第19話 真夏の大晦日

 暑い、だるい、あと何故か分からないけどほっぺがめちゃめちゃ痛い。怪我をしているであろう箇所よりずっと痛い。


「ああ……朝か」

「もうお昼よ。いつまでもそこに居られると邪魔だからさっさと起きて」


 寝ぼけ眼を擦り体を返すと、部屋の片付けをする彼女が視界に入る。


 僕が目を覚ましたのは瞼を突き刺す朝日でも、寝ている命の恩人に対する配慮が一切無いような物音でもなく、痛みと気温と──見壁千頭流の容赦無い言葉。最早昨日の出来事が悪い夢だったようにも思えるが、部屋の惨状は確かであり、体を起こすと、やっぱり気怠さと疲労感。


 そして負傷は消えている筈もなく、しかし、額の傷に触れると──布、だろうか。ガーゼか何かが貼り付けられていた。見ると手足の細かな傷にも絆創膏が付けられていて、しかも可愛いウサギの絵が書いてあるやつで、


 だから僕は思わず微笑んでしまった。


「……おはよう」


 そして彼女は応える。


「ええ。おはよう」


 満面の笑みで返されて、僕は何故だか目を逸らした。朝日──いや、昼の日差しが眩しかったせいだろうと、自分の中で見切りを付け、とりあえず──今はこれが丁度良いのだろうと。


「ほっぺが凄い痛いんだけど、何か知らないかい? というか何をしたんだい?」


 見壁は恥ずかしそうに顔を赤らめると、口を尖らせて言う。


「だって……全然起きないから……私、心配だったんだもんっ」

「嘘は良くないよ」


 僕はすぐさま切り返した。


 彼女がそんな一般的な神経を通わせているとは、微塵も思っていないからである。その証拠に、見壁は片付けの手を一度止めると、見慣れた無表情を僕へ向ける。


「無許可で女の子の体を一晩中布団代わりにして、堪能していたのだから当然の報いでしょう?」

「君は気絶していたし、僕だって似たようなものですぐに寝てしまったから、堪能はしていないんだけどなー」

「記憶には無くとも、体は案外覚えているものよ」

「君は変わらないね」


 僕が言うと、彼女は少しだけ目線を落とした。


 そう──昨晩『あんな事』があったのにも関わらず、見壁は変わっていない。命の恩人である僕に対して遠慮なく毒を吐く彼女も──呪いを撒き散らす『あれ』も、結局どちらも見壁千頭流であるのだから、変わる事など無いのだ。ただ表と裏が反転しただけで、人間ならば誰しも備わっている二面性でしかない。


 僕は床に横たわる人形を一つ、手に取ってゴミ箱へと狙いを定めると、綺麗な放物線を描き、カランコロンと音を立てて、吸い込まれていく。


 見壁はそれを見て『ナイスシュート』と呟くと、


「ねえ──もし良ければだけど──片付けを手伝ってもらえるかしら」


 そう言って、藁人形を──僕の人形を拾い上げて、ゴミ箱に投げ捨てた。


 僕はその問いに対して、当然のように返す。


「良いよ」


 おはようと言われて返すように、おやすみと言われて返すように──遊ぼうと言われて返すように、自然に。


「そう。助かるわ。全く何をしたのやら、リビングも大変な事になってるし」

「え、ちょ、そんな目で見ないでよ。僕のせいじゃないって」


 僕の慌てる様子に、悪戯な笑みを浮かべる彼女。


 どうして僕はこの子を助けるんだろう──ずっとそう考えていたけど、答えはまだ出そうにない。だけど、今こうして彼女と他愛無い会話を楽しんでいる自分に気が付いて、そんなことはどうでも良くなっていた。


「ありがとう。多々里君」

「どういたしまして」


 何故助けるかではなく──助けられて良かったのだと、そう思えているのだからそれで充分なのである。


 


 片付けというか、後始末というか、今回の現象の解決は──きっと、これも重要なポイントなのだろうと思った。見切りを付ける意味でも、思いを区切る意味でも──溜まったものを払い落とす意味でも。


 破損してしまった家具は仕方が無いけど、汚れは落とせる。散らばったものを整頓は出来る。


 気が付けば僕達は窓やシンクの水垢なんかも拭き取り始めていて、それはまるで季節外れの大晦日で、汗を流しながら、袖を捲りながら、ここはどうで、あそこはなんで、なんて言い合って、重いものは二人で運んで、


 笑い合って、和気藹々と大掃除に取り組んでいた。


 当初の配置からは随分様変わりして──気付けば掃除だけでなく、模様替えまで調子に乗って執り行ってしまったわけである。しかしてそうなれば、掛かる時間は相当なものでもあるわけで。


 僕は息を吐くと、ソファーに深く腰掛けた。


「……疲れた」


 辛うじて無事だったリビングの時計に目をやると、時刻は──19時過ぎ。昼に起床したのだから──まあ何でもいいけど、大体1日程掛かってしまったらしい。


 目を閉じて、沈む体を脱力させると、熱膨張した空気がすーっと抜けていくようだった。


「私も……流石に疲れたわ」


 声が聞こえ、ソファーが揺れる。


 左肩に感じる重みは、多分──見壁の頭だろうか。全体重を掛けられるよりは随分マシであるし『重い』とは言わず、また言う活力も無かったので、とりあえず──このままで良いや。


「見壁ちゃん重い」


 だけども僕の口は、意思に反してとってもお喋りだったようであった。ごめん。


「……女の子が疲れてるんだから……肩くらい貸しなさい……よ……情けないわね……そんなんだから、貴方はいつまで経っても、モテない男子……そんなんじゃ……一生結婚出来ない……わ……よ……Zzzzz」


 と、最後の最後にとんでもねえ言葉を残して、彼女は耳元で寝息を立てた。


「ちゃんと全部言ってから寝るとは……ね」


 君は本当に面倒臭い、そう言いたかったけれど、最後まで口に出す事は出来ず──僕の意識もまた深く、もたれかかったソファーに預けて──沈み込んで行った。


 


 次回! 新章突入! イチャラブ同棲生活編。乞うご期待……Zzzzz。

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