第20話 初体験

 イチャイチャ同棲生活と僕は言ったな。あれは嘘だ。


 寝ぼけていたのでどうか許して欲しいと、勝手ながらに弁明させて頂きたい。付け加えると新章突入も嘘である。新章どころか、僕の夏はまだ終わらない。だって夏休みはまだまだこれから、8月の終わりまで。


 しかしながら何処かへ旅行に行くとかそういう事でもなく、結局僕の夏休みはまるっと超常現象に潰されるだろう。


 見壁千頭流の一件は恐らく──この町全体の異変に関連しているだろうから。





「多々里君多々里君。大変よ」

「ん……あー……」


 やたらと神妙な声色に、僕は朧げに目を開くと、どうやら肩を揺さぶられているらしい。視界が左右に行ったり来たりと、倦怠感も相まって酔いそうだった。


「……何かあった?」


 水分不足の掠れた喉で尋ねると、見壁は一拍置いて答える。


「もう──2時だわ」

「AM? PM?」

「馬鹿。深夜の2時で26時ってコト」

「OH……」


 何でか分からないけどアメリカンに返答した僕は、言動同様左手で額を覆って、アメリカンに反応する。通りで腹が減っているわけだぜ全く。


 寝汗を掻く事なく、これだけぐっすり妙ちきりんな時間まで眠れたのは、僕好みの温度に冷やされた室内と──肩まですっぽりと掛けられた薄手の布団のせいだろう。どうやら見壁は僕が寝ている間は、色々と甲斐甲斐しくも優しいらしい。


 だけどもそうなると、何故こんな時間に起こしたのかは疑問である。正直言えばまだ眠い。


「こんな時間なのにまだお風呂にも入っていないし、晩ご飯も食べていないわ。幾ら夏休みと言えど、不衛生かつ不健康な生活を送る事を許しません。だって私は委員長だから」


 独白に答えるように、彼女は僕でさえ忘れかけていた設定を引っ張り出して言葉を並べた。


「……本当は?」

「本当よ。強いて言えば目が覚めてしまって暇だったから、と言えなくもないけれど」

「うむ」


 そんなこんなで、僕達はとりあえずお風呂に入る事にした──いやもちろん別々で、風呂場の前に張り付く事もなく、交互に順番で。


 先手は見壁で後手が僕。てっきり叩き起こされたものだから、一番風呂を譲ってくれると勝手に思っていたけど『それじゃあ私が先に入るわね』と言って、まだ寝ぼけた僕を部屋に一人置き去りにした。


 寝ぼけてはいるけど、目は冴えた僕を。


「あー」


 昨日の騒ぎが原因でリビングのテレビは調子が悪い、というより多分壊れている。エアコンが無事だったのは不幸中の幸いなのだけど、しかしそうなると他人の家、それもリビングという場所はとんでもなくする事がなく──暇だった。


 天井の染みを数える──そんな在り来たりな暇潰しを試みるも、昼間に拭き取ってしまったのか、どこにも見当たらない──そうだ。数えるのではなく見つける事にしよう、そうしよう。


 と下らない思い付きを敢行しようとした矢先──窓から強烈な視線を感じた。


「……ありゃ」


 熾烈で苛烈な──無数の視線──血走った『目玉』が庭先に浮遊して、窓に張り付いている。この家に纏わる、呪いの残り香に引き寄せられたのだろう。性質の悪い──悪意の監視者、地獄の目。


 僕は布団を剥ぎ取るとソファーから降りて、決して目を離さぬように窓辺へ向かう。


「誰の差し金かは知らないけど」


 僕が近付くと、忙しなく動いていた眼球の黒が一挙に収束した。


 ガラスに掌をピタリと付けると、沸騰した体を冷やすには丁度いい冷たさが伝わる。だけど、どうにもこの熱は収まりそうにない。僕は、拳程の大きさに醜く膨れた目玉達を見下して、


「あの子は僕が守るよ。連れて行かせやしない、だから──失せろ」


 視線の向こう側に伝わるように言う。


 すると瞬きをした次の瞬間、もう姿は無くなっていた。気配も消失して在るべき場所へ帰ったのだろうけど、ああいう手合いはかなり粘着質でしつこい──やはりこの町は、ちょっとおかしくなっているらしい。


