第18話 僕が彼女を助ける理由
真っ暗だった廊下とは打って変わって、切り裂かれたカーテンは意味を無くし、部屋は月明かりで満ちていた。人間は光を見ると安心すると言うけど──この場合、僕は渇いた笑いが溢れるばかりであった。
共に過ごした部屋──その面影は既に消え失せて──ベッド、テレビ、テーブル、その他様々な家具や小物が散らばり、床には足の踏み場も無い程荒らされていた。空き巣が侵入した、というより、空き巣が暴れ狂ったような状態。
「うわ……」
しかし、そんな状態よりも遥かに僕の視線を引いたのは──天井から吊るされた──32体の藁人形。
クラスメイトの写真が貼り付けられたそれは──赤く染まり、小刻みに震えていた。無趣味で女の子らしかった室内が、一転して胡散臭い占い師の館のような変貌を遂げている。一体どこの匠にこんなビフォーアフターを依頼したのだろう──と、そんな下らない事を考えていると、
「お」
1体、様子の違う人形が目に留まる。
近付いて天井から引き抜き、手に取ると、それはやたらと写真の顔面部分が突き刺された──僕のものようだ。多分恐らく。様子が違うというのは別にデコられていたとかそういう事ではなくて──1枚の白い紙が折り畳まれて、貼り付けられていたのだ。
『多々里憩様へ』
と、折り畳まれた白い紙には便箋を装うように、綺麗な字で僕宛だと書かれている。
「ラブレター、じゃないよね……当然」
文面を確かめようと開くと、僕が首を傾げたのは──何も書かれていなかったからだ。ひっくり返しても、月明かりに照らしてみても、やっぱりそこには何も書かれていない。真っ新な白紙に、ただ僕の名前が書かれているだけ。
ようやく辿り着いたというのにそんな肩透かしを食らったので、溜息を吐くと床に座り込んだ。とりあえず、またまた考えを巡らせる必要があるらしいと瞼を閉じて──陰鬱な気持ちを抱えたその時、
「ねえ、今何を考えているの?」
背後から声が聞こえた。
「……君の事だよ」
ひんやりとした空気を感じて、ゆっくりと瞼を開くと──歪んだ腕が──背後から伸びて、僕を肩越しに、優しく包み込む。背中越しに感じる気配と、首筋を撫でる髪先がくすぐったくて思わず頬が緩んだ。
冷たくて、白くて、陶器のようなその腕。ヒビ割れた指先に触れると、ふっと消えてしまった。もう少し戯れていたかったけど──もう時間が残されていないらしい。
「ねえ、私と遊びましょう?」
反響していて嬉々とした声が、耳元で囁かれる。本日二回目の──最後の問いだろうけど、僕の答えは決まっているし、既に答え終えている。
「いいよ」
答えると、鼓膜を揺るがす程の高笑いが遠のいき──手元の白紙に文字──数字が刻まれた。
──5、と目一杯大きく、力強く、黒く刻まれる。
意味を理解出来ず、しかし、原因は自覚出来なかったけど、僕はその数字を見て呼吸が引けた。
数字に纏わる小話をしたけど、5という数字が持つ意味について様々な思考を巡らせたけど──まずい、何も分からない。せめてもっと不吉な数字なら意味を見出す事も出来たのだろうけど──意味、忌み、5、五、語、後?
意味のある──意味が、無い?
『あははははは』
遠くから渡って来たように声が響き、同時に突如、部屋の扉が大きく音を立てて開く。僕がすぐに振り向くと、開いた扉の先、廊下の暗闇の中で──彼女の瞳が輝き──どこかへと消えて行った。
『もうーいいよー』
と、そんな言葉を残して。
「なるほど……」
趣旨が判明したので、立ち上がると追い掛けるように扉へと向かう。
それを見て、僕は彼女の発言について理解した。『遊び』と前置かれたのだから『もういいよ』とは──かくれんぼ──その準備完了の合図だろう。見つければ勝ち、そうでなければ僕の負け──単純でシンプルで子供染みている遊びに──意地っ張りにも幼稚にも、彼女は命を掛けたのだ。
しかし数字の意味が──、
「っ」
そんな僕の惑いに答えを出したのは──唯一与えられたヒントである──この紙。そこに新たに刻まれた数字を見て、奥歯を噛み締めた。
次の数字は──4。
これは死という意味ではなく──そもそも意味の無い数字。部屋を出ようとした足が止まる。先程呼吸が引けた意味を理解し──全てを悟った。
これは遊びなのだから、ルールがあるのだから──これは制限時間だ。
「カウントダウンかっ」
ボヤいている時間は無い。考えろ考えろ考えろ考えろ。
見壁はこの家のどこかに居る。どこに居る? どこを探せば良い?
数字が──3に変わり、力強く刻まれていたものが、弱々しくも朧げになっていく。
考えろ考えろ考えろ。これは遊びなのだから僕にも勝ち目がある。
──2。
考えろ考えろ──見つけて欲しい、見つかりたくない。彼女はいつだって矛盾していた。
「ああ、もう!!」
僕は紙を投げ捨てると──引き返して駆け出す。32体の吊るされた藁人形が、行く手を遮るように揺らぎ出して、ぼたぼたと液体が垂れ落ちていた。
恐らく──1。
考えなくていい。見つかりたくて、見つけて欲しくない。『絶対に開けないで』なんて言っていただろうか。
我武者羅に走って、散らばった小物が足裏に突き刺さっても、それでも足を動かした。僕はどうして──こんなに必死になってるんだ? 彼女を助けたい、それはそうだろう。クラスメイトだから助けるのは当然、それはそうなのだろうか。僕はどうして彼女を助けたい? 人として当然だから? そんな理由で僕は命を掛けたのか?
0──が刻まれ始めている頃。
切らした呼吸の中、クローゼットを開けて、
「見壁ちゃん。みーつけた」
今まさに呪いの完遂を迎えようとしている──33体目の人形である彼女に──僕は──遊びの終わりを告げた。
クローゼットの中に居た見壁は瞳を閉じて、首に縄を括り付けていたけど、それは間もなく消滅していく。
醜く歪んでいた四肢が色を取り戻して──ただの何の変哲もない──人間へと戻って、元の見壁千頭流へと反転した。同時に家中に浸透していた淀みが消え失せ、詰まった呼吸と狭まった雰囲気も──何も無かったかのように。
意識を失っているのだろうか、縄の支えが無くなったからだろうか、
「お、ちょ、ちょっと……」
彼女は僕へと倒れ込むように──というか僕もろとも倒れてしまった。あれだけ冷たかった体が今は暖かく、力無く、のし掛かっている。
「──重いよ」
と、デリカシーの無い素直な感想が溢れる程に。
いつぞや彼女は、僕が命を助けた際にそんな事を言っていたけど、仕返しとばかりにしっぺ返しを食らってしまった形。しかし何故だか──僕はその重みを受け止めている事に、途方も無い程安堵していた。
「見壁ちゃーん」
そう何度か呼びかけてみるけど、完全に意識が無いようで──加えて僕の疲労も頂点だったので──されるがままに、そのままで、僕は瞼を閉じると意識を手放したのであった。
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