第21話 こうして僕らは交際を始めた
僕には魂が無い。正確に言えば──中身を抽出した絞りカスに、空気を詰め込んで形を保っているだけの抜け殻。
きっかけは多く、しかし予測は出来ず。ちょっとしたストレスや感情の揺さぶりで張り詰めてしまって、一度漏れ出すと、僕は──すぐに自分を保てなくなってしまう。そんな、後遺症みたいなものに悩まされていた。勿論日頃から気を付けてはいるけど、日常生活を送る分には支障は無いけど──怪物退治から身を引く大きな要因の一つである。
胸に手を当て考える。考えて、答えを出す。簡単な手順で経緯も根拠も単純。しかし、その答えを僕は自分自身で正しいと感じつつ──納得出来るものではなかった。
先程僕が、自己喪失一歩手前の状態に陥った原因は──脅かされたから、だと結論付ける。
それは自分の身が? 違う。僕が脅かされたと思ったのは──どうにも、こうにも──見壁千頭流の事らしい。彼女の身を案じて、激昂した──と考えられる。薄々そう感じていながら、客観的に認めざるを得ないレベルで──僕は人間の少女に、入れ込んでいるようだった。
納得出来ないのは──恐らく、怖いからなのだろう。自分が変わってしまう事、それこそ自己喪失、アイデンティティーの崩壊だ。人間誰しも環境や立場に慣れて、多少なりとも変化してしまう生き物だけど──その変化を自覚してしまうのは恐ろしい。こんな抜け殻の僕であっても同じなのだ。
僕の恋愛対象は怪物である──そんな変態的で異質で、まともでは無い趣味趣向ですら、自分を保つ為に縋るしか無いというのに、変化など、受け入れられる訳が無かった。
ずるずるずる。時刻は3時丁度。
ずるずるずる。立ち込めた湯気に顔を覆われながら、腹の虫には勝てない。
サクサクと、後乗せしたかき揚げを頬張る。エビの風味とカツオ節の効いたつゆが一挙に口内へと押し寄せた。風呂上りで火照った体に、熱々の麺と汁が喉を通って食道を貫き、体温を更に上げる。
「久しぶりに食べたけど、緑のたぬきも悪くない」
じゃんけんで負けた『赤いきつね派』の僕は渋々油揚げを手放したけど、うっかり寝返りそうな程の舌鼓に胸を躍らせていた。
「歴史ある商品なのだから、愛される理由があるのは当然だわ」
目の前で旨そうに、コシのある白い太麺を啜る彼女もまた同感らしい。
深夜、僕が風呂から上がると彼女は『どっちにする?』と、赤と緑のパッケージ、二つのカップ麺を用意していた。僕は真っ先に緑を選択すると、見壁は突然『じゃんけんをしましょう』と言った。きっと彼女は“緑のたぬき派“にも関わらず、意地の悪い事にそんな提案をして来たのだろう。結果は──僕の負け。そうして彼女の口に吸い込まれていく油揚げを惜しみつつ、現在。
「因みに赤いきつねの発売は1978年、緑のたぬきは1980年。凡そ30年の歴史があるそうよ」
「良く知ってるねそんな事」
「気になったものは調べる習慣があるの」
「じゃあ藁人形の正しい作り方も知ってたんじゃないか?」
「勿論」
衝撃の事実だったけど、今は目の前の香ばしさに集中していたので、別に気にならなかった。
彼女は僕の『様子がオカシかった』事について触れる事なく、また僕自身もそれについて話す事は無かった。何も聞かれず、何も答えず、いざ口を開いたかと思えば飛び出したのは、そんなウンチク。優しさ故か、僕が答えないだろうという諦めか、いずれにしても──少しだけ居心地の悪さを感じてしまう。
そんな僕の陰鬱を気取ったのか、見壁は唐突に、
「どうして私を助けたの?」
カップを傾け汁を全て飲み干すと『ぷは』っと、そんな事を口にした。ずっとお互い目線を合わせずに居たけど、この時久しぶりに彼女は僕を直視していた。
先に食べ終えていた僕が、その視線から逃げられる訳も無い。しかし僕の目は自然と、ぼんやりと──彼女の唇に落とされる。
「どうしてそんな事を?」
「私は貴方が──嫌いで、心中でもしてやろうと呪いに掛かったのに、それに気が付いていて、どうして私を助けたのか、気になるのは当たり前じゃない」
嫌いなくせに心中とは、刺し違えるの間違えでは? と思ったけどそんな雰囲気でも無いし言葉にはしなかった。
「終業式の後僕を呼び出して、助けて欲しいと言ったのは君だろう」
「ええ。でもそれは貴方を家に招く為の方便よ。分かっているでしょう?」
彼女は尚も僕を見つめた。聞きたいのはそれじゃないし、逃さないと、そういう意思を持った瞳。僕もまた汁を飲み干すと、箸を置いて応える。
「君は僕に『好き』だと言った。だからだよ」
「確かに言ったわね。でもそれが何? 貴方にとってそれは私を助ける理由にはならないでしょう──怪物を愛する変態さん」
何故だろうか。微妙に食い違っている気がしてならない。
「? 君は助かりたかったから、そんな事を言ったんじゃないのかい?」
少なくとも僕はそう考えていた。あのままでは見捨てられるかもしれないと、だから好意を伝える事で僕を縛り、助ける理由を与えたのだと、あの告白は無意識下でのSOSのようなものだと、そう思っていたけれど、
