絶好調だね」
「普段は夜9時に寝て、朝5時には起きているの。調子としては最悪だわ」
「そりゃ良かった」
冒頭でも説明した通り、今回の現象は呪いである。加えて彼女の家も侵食され始めていると感じたので、相応の準備──具体的に言えば、僕は私服などのお泊まりセットを取りに行く為、自宅へと向かっていた。徒歩15分程度の道のりだったが、その程度だとタカを括って電車を使わなかったのは判断ミスと言える。この暑さの中でのウォーキングは、インドア派の僕には正直言ってキツかった。
だからだろう。
やっとの思いで辿り着いた我が家を目の前にして、いつもよりも心が躍った。平凡な日常が、これほどまでに愛しいものだったのだと、改めて気付かされる。ありがとう、ありがとう。しかし彼女の家に比べると随分と──いや、大家さんに失礼なので何も言うまい。
祖母が他界して、高校に入学を決めた僕は一人暮らしを始める事にした。父方の親戚が引き取ってくれる、なんて話もあったのだが、結局受け入れてもらえず、しかしそれはそれで良かったかもしれない。何せ僕は──ちょっと一人になりたかった。それでも、家賃、光熱費、その他諸々の生活費を仕送りしてくれているのだから、僕はとっても感謝している。卒業と同時に家業を継ぐ事を条件にされてしまったけど──そしてそれは怪物退治の家業だったけど。
2階建て、木製のボロ賃貸。正式な名称はあるのだが、近所の小学生からは『廃墟』と呼ばれているらしい。
部屋の数は6つで、2階の角部屋が今の僕に与えられた生活拠点だ。
「ここが──いえ、こんなとこ──いえ、何も言わないでおくわ。可哀想だから」
見壁は頬が釣り上がらないように口元を必死で抑えて、あからさまに目を逸らす。
「殆ど全部漏れてないかい?」
顔を背けているけど、背中や肩は小刻みに震えていた。
「すぐに準備してくるよ」
どうして僕は彼女を助けるんだろうと、そんな事を思いながら、そう言って一歩踏み出す──だけど、それ以上前には進めなかった。
「暑い」
見ると、右腕をガッチリ掴まれて、『この猛暑で外に置き去りにするなんて正気? 私も連れて行きなさい』みたいな感じの視線を熱烈に送られている。血流が止まる程の力で握られた手は、無理矢理引き剥がせそうにもない。
「うーん、じゃあ、行ってみるけど……」
「何? もしかしてエロ本でもあるの? このネット社会で? ペーパーレスの時代に?」
「いやいや僕の趣味に見合ったものなんてどこにも──いややっぱり今のナシ」
「殆ど全部漏れていたわよ」
彼女の厳しい視線が突き刺さる。
連れて行きたくない理由はあるけど、説明したところで信じてもらえない──だから連れて行けないと、そういう事なのだけど、こんな姿を近所に見られて誤解される方がより面倒だと感じたので、結局僕は彼女連れて行く事にした。
建物の脇にある、今にも崩壊しそうな階段を上って、ボロボロの床の歩き、ポケットから鍵を取り出した。
「先に言っておくけど、警察に通報しないでね?」
「……何を隠しているか知らないけど、そんなすぐに通報したりしないわ」
汚物を見るような、というか汚物そのものを見ているかのような、そんな視線を感じながら扉を開くと、
「……」
「ただいま」
見壁とは別の鋭い視線を向けられる。声を掛けるが、返事は無い。
想像した通り玄関先には──彼女が居た。主人の帰りを待つ犬猫の如く──鎮座していたのだ。僕が先んじて注意したのは、この子の存在があっての事。
きっと見壁には──ただの幼女にしか見えていないのだろうから。
そしてやっぱり想像通り、見壁は躊躇う事なく一瞬の惑いもなくスマホを取り出す。
「やっぱり通報する──というかしているわ。あ、もしもし警察の方ですか? 今真横に誘拐犯が居るので即刻射殺して下さい。大変身の危険を感じています──ええ、そうです──ええ、はい。変態です。自分に見合ったエロ本が無いと嘆いていたので、怪しいと思っていました。学校ではとても大人しいクラスの人気者で……」
「え、本当にしてないよね?」
「……切られてしまったわ」
通話が終了しましたという表示を見て、彼女は肩を落としている。
例えば、クラスメイトの家に押し掛けた時、玄関に幼女が居たら皆さんはどうしますか? 少なくとも僕は通報しません。妹さん? とか親戚の子かな? とか、とりあえず聞いてみるでしょう。
しかし彼女は違う。見壁千頭流という少女なら通報するだろうと踏んだし、実際そうなった。いや本当に恐ろしい女子である。
例えその幼女が白髪であれ、碧眼であれ、明らかに日本人では無い顔であれ、通報するのは早計と言わざるを得ない。
だってその幼女はライブTシャツをだらしなく着ていて、ダメージジーンズを上手く着こなしていて、首に掛けられたヘッドホンからガンガン音漏れしていて、僕のガリガリ君を食べていて、明らかに満ち足りている様子でいるのだから、通報する前に事情を聞くのが一般的だろう。
しかしそんな僕達の下らない──いや、一歩間違えれば大事になりそうなやり取りを気にも留めない様子で、
「ご主人──そんなものを──我が聖域に入れることは許しません」
僕の事を『ご主人』などと、むず痒い呼び方をするウチの幼女が真っ直ぐに──見壁を指差して言う。
「……何、この失礼なガキ」
対して見壁は、通報云々など忘れてしまったかのように、僕に向けていた視線を幼女に送った。
幼女だが──天使でもある彼女に。
僕が二人を掛け会わせたく無かったのは、恐らく絶対合わない、遭わない方が良い。そう思っていたからでもある。性格もそうだが──性質そのものが正反対の二人を。
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