 あー、困ったなー。


 と気が付けば僕は──掌に爪が食い込んで、血が出る程強く握り締めている事に気が付く。


「お風呂出たわよ、で、そこで何をしているのかしら?」


 窓に反射して、見壁の姿が映ると同時に声が聞こえて──張り詰めていたものから空気が抜ける感覚がした。


「──なんでもないよ」


 何でもない、何て事はない。そう思って笑って振り返った、笑えていたつもりだった。


 しかし彼女は僕の顔を見て、タダでは動かない無表情を崩す。目を見開いて──信じられないものを見ているかのような、そんな顔をして。


「あはは──なになに? どうしたのさ? そんな呆けた顔をしちゃって」


 だから思わず首を傾げた。どうしてそうして、どうしてそんな──怪物でも見ているような顔をしているの? 何がどうして君は何故、そんな目で僕を見ているの? 一体全体どうかしたのかい? 何がそんなにおかしいんだい? 


「あははははははははははははは」


 冷や汗が流れて、自分でもどうしようもなく、溢れる感情が抑え切れなくなってしまう──まずいまずいまずい、のまれる。


 見壁千頭流が足音を踏み鳴らして、大股で近付いて来る。


「あはははははははは」


 どたどたと、音を立てて、眉間に皺を寄せて、濡れた髪先を振り乱して。そんな様子が可笑しくて、怒った顔が面白くて、ぼくは尚も堪えられずどんどんこえをあげてわらってしまった。


 ゆっくりかのじょのかおが、ちかづいた。あまいかおりがはなをくすぐって、


「アハハハハハ──ッ」

 

 くちびるにやわらかいかんしょくがふれる──いや、ぼくは今──口づけをされているのか。


 その瞬間、僕の意識は明確なものになった。


「んーっ! んんっー!」


 無防備な体を窓ガラスに押し付けられて、両手をガッチリ固められて、身動き一つ許さない──甘ったるい雰囲気などこれっぽっちも無い。強引で無遠慮で──押し当てるようなキスだった。彼女の瞼は硬く閉じられていて──辛い思いがそのまま伝わって来るような──そんな感じの。


 密着していてもがこうとも、自由に動かせるのは足先くらいのもので、


「……」

「……」


 僕は──暫くそのままで居るしかなかった。どれ程の時間をそうしていたのか、室内に響く秒針の音に耳を傾けながら──多分、とても短い時間、僕達は呼吸を止めて──火照った体から伝わる熱に、身を落としていた。


「……」

「……」


 やがて脱力した僕の体を確認したのか『ぷはっ』と文字にするならそんな音がして、体が離れる。


 風呂上りのせいでは無く、紅潮した見壁の顔を直視してしまって居直った。目をパチパチ閉じて開いて我が身を振り返るけど、僕はこの数秒間の出来事が──それこそ超常現象とも思えたみたいに、呆けていたと思う。


「落ち着かせようと思って──した、けど。いざちゃんと落ち着かれると結構ムカつくわね」

「な、なんで」

「なんでじゃないわよこの馬鹿。様子がオカシクなっていたようだから、気付けの口付けをしてあげたの。感謝してよね──初めて、だったんだから」


 演技ではなく、彼女は思い切り顔を背けて──自らの唇に触れている。あれは当人にとってもかなり突発的な行動だったようで、触れた指先ですら落とし所を迷うその姿に、僕は居た堪れなくなってしまった。


 そして意外にも──ファースト。まさか現代の高校生にそんな清純派が居たのかという驚きと共に、僕は申し訳無い事をしてしまったようで──だって僕はファーストどころかセカンド通り越してサード、いやいやそんな事はどうでも良くて、しかししかし、そんな事は絶対に口が裂けても言えるわけがない。


「いや……その、あの」

「……何よ」


 だから──そうだな。僕が言えるのは、たった一つだろう。


「ありがとう」


 彼女は鼻を鳴らして、短く応える。


「どういたしまして」


  


 意図せず、突発的に、唐突に。本当に予期せぬ出来事だった。


 若い男女が一つ屋根の下に暮らしていれば起こりそうではあるけど、僕達には起こり得ないと思っていたけど──測らずも『イチャイチャ同棲生活』が実現してしまったようであった。

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