大きく溜息を吐き出して、感情を露わにする彼女の様子から、どうにもそれは検討違いだったようで、
「呆れた、最低最悪死んで欲しい、本当にどうしてそんな穿った考えをしているの? 馬鹿、アホ、トンチンカン──手段があれば殺したい程腹立たしいわ」
物凄い罵倒を浴びせられている。
「素直に私が告白したと、どうしてそう思えないの?」
「いやだって君が僕の事嫌いだって言いまくってたから……てっきりあの告白も方便だろうと……」
声が徐々に縮んでいくのは、彼女の目がどんどん増し増しで据わっていくから。
「好き嫌いって、そんなに相反する感情なのかしら? 思春期男子特有の『好きな女の子に辛く当たるアレ』とか、嫌よ嫌よも好きの内とかあるように。だけれどそう考えると──多々里君の本当の問題点が見えて来たわ」
「本当の問題点?」
「貴方は──疎いのよ」
「疎い?」
僕はカウンセリングでもされているのだろうか。言葉の意味が理解出来ず、おうむ返しを続けてしまう。
「ええ。怪物とか、超常現象とか得体の知れないものと関わり過ぎて──現実に疎い。いえ──感覚が鋭敏過ぎて、単純な物事にすら意味を見出そうとしている。そういった意味で、貴方は鈍感なのだと思う」
それは──多分そうなのだろう。
人間と関わる際、僕はまず疑う癖がある。会話する、表情を見る、言動には意味があるのだと裏を読もうとする。それは師匠の言葉を守って、自身でもそれが正しいと感じていたからだ。実際それで拾えた命もある。しかしそれは──信用出来ないだけ、なのかもしれない。見ているつもりが──目を背けている。
「多々里君」
無意識で俯かせていた顔を、彼女に呼ばれて上げると、
「私と交際しましょう」
失望し呆れていた見壁の表情が変わっていて──軽く微笑みを乗せて、彼女はそう言った。
「今回の件のお礼、という意味も込めて──私と付き合って下さい」
ゆっくりと頭を下げて、懇願するその姿を見ても、僕は即座に肯く事が出来ない。だからだろうか──彼女は追撃のように、好きな部分を並べるように、
「貴方はもっと現実を知るべきよ。私ならそれが出来る。飽きたら別れてもいいし、何よりその捻じ曲がった性根を矯正する事は多々里君にとってもメリットのある事で──だから」
僕が頷けるよう、理由を口にする。
僕が自然と、頭を下げられる言い訳を作ってくれている。
「……お願いします」
呆気に取られたまま、まんまと方便に乗せられたみたいに──気が付くと僕は、彼女と同じように頭を下げて、言っていた。
「そう。ありがとう。これからよろしくね──
名前を呼ばれたので、僕も同様に返す。
「うん。こちらこそ。これからよろしく──
「……ぷっ」
「……ぷっ」
そう言い合って、僕達は笑ってしまった。だって名前を呼び合って、なんて──あんまりにもやりとりが初々しかったものだから。高校生というより、初めて恋愛をする小学生のようで──どうにもこうにも、可笑しくて。深夜だというのに子供みたいに声を上げていた。
彼女が僕を何故嫌っていたのか、何故好きになったのか。どちらの理由も分からないままで、だけどもこうして、僕に初めて──人間の彼女が出来てしまった。
子供にとって、親とは神に等しい存在だ。とある宗教では神の事を父と呼び、母とは創造主を指したりする。
誰かが『神から与えられる愛は無償のものであり、他者を愛する本質は自己愛である』みたいな事を言っていた。この二つは最も重要な掟だそうで、しかしそうなると、僕と彼女は片方が欠落──まではなくとも、不完全ではあったと言える。結局僕達は似た者同士であり、
彼女が僕を嫌っていて好きだと言ったその思いに、敢えて察しを付けるなら、そんなところなのではないだろうか。身の上話を語り聞かせた事は無いけれど、僕が気付いたのだから、聡い彼女ならきっと──同じように感じたのではないだろうか。
同族嫌悪、自己嫌悪。
同気相求、類は友を呼ぶ。
嫌い合っているけど求め合う、みたいな。しかしグダグダ言葉を並べたところで、人間の心が覗ける道理は無い。適当に当て嵌めて、自分で納得して折り合いを付けるしかないのだ。
だけど、そう簡単に納得も出来なければ、折り合いを付けられないのが僕達の性質でもある。だから悩んで葛藤したりするし、自分で自分の首を締める結果を呼び込んでしまう。
これからもきっと、僕達はそうなる。
夢や希望の無い現実の中、ようやく見つけた誰かを愛したりして、幸せを感じたりして、自分らしさなんてものを探しながら──精々楽しく生きていくしか無いのだ。
だからせめて──僕の物語が、どこかの誰かの慰みものになってくれる事を、切に願うばかりである。
しかし終わらず、次回、新章突入!! 乞うご期待!!
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